カフェ【小鳥のさえずり】にようこそ_3

それは水曜日だった。
もういい加減やめてもいいんだが、俺様は相変わらずアルトと出会った街でアルトと過ごしたカフェ【小鳥のさえずり】で紅茶を淹れていた。



そう、未だ身元を明かしていない俺様はこの店のバイト君ごっこをまだ続けていて、アルトは水曜日の15時にここにきて、俺様の“バイト”が終わる16時半に一緒に帰るという生活をしていたのだ。

本当になんのために?と思うのだが、なんとなく正体を明かしそびれて、そうするとアルトと他でも会えるからバイトを辞めると言うのもなんだし、自宅にいると庭いじりや料理などでバタバタしていて取れない、こうしてただ何もないところでアルトとゆっくり会話と言う時間を満喫するのも悪くないので、まあ良いかと思う。

そうして続いている水曜日の歓談。
俺様はいつもの通り15時少し前にアルトのために紅茶の準備をしていた。

だが、その日、いつものように15時に店に来たアルトは随分と顔色が悪い。
「アルト?どうした?」
いつもの席に座るアルトにいつものように自分の分と2人分カップを用意して、いつものように席に着いた俺が声をかけると、アルトはふるふると首を横に振った。

これは…たぶん、俺様に迷惑をかけたくない…だけど困ってる…そんな時。

アルトの様子でもう行動パターンまでわかるようになってしまった俺様は、いったんそれを保留して2人分のカップに紅茶を注ぐと、その一つをアルトの前に置く。

そうしておいて、片手を伸ばし、相変わらずぴょんぴょんと飛び跳ねたアルトの小麦色の髪をくしゃくしゃと撫でまわした。

「言えよ。俺様達、親友…つか、もう半分家族くれえの勢いの仲だろ?」
友…という言葉を自分で口にしておいて俺様は内心勝手に傷つくが、同時にこそりと家族という言葉を添えても全然返ってこない反論に、少し心の痛みが薄れる気がした。

そう、あれからほぼ毎週末と毎水曜の午後と言う、友人にしてはずいぶんと長すぎる時間をほぼ2人きりと言う環境で共にしている。
その他の曜日も朝と夜には必ずメールを送っているし、たまには電話だってしていた。

他の人間との縁が薄い分、寂しがり屋のアルトが寂しさを感じないように…アルトがここで初めて泣いたあの日から、俺様は常に自分が側にいるような感覚になるように、時間を見つけてはアルトに連絡をいれていたのだ。

だから親友のように兄のように、そんな風に心がけてそう言ってやれば、アルトの眼が安堵と迷いに揺れる。
本当に口ほどにモノを言う目だ。
わかってやりたい相手としては実に分かりやすくて良い。

「…俺様に何か出来るか?
吐き出したいだけなら、聞くだけ聞くんでも良いけどな」
と言ってやると、アルトは震える唇で

「…アルが……」
と言った。

「え?悪い、何て言った?」
と聞き返すと、そこでハッとしたように言いなおす。
「アル…例の従兄弟…」
と言われて、ようやく記憶がつながった。

「あー、あれな。
もしかしてあれから何か言われたのか?」
と促してやれば、アルトはこくりと頷いた。

「…電話があったんだ……」
「…ああ。なんて?」
「…俺を知っているアルの友人が…俺が先週ここに来るのに駅から出るのをみかけたらしくて……」
「…ああ」
「…今日…会いたいって言われた……」

………やらかした………
俺は内心ほぞをかんだ。

せっかく…せっかくアルトとゆっくり距離を縮めてきたのに…。
このカフェは考えてみればアルトがそいつと会うまでの時間調整に使っていたくらいだから、そいつの居住エリアにあって、そこにアルトが毎週通っているとなれば、こうなる事も予測出来た事だった。

