カフェ【小鳥のさえずり】にようこそ_2

そして1年後……

いつもは15時に来るアルトが15時15分になっても来ねえ。

毎週15時ぴったりに来るアルトのために淹れたアイスティはすでに氷が解けて水っぽくなっちまった。
でもそんな事はどうでも良い。
紅茶なんて淹れなおしゃあいいんだ。



それより出会ってここに案内してから1年間。
雨の日も風の日も、それこそ雪の日だって欠かさずにこの店に来て時間を潰していたアルトが来ねえ、それが問題だ。

15時30分まで待って、俺様は渋る秘書に店番を押しつけてエプロンのまま外へと飛び出した。

あてなどない。
外は1年前と同じくらい暑くて、やっぱり煩いほど蝉が鳴いている。
今日都合が悪くて来てないとかなら良いが、暑さに弱いアルトの事だ。
1年前みてえに真っ赤な顔してどこかで倒れてたりするかもしれねえ…

そう思うと足は自然に初めて会った公園に向いた。
そして改めて思う。
俺様の直感すげえな。

…アルトは初めて会った公園のベンチに座っていた。


初めて会った時みてえに真っ赤な顔。
でも1年前と違うのは、そのまんまるなグリーンアイから涙がハラハラと零れていた事。

「…あっちいな。探しちまったぜ」
何故来なかったとか、何故こんなところで泣いているとか、話したいかもしれないし、話したくないかもしれない。

事情が気になる事は気になるが、まずはアルトを日射病になりそうな状況から救い出すのが先だ。

俺様は色々な事に触れず、ただ、
「アイスティ、作って待ってたんだけど氷融けちまったから探しに来たんだ。
新しいの淹れっから店行こうぜ」
と、アルトの腕を取る。

アルトは意外な事になんの抵抗もなく、むしろ怖いほど無抵抗に俺様に手を引かれるままついてきた。

店についても無言。

「アイスティ、淹れてくるな?」
と、とりあえずは水分補給をさせないとと、俺様は急いで厨房に戻ってアイスティを淹れる。
その間に帰られちまったらどうしよう…と思ったが、どうやらその気力もないようだ。

アルトは俺が座らせたいつもの席に座ったまま、ただ無表情にぽろぽろと涙を流していた。
俺様は何でもないふりでいつもみたいにアルトの前にグラスを置くと、
「喉乾いただろ?俺様特製アイスティーだぜ!飲めよ」
と、笑ってアルトの頭をクシャクシャと撫でた。

いつもはストレートなんだけどな、今日はアイスミルクティ。
はちみつもいれてるから、少し甘い。

ちっとばかり理性の強すぎる弟のルッツが小さい頃、きゅっと拳をにぎりしめ唇を噛みしめて我慢している時によく作ってやった逸品だ。
これプラス頭撫でで、堰を切ったよう泣きだして、そんな風にしている理由を話し始めたもんだ。

「ほら、美味しいうちに飲めよ?」
と、俺様がストローをさして、その端をアルトの小さな口に持って行ってやると、アルトは一口飲んで、小さな声で…甘いな……と、呟く。

それに俺様が、――だろ?と答えると、それまで無表情だった顔どころか身体全体が悲しみを訴えて来た。

「…っ…ぎ…ギルっ……」
ヒックヒックとシャクリをあげるアルトの小さな頭を引き寄せて、俺様はその背を宥めるようにとん、とん、と軽く叩いてやる。

「泣きたい時には泣いちまった方がいいぜ?
今日は他に客もいねえしな」
と俺様が言うと、アルトは俺の肩に顔をうずめたまま、
「…いつもだろ」
と、泣きながらもクスリと小さく笑う。
「まあ…そうとも言うな」
と、俺様はそれに応えて、厨房から様子を見ている秘書にアイコンタクトで休業中の札を出すように指示をした。

そうしてしばらく泣いて泣いて、泣きやんだアルトが語った事は、俺様からするとなかなか衝撃的な事だった。

――恋人が…別れて欲しいって……

ぽつりと言った一言は、瞬時に俺様を喜ばせ、そして次の瞬間、惚れた相手が悲しんでいるのを喜んでる自分を俺様は嫌悪した。
ここは喜んじゃダメなとこだろうよっ!と理性で感情を押さえつけ、俺様はなんとなく撫で始めてしまったアルトの髪を撫で続けながら
「…理由…聞いても?」
と、先をうながす。
そこでアルトはまたぶわっと目から涙をあふれさせた。

