もちろんそれはマンションまで送ってくれると言う事ではなく、当座、アーサーのマンションで一緒に過ごしてくれると言う事だ。
そのためにルートに着替えと一緒にノートPCも届けてもらったらしい。
嬉しい…嬉しいけど……
「あの…ルートは良いのか?」
そう、彼には弟がいる。
早川に言われたように別にアーサーの敵意を持っているわけではないだろうが、たった1人の兄…しかもこんなに頼れる兄を取られたら良い気分はしないだろう。
そう思っておそるおそる聞くと、
「ん。元々お姫さんが誘拐されたあたりであいつからはだいぶ手を放してるけど、あいつはあいつでフェリちゃんの事で忙しいらしくて問題なさそうだしな。
どっちも大事だけど…どちらかしかフォローできねえってなったら、どう見ても大丈夫そうじゃねえのはお姫さんだし、俺様が選ぶのもお姫さんだ。
ルッツは可愛がって育ててはいたけど、自立出来るように育ててるしな。
ああ、でもお姫さんは…完全には俺様から自立はしねえでくれよ?」
と、頭を引き寄せて額に口づける。
うあぁあーーーとアーサーは額を両手で押さえて真っ赤になった。
本当に…本当に少女漫画か乙女ゲーか…
ギルはそんな中に出てくる非現実イケメン達のような事を平気でしてくる。
「さあ、行くか」
と、わずかばかりの自分とアーサーの荷物を持ち、警護の警察官に敬礼されながら、「お疲れ様です」などと慣れた風に軽く頭をさげ、アーサーの手を取って病院を出ると、当たり前にタクシー乗り場へ。
アーサーを先に乗せて自分が乗り込むと行き先を告げ、――買い込んだ林檎がひにち経って柔らかくなっちまってるかもだから、パイにでもすっか――などとあんなことを経験した直後とは思えないくらい落ち着いた様子で話し始める。
全くギルはすごい奴だと思った。
自分自身の身は当然守りながら、パーティーメンを気遣い、殺人犯を探し出し、アーサーの事まで救出してくれて、しかし全然気負った感じがない。
全てが日常生活の範囲を出てない事のように当たり前にこなし、それと同等の事のように不在の間に時間がたってしまった林檎の事まで覚えていて気にかけているのだ。
しかもなんと言った?パイにする?
パイなんてものまで普通に作れるなんて本当に信じられない。
しかも
「ギルはすごいな。パイまで焼けるのか」
と、感心して言うアーサーに
「何言ってんだ。お姫さんも一緒に作るんだぜ?」
なんてアーサーにも手伝わせてくれるような事を言うのだ。
楽しみで嬉しくて、アーサーまで一昨日までの事なんて忘れて浮かれてしまう。
こうして自宅マンションについて手洗いうがいをしたあと、ギルは洗い物を早々に洗濯機に放り込んで回すと、休む間もなくマンションに置きっぱなしの自分のエプロンを身につけて、冷蔵庫から林檎を取り出した。
「ほら、お姫さん、これ剥いて、適当な大きさに切ってくれ。どうせパイ皮に包むから本当に適当で良いから」
と彼が投げて寄越す林檎を慌てて受け取って、アーサーは包丁を握る。
そうしてアーサーがテロテロと皮を剥いて切っている間にギルは砂糖、レモン汁、シナモンなどを用意して、アーサーの切った林檎を鍋に放り込むとそれらと一緒に煮込み始めた。
当たり前に目分量なので作り慣れているのだろうか…と聞いてみると返ってきた答えは
「あー普段はきっちり計りたい派なんだけどな。
フルーツ使う物は元々の甘みや大きさ、酸味の有無によって味付けなんて変わるだろ。
だから仕方ないから味見しながら調節する」
で、つまりは慣れているのだな、と、アーサーは納得した。
シンプルな厚手の黒いエプロンを身につけ、鼻歌交じりに味見用のスプーンを片手に鍋をかきまぜているギルベルトは、まるでドラマの1シーンのようにカッコいい。
出来る男は勉強だけじゃなく何でも出来るんだなぁ…とアーサーがその姿にしばし見惚れていると、視線に気づいたらしい。
ん?というように少し視線をあわせて微笑むと、
「ほら、お姫さんも味見するか?」
と、煮込んだ林檎を一切れ口に放り込んでくれた。
少し濃いめの甘みに程よい酸味、それにふわりとシナモンの良い香りが味わいを添える。
「…美味しいっ!」
と、思わず言うと、そうか、と、また笑う。
ギルは整いすぎるくらい整った容姿のせいで黙っているとやや冷たい印象を受けるが、こうして笑みを浮かべるとどことなく温かい。
その行動性や言動とあいまって、本当に懐の深い兄貴という雰囲気がする。
そうやって料理をするギルに見惚れているうちに、どうやらパイの中にいれる林檎が煮えてきたらしい。
「今日ゲームしながら食えるように小さめにすっか…。
お姫さん、そこにパイ皮用意してるからそれを1枚8等分に切ってくれ。
で、もう一枚は同じく8等分にして二本横に切りこみな」
言われてアーサーはキッチンバサミで長方形のパイシートを8等分にして切りこみを入れた。