本当に舌打ちをしたい気分で…でも、俺様がして良いのはそれじゃない。
どうすればアルトが一番楽になるのか…
それを考えるために、俺様は口を開いた。

「それ…理由は聞いたか?」
という俺様の問いにアルトは小さく首を横に振る。
「そうか…」
と俺は小さく息を吐きだした。

「たぶん…別れたのにいつまでもうろついているなんて気持ち悪いって言われるんだと思うんだけど…」
と、続くアルトの言葉。

それなら電話でそう言う気がする。
アルトの性格からしてそう言われれば二度とこの駅に近づかないだろうし…。

たぶん逆なんじゃねえかな…と俺様は思った。
切り捨てるなら多分接触を持ちたくないと、電話で済ませようとする。
直接会いたいというのは、たぶん逆。
アルトの側にまだ余地があるなら、寄りを戻したい。
説得するなら電話より直接会うほうが成功率があがる。
たぶん、それだ。

どうする?どうするよ、俺様…。
アルトの意志なんてガン無視で自分の都合を優先させるなら、キツイ言葉を吐かれるんなら、俺様が間に入って伝言という形で聞いておいてやるって言えば良い。
そうしておいて、相手には希望がない事を伝えて近づかないようにさせて、アルトにはやっぱりアルトの言った通りだったと伝えてやればエンドだ。

でも…どんな酷い奴でもアルトがまだそいつを好きなら……俺様のやるべき事はアルトが助けを必要な時に手を差し伸べられる位置で、そいつとの仲を見守ってやる事…なんだよな……

本当に俺様の方が泣きそうだ。
何が悲しくて惚れた奴と別の…しかも自分が惚れた奴に相応しくないと思っている相手の仲をとりもったうえで、2人を見守り続けなきゃなんねえんだ。

「…もし…寄りを戻してえって話なら…戻したいんだよな?」
くしゃっと自分の前髪をつかんで、俺様は聞いた。
掴んだ手で俺様の顔が若干遮られる。
表情を読まれたくねえ。
本当は協力なんかしたくないっつ~本音は根性で隠さねえと…。
頑張れ俺様。

顔がゆがまないように…出来ればアルトが安心できるような穏やかな顔で…
俺様は気合いと根性で表情筋のコントロールを試みる。

胃がキリキリする。
でも負けるな、俺様。

そんな葛藤をしていると、アルトが不安げにまた瞳を泳がせた。
ああ…図星なんだな…と、俺様は覚悟を決めて、自分にトドメをさす一言を口にした。

「寄り…もどしたいんだろ?まだ…好きなんだよな?」

その言葉にてっきり頷くと思ったアルトは、さらに視線を泳がせる。
あれ?と俺様は前髪から手を離した。
そしてアルトの様子を観察する。
マジマジと見たせいだろうか、アルトは居心地悪そうに身じろぎをした。
でも首は縦には振られない。

「…もしかして…戻したくねえのか?」
もうそれはまさにパンドラの箱の底にはりついていた希望のようなものだった。
もしそこでアルトが頷いてくれれば、俺様は何でも出来る気がした。

はたして…そのありえないと思っていた希望はかなえられたらしい。
アルトはそこでこっくりとうなずいた。
マジかっ?!!
パッと顔をあげる俺様。
ビクッと何故か身を引くアルト。

「あ、悪い。あまりに意外だったから、いきなり驚かせたか?!」
と、俺様の勢いに驚いたのかと思えば、アルトは泣きそうな顔をして首を横に振った。

そして言う。

「ごめん…悪い…俺…ギルに隠してた事があって……」
「あ?なんだよ?大丈夫、多少の事じゃ俺様は驚かねえし、怒りゃあしねえよ」

あまりに怯えた様子のアルトに俺様はまた頭を撫でてやる。
ヒックヒックとしゃくりをあげるアルト。

ここでこうしてアルトが泣くのは、あの日以来だなと、俺様はそんな事を思い出した。


しかし状況はすげえ勢いでひっくり返っていたらしい。
まさに天変地異くらいの衝撃がこのあと俺様を襲ったのだ。

――…好きだ……

「は??」
と聞き返した俺様はおかしくないと思う。

アルトが恋人との待ち合わせ時間までの時間つぶしに使っていたカフェ。
そこで振られたはずの恋人から連絡が来た。
たぶん…寄りを戻したい系の話がなされるはずである。
そんな中でのこの言葉。