「…他に…好きな相手…できたって……」

あー…まあなんというか、ありがちな破局理由。
普通ならそんな尻軽女やめておけというところだが、こんなにボロ泣きするって事は、アルトはよほどその女が好きなんだろうな。
そして…たぶん俺様はそんじょそこらの女ならまた乗り換えてくるくらいのテコ入れをアルトにしてやる事ができるわけで……

正直悩む。
きっぱり別れさせたいのは自分のエゴなのか、アルトのためを思っての事なのか……

…仲…取り持ちたくねえなぁ……とため息。
でもアルトが望むのはきっと………

「…まだ好きで…より戻してえんだよな?」

仕方ねえ。
正体ばらしてテコ入れ申し出るか……
そんな悲壮な覚悟をして俺様が聞くと、アルトはなんと、わからない…と、首を小さく横に振る。

「わからないわけねえだろ。そんなにボロ泣きするくらい好きなら……」
もう諦めさせてくれ…と、そんな気分でさらに言う俺に、アルトは衝撃的な言葉を投げつけた。

――やっぱり女の子の方が楽でいい…そう言われると追える気もしないし…

はああ???
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!
え?え?相手…レズ?」

混乱する俺相手にアルトが怒涛の暴露をした話は、なかなかすさまじいものだった。

「…弟…みたいに育った1歳年下の従兄弟。
俺…実家では俺だけ母親違うから義母や兄達とは距離があって、実母の妹の息子の従兄弟だけが普通に家族みたいだったんだ…。
でも大きくなって…俺が兄貴面するのが嫌だって距離取られて……
でもっ、あいつが大学に入った時に、俺が1人ぼっちで気の毒だとは思うし、家族としてだと兄貴風吹かせてうっとおしいから嫌だけど、恋人としてなら……その……立場が下になるから一緒にいてやっても良いって………」

ミシっと自分用に淹れたアイスティのグラスが手の中できしむ音がした。
そのまま割らなかった俺様を誰か褒めてやって欲しい。

つまりあれか?
あれだよな?
1人ぼっちにされたくなかったら抱かせろってことか?
いや、ダメだ、考えるな。
具体的に想像したら絶対にキレる。

つまり…抱くだけ抱いて満足したら、やっぱり女の方が良いですって事でポイ捨てってことか?
いや、やめろ、想像すんなっ!
やばい、マジやばいっ!
冷静になれっ!
「……ギル?…もしかして…男のくせに…とか…軽蔑した…か?」
澄んだ丸い目が不安げに揺れる。
こんな可愛いのに……
ちきしょ~!!!
「いや、相手がひでえ奴だなと思って…」

そんな奴でもアルトが大切に思っている奴だと思えばそう厳しい事も言えない。
だから怒りを押しこめてそれだけ言った俺様にアルトが言った言葉……

「違うんだっ!
あいつは本当に優しい奴で…俺が寂しい身の上なのも知っているけど、どうしても俺みたいな奴に兄貴面されるのが嫌で、俺みたいな奴と付き合っているって他にバレたら嫌な思いするのに、そんなリスク負ってまで隠れて付き合ってくれてたんだ」

それで俺様の堪忍袋がプチプチと音をたて始める。
それってつまりあれだろ?やる事はやりてえ、でも他に男の恋人がいるってバレるのは嫌だからって事で、アルトに例え炎天下だろうと雪が降り積もる中だろうと自分の都合の良い時間になるまで人の目につかねえところで待ってろって言ってたって事だろうがっ!!
ああ…やばい…やばい…俺様の鉄の理性が……

「暑いなっ!ちょっと氷でも作ってくるわっ。
今日は特別無料サービスだ。
アルトはシロップ何が良い?」

よしっ!セーフっ!!
俺様がガタっと立ち上がって言うと、アルトはたぶん自分の事でいっぱいいっぱいなんだろう。
俺様の様子にも気付かずに、少し考えて、『イチゴ』と答えた。

「OK,イチゴなっ。ちょっと待っててくれっ」
と俺様はことさら明るく言うと、厨房に戻る。


腐っても色々取り揃えるだけは取り揃えている喫茶店だ。
当然電動のかき氷機なんてものもあるわけなんだが、俺様は頭を冷やすために手動の機械でシャリシャリと氷をかいていく。

これが普通に女の恋人だったとしたら、最悪でも結婚まで持っていけば子どもの1人くらい出来るかもしれないし、そうしたら女が馬鹿で出て行ったとしても、家族に縁の薄いアルトに本当の家族が出来る。
でも相手が男だとしたら、相手に愛情がない場合、永続的なメリットを得るのは難しい。

