と秘書が言う。
毎週毎週この時間になると本社からの催促の電話で胃を押さえるこいつには本当に悪いと思うんだがよ、俺様は今ここを離れるわけにはいかない。
住宅街のど真ん中にあるカフェ【小鳥のさえずり】は知る人ぞ知る名店だ。
元々はコーヒー専門店だったが、今では紅茶の方が評価が高い。
そりゃあ当たり前だ。
なにしろ採算なんて言葉は宇宙の彼方に放り投げて、厳選された高級茶葉で淹れた紅茶を選りすぐりの茶器で出している。
そんな酔狂な事を始めたのはこの俺様、ギルベルト・バイルシュミット。
世界中で事業展開をしている大企業の社長、そしてこの店の影のオーナーってわけだ。
もちろん従業員を雇う余裕なんて当たり前にあって、普段は任せている。
だけど今日、水曜日の午後15時だけは絶対に自分がシフトに入る事にしていた。
そうでないと、この店を維持している意味は全くないのだ。
今日も暑い。
それでもあいつは来るんだろうな…。
ぴょんぴょん跳ねた小麦色に大きなグリーンの瞳の男。
みかけは少年、中身は青年。
名前はアーサー…俺様はアルトと呼んでいる。
そいつは毎週水曜日のこの時間、16時まで時間をつぶすためにこの店にくる。
俺様があいつについて知っているのは、本人から聞いたわずかな情報だけだ。
人を使ってそれ以上のことを調べ上げるのは簡単だが、それは俺様の動機からするとフェアじゃない気がした。
だから俺様は今日もそいつと会話をするために、こうしてここに陣取るのだった。
俺様はたまたまこの住宅地の一角に住居を構える極々私的な知人に会いに来ていて、あまりの暑さに少し涼んでから帰ろうと入ったのがこの店である。
その時にはこの店は他のオーナーが細々と営んでいた普通の喫茶店で、それでも“小鳥のさえずり”なんて店名に惹かれて入ってみれば、なんのことはない、小鳥なんてどこにもいない、小鳥グッズが置いているわけでもなく、たいして美味くもないコーヒーを投げやりさ満載で出して来るような店だった。
インスタント感たっぷりのコーヒーを氷の上から注いだものを仕方ないのでごくごくと飲みほして、俺様はインスタントコーヒーの代価としては良いお値段の金を払って外へ出た。
外はミンミンと煩いくらい蝉が鳴いていて、住宅は数多くあるが店と呼べるようなものは今しがた出て来た妙に奥まったわかりにくいところにある喫茶店以外は全くなく、唯一涼めるのが公園のベンチだった。
そこもわずかな遊具がわずかな影を作っているだけで、完全に涼めるとは言い難い。
それは本当に偶然で、きまぐれにそちらに目を向けたら、そんなところに1人の少年が座っていた。
元々は白いのであろう顔を真っ赤にして、ひどく汗をかいている。
手の中には文庫本。
よくこんな暑い中で読書なんかできるもんだ…と興味を引かれて近づいていくが、どうやら読書ができてたわけではなかったらしい。
今の季節よりはもっと涼しい季節。
今の木々よりはもっと若く幼い芽吹いたばかりの葉を思わせる淡いグリーン。
そんな色合いの瞳が本を通り越して虚ろに手元を見つめていた。
これ…放置してたら死ぬんじゃね?と、思わず声をかけたのが俺達の出会いだった。
――余計なお世話だったら悪いけどな、こんな場所でずっといたら日射病で死ぬぞ?