それに
――ごめん…ギルが好きだ…
なんて言葉がいきなり出てくるなんて、さすがに俺様天才、俺様最高と思っている俺様でさえ、思いはしないよな?
さすがに頭が真っ白になった。
何これ?
幻聴?
それとも俺様明日死ぬフラグ??
固まっている俺に、悲観主義者のアルトは思い切り後ろ向きに誤解したらしい。

「…ごめん…気持ち悪いのわかってる……。
ギルが優しかったのは落ち込んでいる俺を兄気質で優しいギルが放っておけなかっただけだってことも……
引かれるのわかってたから…黙っていようと……」

「ちょ~っとまったぁ~!!!」
自分で言ってどんどん落ち込んでいくアルトの言葉を止めようと俺様は思わず手でアルトの口を塞いだ。

「大丈夫っ!引いてないっ!気持ち悪いなんて事全然ないっ!!」
とりあえず主張しておく。
それからおもむろに考える。
どういう順番で話すのが良い?
そんな事を考えているとまた
「無理しないで良い…。
同性って事もあるし…それ以上に俺みたいな奴に好かれても気持ち悪いだけだろ…」
と、始まるので、俺様は覚悟を決めた。

重要なのは、アルトがもう従兄弟に気持ちがない事。
そして俺様を好きだと言ってくれている事。

結局アルトに見せていた俺様というのは俺様から立場とか仕事とか諸々を取った本質なわけだから、そこを好きになってくれたのだとしたら大丈夫っ!
一緒にいることでアルトにストレスを与えたりする事はないっ!
あとは俺様の側の諸々をカミングアウトして怒られたりしても、俺様が土下座でもなんでもして縋れば済む話だっ!
幸運の女神は前髪しかない。
通りすぎてから気づいてももう手遅れなのだ。
だから俺様は見えて来た女神の前髪をガシっと掴む事に決めた。

「引くって言うなら、俺様の本音知ったアルトの方が絶対に引くからっ!
でも誓って言うっ!
俺様がアルトと一緒に居る時に見せてた俺様はまぎれもなく俺様の本質だからな?
俺様の環境とか諸々、その本質に付随するだけのものだから、アルトが望むなら変えられるし変えて見せる」

両手でガシっとアルトの腕を掴んで、俺様は身を乗り出した。

「1年半前、アルトを初めてここに案内した時からアルトが好きだったっ!
正確には、それが恋情って意味の好きだって気付いたのは、1カ月後、アルトに恋人がいるって知った時だったけど…。
アルトは必ずしも恋愛って形を望んでないにも関わらず孤独感から前の恋人の恋情を受け入れて結果傷つけられたのは知ってたから、アルトが望むならずっと友達のままでいいと思ってはいたけど、アルトが嫌じゃないなら、俺様はアルトの恋人になりたい。
誓って絶対にアルトを傷つけたりしない。
本当に大事にする。
大切にするから、俺様の恋人になって欲しい」

――…うそだ…
という言葉と共に、大きく見開いたアルトの目からまたポロリと涙が零れ落ちた。

「嘘じゃねえよ」
「…だって……俺…そういう意味で好きでもないのに1人が嫌で恋人の申し出を受け入れたような不誠実なやつで……」
「…うん、辛かったよな」
と、また頭を撫でてやると、アルトは堰を切ったように嗚咽した。