考えろ、俺様。
どうするのがアルトにとって一番良い?
正直自分がすごく感情的になっているのが自覚できるだけに、即効力のある解決法は思いつかない。
今思いつくのは一つだけ。
アルトを1人にしない。
アルトに自分が1人きりだと思わせない。
それだけだ。

そう結論を出すと、俺様は落ち込んでいるアルトのために一つだけサプライズを仕掛けた。
ホワイトチョコのプレートを出してミルクチョコのペンでさらさらと文字を書き、それを途中までかいた氷の中に放り込んでその上からまた氷をかく。
シロップは中心を避けるように周りから垂らし、山となった氷の一番上には練乳、さらにその上に小さなアイスを乗っけた。
それが終わったら速効自分の分は適当に電動でが~っと氷をかいて、こちらは適当に上からメロンシロップをかける。
そしてそれを持って溶けないうちにと大急ぎでホールへ戻った。

アルトはもちろんまだ落ち込んではいるようだが、若干は落ち付いた様子で、俺様の淹れたミルクティを飲みながら、窓から外を眺めていた。

「…考えてみれば…ここに来るとお前がいっつも怒涛の勢いで話かけてくるから、1年も通ってたのに窓の外の景色なんてゆっくり見た事なかったな…」
俺様が戻った気配を感じたのか、アルトが独り言のように呟く。

俺様はそんなアルトの正面の俺様の指定席に座ると、自分とアルトの前にそれぞれのかき氷の器を置いた。

「溶けないうちに食おうぜ」
と自分が先にスプーンを取ると、アルトもつられたようにスプーンを手にする。

…Thanks

大きな目にまだ涙の跡を残して、それでも小さく微笑んだアルトに、俺様は出会ってからもう何回目かわからないが、恋に落ちなおした。




しばらくはスプーンがガラスの器に当たる涼やかな音だけが響き渡る。
そして氷だけの俺様の器の中がほぼ溶けかけたグリーンの液体が広がるだけになった頃、上に乗ったアイスから苦戦しつつ食べていたアルトの器の中身も半分くらいは減っていて、アルトの舌を赤く染めた赤い色合いのかき氷をすくってはその小さめの口に運んでいたスプーンは、とうとう、コツ…と、器の中の白いプレートに辿りついた。

裏返していれたから、上から見えるのは楕円形の白いプレートだけ。

「さっきから気になってたんだけど…こういうのって普通は上に乗っけるものだよな」
と少し笑って言うアルトの言葉にはすぐ答えずに、俺様はカランと自分のスプーンを器に放り出し、アルトの目をまっすぐみつめた。

「16時の約束がなくなったって事は…アルトはもうこのあたりには来ないんだよな?」
それは単なる確認だった。
アルトが来るなら俺様はやっぱり15時からここで紅茶を淹れ続けるし、来ないなら俺様の方からアルトに会いに行く。
俺様がやる事なんて変わりはしない。

だけどアルトはそうは取らなかったようだ。
メロンシロップより淡いグリーンの瞳が困惑に揺れる。
それが少し悲しそうな不安そうな色合いを帯びているように見えるのは、俺の希望的観測だろうか…。

ほんの瞬きするくらいの時が過ぎ、アルトが口を開く。
おずおずと…それはそれは不安げに…

――何もないと…来ちゃ迷惑か?

アルトが言ったその言葉が、どれだけ俺様を喜ばせたかなんて、きっと本人は想像だにしていないに違いない。
それは今までは偶然出会って、俺様が連れて来て、状況的に丁度良い環境だったからという理由で、ほぼ受動的に俺様と一緒に時間を過ごしていたアルトが、初めて能動的に俺様と時間を共にしたいと意思表示してくれた事に他ならないんだからな。

嬉しくて嬉しくて、俺様はにやける頬に片手を当てて頬杖をつきながら、もう片方の手でアルトのグラスをキン…と、指先で鳴らした。

「そのプレート、ひっくり返してみ?」
とホワイトチョコのプレートに視線をやれば、アルトは不思議そうな顔をして、それでもスプーンの先で器用にプレートをひっくり返す。

そこでお目見えするのは11ケタの数字。
「それ、俺様の携帯の番号な?
俺ら知り合ってから1年じゃん。
でも今までは恋人との時間とか取ったら悪いなぁ~って思って誘えなかったんだけど、アルト、フリーになるんなら、一緒に遊びに行こうぜ?」

目を丸くしたまま固まっていたアルトは、その言葉で溶けだしたように笑う。
何気ない風に…でも大きなまるい瞳の奥はホッとしたような色を帯びていて、なんだかそれが可哀想で愛おしくて、今すぐ抱きしめたくなった。