最初にかけたのはそんな言葉だったと思う。
それに対して返ってきた言葉が、毎週16時からこの近くに住む友人と約束しているのだが、駅周辺のように一目に着く場所で待たないでくれと言われているから…という、なんとも謎な言葉で、俺はそれなら…と、例の立地条件には非常に問題がある分、現地の人間も知らない奴が多いんじゃないか?と思われる喫茶店に相手を案内したのだ。
店に入ってまず…涼しい、と、ふわりと微笑んだ顔にやられたんだと思う。
童顔…と言う事もあるが、それは本当に邪気のない笑顔で、天使みたいに愛くるしかった。
しかしながら…だ、メニューを見て相手の可愛らしい顔に不似合いな太い眉がへにょんと八の字になる。
どうしたのか聞いてみたら、メニューに紅茶がないから…とのこと。
が、すぐ気を取り直したように
「でもこうして暑さをしのげるだけでも恩の字だよな。
教えてくれてありがとう」
と、またにこりと微笑まれて、俺様は決意した。
――よし!この店買い取ろう!!――……と。
思えば一目惚れだったんだろう。
俺様はちょっと電話…と、席を立ち、その足で本当に部下に電話。
早急に店を買い取る交渉をするように命じた。
こうして毎週水曜日の15時から16時まで。
アルトが時間を快適に潰せるように…と、店ごと買い取ってメニューも内装も一新。
もちろん紅茶派のアルトのために紅茶は特に充実させたというわけだ。
正直…立地条件の最悪さもあって店は本当に知る人ぞ知るで、アルトの他に客なんてあまりいない。
日に3,4人もくれば良い方だから非常に暇だ。
まあ別に営利目的ではないので全く問題はないし、これと言って流行るように営業努力をする気などさらさらない。
むしろ人が多いと落ち着いてアルトと話す事が出来ないので、今のままが良いとさえ思っている。
とりあえず…最初にあった日の数日後には買収を始めとして内装のリフォームや紅茶の茶葉やティーセットの買い出しなどは終わっていたので、翌週にアルトが店を訪れた時には、店のオーナーが変わってバイトを募集していたのでバイトする事になったと告げて、実は水曜日の14時から17時だけ店に詰めている。
こうして毎週水曜日の15時少し前、それはプロにしっかりと習ったやり方で、アルトのために最高級の茶葉で紅茶を淹れるのが俺様の習慣となった。
そして客が来なくて暇だから…と、『お前良いのかよ』と呆れた顔をされながらもアルトの前の席に陣取っておしゃべりに興じる。
そうしているうちに、少しだけアルトの事がわかり、アルトが近くなり、また遠くなった。
アーサー・カークランド19歳、大学2年生。
家族は海外で現在1人暮らし。
趣味は手芸とティディベア収集。
そして…恋人がいる。
そう、最初に話していた友人と言うのは、実は恋人と言う事らしい。
それは非常にショックな事で…しかしそれがショックだった事で俺様は初めて自分の気持ちをはっきり自覚した。
まあ…失恋した事で恋情を自覚するというのも、我ながら救いようがねえけど……。
それでも納得はしたんだよな。
だってアルトは男だし?
俺様だってアルトに出会う前は同性を恋愛的対象として見るなんて事はなかったから、当たり前の事だよな。
うん、仕方ねえよ。
それでも…な、側にいて交流持ってたら、惚れた相手が困った時に手を貸してやったりもできるだろ?
幸いにして俺様は自分1人のためにしちゃあ有り余るくらいの才能や力を色々持ってるし?
もういっそのことな、アルトが大学を出てどこかの会社に入社したら、その会社ごと買収して、こっそりその会社の新入社員とかになって、同僚とかやんのもいいんじゃね?とか、我ながら涙ぐましいような事考えてたわけだ、俺様も。
でもってな、アルトと恋人が結婚する時には式に呼ばれるだけじゃなくてスピーチなんてもんまで頼まれて?
俺様天才だから超感動的なスピーチとかしちまって拍手喝采なんかされてよ…
式の間は鉄の理性で笑顔。
でも式終わって家帰って、引き出物のバウムクーヘンとか食って1人でアルトの幸せを願って泣くわけだ。
そんな未来を脳内で描きながら、俺様は失恋してからも頑なに水曜の15時から16時は他の仕事全力で拒否して、このカフェに籠って紅茶を淹れていた。
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