「…っ…なんでっ……同情なんて……っ……」
「同情じゃねえよ。
嘘付きって言うなら俺様の方が引かれるレベルでついてるぞ」
「…??」
「アルトが毎週水曜日15時から16時までこの店に来るって知って、この店買い取ったっ」
「…??…へ??」

ぴたっと涙が止まって、まん丸の目が俺様を見あげた。
あ…これ言ったらやばいレベルの話だったか?
そうは思ったものの、もうここまで言ったら全部言うしかねえ。
俺様は覚悟を決めて話を続けた。

「バイトっての…嘘。
アルトの事好きで…アルトと一緒に快適に過ごしたくて……店買い取って水曜のアルトが来る時間だけここに居る事にしたんだ」
「…えっと……そのために転職…とか?」
「いや?この店は単なる道楽。本業は実子のいない大叔父から引き継いだ別の会社の経営者」

あ…固まった…引かれたか?
と、さすがに自分のストーカーっぷりに自分で引いていると、次の瞬間、アルトは白い頬を真っ赤に染めた。

「それって…なんだかすごく俺の事好きみたいだよな……」
と、そのアルトの言葉に俺様はがっくり肩を落とした。

「みたい…じゃねえよっ!
やばいレベルだろっ?!
アルトの事好きすぎだろうよ、俺様っ!!」
もう俺様も真っ赤になって叫ぶと、アルトはさらに頬を赤く染めてうつむいた。

このペースで話進めてると、日が暮れる。
アルトの元恋人を完全に追っ払うためにも、アルトとそのあたりの話はきっちりつけておかないとならない。

「ってことで…だ、ステディリングとか花束とか、そういうものはあとでちゃんと用意するっ!
俺様は本当に本気だっ!
俺様の恋人になってくれっ!!」
ガバっと頭をさげると、頭上で小さな小さな声で、うん…と了承の声がした。




それからは色々が早かった。
…というか、早急に進めた。

まずアルトの元恋人。
そいつとはこの店で待ち合わせていたらしい。

「…ちゃんと…言おうと思ったんだ。片想いだけど好きな相手がいるからって。
絶対に一生片想いだけど、ずっと想い続けて居たい相手が出来たから、お前に迷惑はかけないから大丈夫って……」

赤くなって俯いて、小さな小さな声で語るアルトは壮絶に可愛い。
本当は今すぐお持ち帰りしたい…が、相手とはきっちり話をつけておかないとなので、俺様はジリジリと焦れながら約束の16時半をアルトと一緒に店で待った。

そうして約束の時間を10分ほど過ぎた16時40分。
ぴよぴよっとドアを開けると鳴るようにしている小鳥さんのベルが鳴った。

「全く、君ってしょうがない人だなっ!
俺はいくらでも彼女なんて作れるんだけど、そんなに俺じゃないとって言うなら、弱者を救済するのもヒーローだからねっ☆
仕方ないからまた付き合ってあげるんだぞっ」

…………
…………
…………

正直…頭おかしいのかと思った。
つか、アルト、いくら他に周りにいなかったからって趣味悪すぎじゃね?
男は入ってくるなりいきなり叫びながら一路アルトの方へ。
いや、確かに他に客いねえよ?
でも居たらどうすんだよと、知人じゃなかったとしても思う。

背は俺様と同じくらいだが、横がふんわりと俺様の1.5倍くらい?
その体型と、そして家系なのだろうか…やっぱり若干童顔な顔のせいで、余計に子どもに見えるその男は上機嫌で、アルトの前の俺様の指定席に座りやがった。

若干カチンとくるものの、一応今は俺様は店の側の人間で、相手は客だ。
そこに座るんじゃねえ!という権利は当たり前だがない。

仕方がないのでいらっとしながらも、万が一そのイライラが抑えきれなかった場合に備えて、俺はまずドアに休業中の札をかけにいった。
そうしておいて男のために水のグラスを持って行く。