けど、それはダメだ…と、俺様の冷静な部分がセーブする。
だってそれをやっちまったら、俺様はアルトを傷つけた従兄弟と同じになっちまう。
アルトの孤独感につけこんでやってもいいのは、アルトを楽しませ、喜ばせる事だけだ。
自分の欲望を押しつけるような事は絶対にしねえ。


まずは仲の良い友達。
親友って言えるくらいになったら、互いの家に行き来して、たまには夜通し遊んで互いに泊まりあったりとか……もちろん同性の友人の範囲でのことで、それ以上はなし。

就活の時期になったら…その頃になったら身元明かしても良いな。
出来る事なら俺様はまだまだ若い社長だから、出来れば気心の知れたアルトに側で助けて欲しい…みてえなとこまで持っていければ上等。
そこまでいければ、適当なところによさげなマンション買って、隣同士で住めば良い。

アルトのトラウマを突いて辛い思いさせるくらいなら、俺様は一生友達でいい…


そんな俺様の少し辛いが一番必要なあたりは押さえている、実に賢明な人生計画は、それから本当にその通りに進んでいった。

まずは友人。
アルトのマンションから電車で5駅ほどの所にたまたま持っていた邸宅は、広さはそうないが庭があって、庭師に任せっぱなしにしていたそこは、植物を育てるのが好きだがマンション住まいのアルトのお気に召したらしい。
一緒に遊びに行ったりと行き来するようになってから、そうたたないうちに、会う時は自宅で庭いじりがメインになった。

俺様が端っこでジャガイモを植えている横で、アルトは綺麗な薔薇を植えている。
天気が良い日は互いが植えたモノが見渡せる屋外に置いたベンチに座って、俺様が作った食事や菓子を食いながら、アルトが淹れてくれた紅茶を飲んだ。

まあそれで知った事。
自分が金を取って淹れていたなんて図々しいと俺様が恥ずかしくなるほど、アルトが淹れた紅茶は美味かった。
もう、仕事に疲れた時に紅茶を淹れてもらう紅茶係として高給で雇っても良いくらいの絶品さだ。

それと同時に…アルトの料理の腕は武器製造?と思われるレベルでやばかった。
美味い物はもちろん分かるが、それほど食いものに煩いわけでもない俺様が、失神する程度には……

でも料理は好きならしいアルトのために、そこは自宅なだけに、俺様の料理教室開催だ。
2人で作って隣でしっかり見張っていれば、兵器レベルのモノが出来る事はない。
若干形はいびつだが、ちゃんと食えるモノが出来上がるので、2人で食う。

そんな付き合い方だったから、料理やその他で遅くなった時など、アルトが泊まっていくこともあって、家にはアルト専用の部屋が出来、そこには最低限のアルトの着替えが置いておかれるようになった。
もちろん…泊まると言ってもなんにも色っぽい話なんてなくて、飯食ってたまに興が乗るとそこに酒が入って、でも寝る段になるとそれぞれの部屋へと戻って行くという形だ。

だいたい会うのはアルトの講義のない水曜の午後と週末だ。
だから俺様のスケジュールは土日には絶対に邸宅に戻れるように組むくらいであまり変わらないし、他の日に死ぬ気で徹夜して仕事を終わらせる事になろうと地球の裏側から自家用機で帰国する事になろうとその時間は全力で空けているので、アルトから見ると俺様は随分と暇に見えるらしい。

特にアルトの方から言及はしねえし俺様も特に言わねえから、アルトは俺様の事を“親の資産で食っている暇を持て余したプー太郎”だと思っているようだ。

まあ半分は当たり。
会社は元々親…ではなく実子のいなかった大叔父から引き継いだもんだし、社長である大叔父の隣に常に座らされて英才教育された10歳からの10年間は学業と仕事修行でほとんど分刻みでスケジュール管理されていたが、20歳で完全に引き継いでからは絶対的に俺様が必要なもんてのはそう多くはなく、何かあった時のためにとなるべく信用する部下にふる習慣もつけていたから、居れば最良だが居なければなんとでもなる、そんな立場で、作ろうと思えば時間も作れる。
そんな感じで5年間だ。

アルトが卒業する頃には26歳。
新入社員を名乗るにはちょっと辛い年齢ではあるが、第二新卒とかならなんとかいける。
一緒に新人やる時間くらい根性で作る…けど、今くらいの距離感なら、俺様の身元明かして、アルトの方に俺様の仕事の補佐についてもらえないかとも思う。


そんなある日…俺らが出会って1年半ちょい、アルトが大学4年に進級する春休み…
一つの大きな岐路になる出来事が起こった。



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