そんな間にも話は進んでいた。

「だいたいね、君がもう少し恋人らしい態度っていうのをわきまえてくれれば、俺だって別れようなんて言わなかったんだよ?
少しは反省してくれたかい?」

盛大に斜め上の理論を展開する男に俺様は頭が痛くなってきたが、アルトはその手の会話に著しく向いてねえんだろうな。

「ああ、俺は良い恋人じゃなかったよな。悪かった」
などと、相手が都合の良い誤解をするような事を口にしちまう。

大丈夫か?本当に…などと俺様はハラハラしながらも、口を出せる立場ではないので見守るしかなかった。

男は案の定アルトの言葉に誤解をしたらしく、満足げに頷いて
「わかればいいんだよ。そうと決まれば、さ、俺の家に行こうか」
と、アルトの腕を掴んだので思わず間に入りかけたが、アルトは自分でその手をそっと外して、立ち上がった男を座ったまま静かに見あげた。

「そうじゃなくて…俺が言いたいのは、そういう意味で好きでもないのに、1人になるのが怖くて恋人付き合いを了承してしまったという事を悪かったな…と」
「はあ??」
男にとってはそれは本当に思いもよらない言葉だったらしい。
「何言ってるんだい?!!」
と、男は再度椅子に座りなおして、身を乗り出した。
「君、昔から俺の事大好きじゃないかっ!!」

ああ、本当に休業の札かけといて良かった。
これ…男は勝手に言ってるから良いけど、アルトにとっても他の人間いたら羞恥プレイだよな。グッジョブ!俺様。


「…そうだな。でも愛情を全く知らず育った俺は愛情に種類があることを知らなかったんだ」
「…どういうことだいっ?!」
「つまり…それは親愛。親が子に、子が親に、または兄弟が互いに向けるような愛情で、恋情とはまた違うんだよ、アル」
言われて男は目を見開いた。
そして一瞬言葉を失って、次に叫ぶ。
「違わないよっ!!俺は違わなかったし、君も違わないっ!!」
「違うんだ。俺はわかったんだよ、アル」
「何がだよっ!!」
「恋情で人を好きになるってこと。
血のつながりがない、たまたま同じ家系に生まれたわけでもない、その時手放せばもう本当に会える可能性もなくなるような細い繋がり…だけど、手放せない。
求めずにはいられない…そんな愛情を…だ。
お前だってきっと本当はわかってるんだろう?
血のつながりのある俺を放っておけなくて恋人って形をとったけど、やっぱりそういう意味で心惹かれるレディに出会ったから一度は俺に別れをつげたんだし…」

「違うよっ!!!」
ダン!!!と男はテーブルを両手で叩いた。

「ほんっとに君は昔っからぜんっぜんわかっちゃいないんだっ!!
俺が好きなのは昔から君だけだし、君を守るために大きくなったっ!!
好きな子が出来たなんて嘘に決まってるだろっ!
君が素直にならないから気持ちが離れてしまうかもって思えば少しは素直になるかと思ったらあっさり諦めるしっ!!
でも本当は君だって俺の事諦められないから俺の家の駅をうろうろしてたんじゃないかっ!
いい加減素直になってくれよっ!!!」


あちゃ~…と、俺様は額に手をあてた。
男の言葉にびっくり眼のアルト。
俺ですら予測していた男の気持ちを全く予想だにしていなかったらしい。

え?え?という顔をしている。

「あの…アル?」
「…なんだいっ?!」
大きくため息をつく男に、アルトは本当に相手が可哀想になるくらい悪気なくトドメをさした。

「ごめんな。俺がうろうろしてたから誤解して気を使ってくれたんだな。
本当にごめん。俺があれからこの駅に足を運んでたのはお前のせいじゃないんだ。
この店に来て紅茶飲みながら話をするためで……」

「はぁ??」
男の時間が止まった…と思う。
文字通り男がピタッと時間でも止まったかのように固まった。

そんな男の様子に全く気付く様子もなく、アルトはそれはそれは嬉しそうに語り始める。

「お前に別れを告げられた日の1年くらい前かな。
俺、お前が嫌がるから駅前を避けて公園にいたら、暑いし日射病にでもなったらってここの店員に声かけられてこの店知ってさ。
それから毎週ここで紅茶飲みながらそいつとおしゃべりして時間潰してたんだ。
お前と別れた時もやっぱりここ来て話とか聞いてもらううちに親しくなっていって…気づけば好きになってたんだ。
今日はてっきりお前に別れたあともつきまとわれるのは迷惑だって言われるんだと思って、俺は片想いでもちゃんと好きな相手が出来たから誤解だし大丈夫だって伝えるためにこの店を指定したんだけど…好きだって玉砕覚悟で言ったら相手も好きだって言ってくれて…その……心配してくれてありがとうな?
俺はもう大丈夫だから、お前はお前が本当に好きになれる素敵なレディ見つけて幸せになってくれ」

少しはにかんだ愛らしい笑顔。
実に晴れ晴れしい様子で言うアルト。
相手が本当にアルトを心配して仕方なく付き合ってきて、今も同様の事をしようとしていると信じ切っている目だ。
本当に恋情を向けられているなんて微塵も思ってない。
天然て怖えな…。

男はショックと驚きのあまり言葉もなく口をパクパクしている。
これは我に返って揉める前に、お引き取り願った方が平和そうだ。

ということで、俺はそろそろ介入する事にしてアルトの横に立つと、その肩に軽く手をおいた。

「ということで、初めまして。
この店のオーナー、ギルベルト・バイルシュミットだ。
アルトの事は俺様が一生責任を持って大切にしていくから心配しないでくれ」
という俺様の言葉に男はハッとしたようだ。

「ちょ、ちょっと待ってくれよっ!
君、カフェで知り合っただけの男なんて大丈夫なのかいっ!!」
と、まあアルトの方に詰めよるが、それに対して口を開きかけるアルトを制して、俺様は本業の方の名刺を男に差し出した。

「カフェの方はまあ道楽でな。
本業はこっちだ。気になるなら本社に問い合わせてもらって構わねえから。
そそ、まだ先だけど就職の時期になったら良ければ相談に乗るぜ?」

オスト・バイルシュミット・コンツェルン社長の肩書は普段は面倒だが、こういう時は便利だ。
男にとっては本日二度目の衝撃だったらしく、やっぱり言葉もなくパクパクし始めたため、俺は厨房にいる秘書に

「クレンツ、自宅まで車で送ってさしあげろ」
と、命じると、有能にして頭の回転の速い秘書は
「かしこまりました。さあ、まいりましょう」
と、男の腕を取って駐車場へと誘導した。




そして…本当に店に2人きり。

「さ、色々片付いたし、食器片付けて帰るか~」
と、俺様はトレイに食器を乗せる。
「え?店は?」
「ん?気付かなかったか?あいつが来た時点で込み入った話になりそうだったし休業の札出しといたから、もう今日は店終いだ」

俺様がそう言うと納得したらしく、アルトも手伝ってくれて2人で片付けをして戸締りをした。
それが終わると俺達は揃って店を出る。

まだ少し肌寒い初春の道をアルトと並んで歩きながら、俺様はそっとアルトの方に手を伸ばし、今まではしたくても出来なかった恋人繋ぎと言うやつをやってみた。
ビクっと少し硬くなって…真っ赤になって俯くアルト。
でも手を振り払われる事はない。

「…なあ、アルト……」
ガラにもなく緊張するのは、たぶんこれまで考えてもみなかった…というか、考える事を許していなかった事を考えているせいだ。
俺様の声に、アルトは顔をあげてチラリと俺様に視線を向けた。

「もう…お前も春休みだろ?」
「…そうだけど?」
「…今日…つか、しばらく俺様ん家に泊まっていかねえ?」
「……っ…」

隣でアルトが息を飲む気配がする。
色々に鈍感だったアルトだが、さすがに恋人になってから相手の家に泊まるっていうのが、何を意味するかはわかっているようだ。

「…いや…なら、夕飯食ったら送って行くけど?」
と逃げを打ってしまうのは、拒否られるのが怖いから。
ヘタレと言うなかれ。
どんだけ片思いしてたと思うんだ。
恋情を自覚してから絶対に相手にそれを向けられないと諦めていた相手とそういう関係になれたら、誰だって臆病なくらい慎重になるだろ。

「…いい…けど。泊まっても……」
対するアルトの声も緊張している。
けど、その短い返事に、俺様が歓喜したのは言うまでもない。



まあこうして俺様達は恋人同士になったわけなんだが……ここで俺様はとんでもない勘違いをしていた事を知る事になる。

帰り道、いつものように2人でマーケットで夕飯の食材を買った帰りに、薬局で嬉し恥ずかしローションとゴムなんてものを購入。
ま、それらはアルトが恥ずかしがるので、俺様が1人で買ったわけなんだが…。


夕飯食ったあと、さあやってきました、どきどきタイム。
俺様は同性とやったことはねえけど、悪友の1人がバイでよく話は聞いてたし、アルトへの恋情を自覚してから、こっそり同性だとどうやんのかとかネットで調べたりはしていた。
いや、実際にアルトと出来るなんて思ってもみなかったわけなんだけどな。
まあ基本的には女とやる時と具体的には違っても姿勢は違わないだろ…なんて思っていたしたわけなんだが…

いざ始めてみると、アルトがすげえ緊張してるのがわかる。
身体ガチガチにこわばってるから、もしかしてあいつが乱暴なやり方してて苦痛をあたえられるものっていうイメージがあるのか…と、俺様はその認識を払拭すべく頑張った。
優しく優しく、これ以上なく優しく。
そうしているうちに最初は羞恥で啜り泣いていたアルトの声が、だんだん甘さを含んできて、最後はすげえ可愛い声で啼いていた。

そうしてことが終わると張り詰めていた糸がぷつん…と切れたように眠っちまったアルトの後始末をしてやって、自分も身を清めてシーツを取り変えて…と、色々が終わったあとにその日は一緒のベッドで眠って翌朝…俺様はとんでもない告白をされることになった。

――は、初めてだったあぁああーーー?!!!!!
いや、普通思うだろ?あの状況なら絶対にやってるってっ!!!
ところがアルトいわく…弟みたいに思っていた相手だったから決心がつかずにずっと断り続けてたとのことで…ああ、なるほど、だから恋人らしい…を繰り返してたのか、あいつ。

それでも強引にやらなかったのは褒めてやっても良い…というか、一応あいつはあいつなりにアルトを大事に思っていて意志も尊重していて、女の影でも見せれば焦って受け入れると思っての事だったのかもしれないと思うと、少し…少しだけ気の毒になった。
まあだからってアルトはもう譲れないわけなんだけどな。


逆に言えば…俺様にだったら抱かれても良いと思ってくれた事にちと感動。
俺様はそれからきちんとプロポーズして、指輪も買って、アルトが照れて嫌がるから周り中にとはいかなかったが弟のルッツにだけはちゃんと紹介して、そのまま一緒に暮らし始めた。

その後、卒業したアルトは俺様の一番身近な秘書に。

そして…俺達の思い出のカフェ【小鳥のさえずり】は、何故か悪友の1人が気に入って引き継いで、気に入ったと言うわりには日々投げやりなインスタント感満載のコーヒーを提供している。

ただし週に1日、水曜の午後だけは、最高級の茶葉を最高級の技術を持ったアルトが淹れたこの世のモノとも思えない素晴らしく美味しい紅茶が飲める店として、俺様の知己を中心に知る人ぞ知る店として知られるようになった。 





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