そこでギルが切りこみの入っていない方のパイシートに煮た林檎を乗せて行き、
「じゃ、切りこみ入ったシートかぶせて四方をフォークでまんべんなくプスプスと突き刺して固定していってくれ」
と、指示をする。
こうして四角形のパイが出来、上につや出しのための卵黄を刷毛で塗って、砂糖をぱらぱら。
それをオーブンで焼いて出来上がりだ。
こうしてまるで魔法のように出来上がるアップルパイ。
「一つだけ味見な」
と、ギルと一つずつ焼き立てのパイを頬張ると、なんだか幸せな味がした。
ギルと一緒だと今まで出来ないと思っていた事が普通に出来てしまう。
そう…ギルは魔法使いみたいだ。
これまで薄暗かったアーサーの世界をあっという間に明るく温かい色合いに染めてしまった。
そんなギルが夏休みのあいだじゅうアーサーと過ごしてくれると言うのだ。
幸せでないわけがない。
「じゃ、片付けて夕飯の準備するな」
と、焼き立てのパイをトレイの上に移して粗熱を取る間、手際良く片付けて行くギル。
167cmのアーサーより頭半分くらい大きいが、決してムキムキとしているわけではなく、全身筋肉質なのが見て取れるモノのどちらかと言えば細身の後ろ姿。
それでもそれは誰より大きく頼もしい背中だ。
…ギル……
ふらふらとほとんど無意識にその背に抱きついて頬を寄せてみると、洗い物をするギルの手がピタッと止まった。
…あ……と思った時にはクルリと振り向いたギルに抱き締められていた。
腕にすごく力が入っているのはわかる…わかるが、それでも苦しくないように絶妙に体のラインぎりぎりくらいの空間を作っている。
…お姫さん…それまずい。俺様ちょっとまずくなるから……
と少しこわばったような声で言われて、もしかして嫌だったのか…と涙目で距離を取ろうとすると、あー違って……と、ギルは頭上でため息をついた。
「…俺様な…ハッキリ言って特別な意味で好きになった相手ってお姫さんが初めてなんだわ。
だからお姫さんに関してはすごく余裕がねえ。
あんま可愛い事されすぎると、理性飛んじまうから…」
…ほんと…やばいから……
と、少し照れたような声音で言われて、アーサーの方が真っ赤になった。
そして二人してしばらく硬直。
その強張りを破ったのは、ぐぅぅ~っと空気を読まずに鳴るアーサーの腹の虫。
うああぁぁーーと恥ずかしさに真っ赤になるアーサーだったが、ギルは少しホッとしたようにクスクス笑いながら
「すぐ飯作るな」
と、抱き締めた腕を解いてアーサーの頭を一度くしゃりと撫でると、シンクの方へと向き直った。
こうして少しの気恥かしさを残しながら夕食。
その後はアーサーが紅茶を入れてギルは持参した自分のPCの準備。
ついでにアーサーのもリビングの自分のPCの隣にセッティングする。
そしてアーサーが紅茶と今日焼いたアップルパイを持ってリビングに来たあたりで時間になって二人は初めて並んでログインした。
それからは日々ギルとリビングに並んでログイン。
午後に茶菓子を焼いて紅茶と一緒に食べながら…というのももはや習慣だ。
アーサーとギルが一緒にログインしているからだろうか…
いつのまにやらルートとフェリも並んでゲームをするようになったらしい。
2対2に分かれて仲良くゲームをして4日。
今回は3回目の魔王へのチャレンジだった。
前2回で魔王の間への道のりをマッピングした。
魔王が出てくるまでの雑魚も全て研究しつくした。
あとは魔王を倒すだけだ。
フェリが攻防命中を上げる歌をかけると、雑魚戦闘と違って敵の攻撃を他に向けない様にまずルートが切り込む。
もちろんこの中では一番防御高いからだ。
ベルセルクは攻撃力も素でシーフの4倍、エンチャの8倍ある。
さらに装備できる武器防具自体の性能も一応ウォーリアと並んで数少ない純近接アタッカーなので他のメンバーより段違いに高い。
他が20、30ほど削ってる間に、100以上のダメージを与えてる。
これは…一億はルートの所に行くのだろうな…と、別にそれを不満に思うでもなくぼーっとそんな事を考えながらアーサーが皆から少し離れた後方でひたすら魔王を殴っているパーティーメンを眺めていると、
「ルッツ、そろそろ沸くっ!」
と、ギルが指示を飛ばした。
そこでパーティーの後方、アーサーのあたりまで走るルート。
辿りつくと同時くらいに再度沸く雑魚敵。
いつも雑魚敵はフォローをいれるのがフェリだったのだが、いきなりのギルのルート指名に不思議に思って注意してみると、フェリは切れかかってる能力アップの歌をかけ直し中だ。
ギルってよく見てるなぁ…。
感心しつつ見ていると、後方へと走るルートを追いかける魔王をさらに追うギルが、そのままオートで後ろからプスっと斬りつけた瞬間、
ピカ~っと光を放って魔王の身体が霧散した。
え??えええ????
なんだかめでたそうな音楽がなっている。
コングラッチュエーションだ…
どうやらギルの一撃がトドメになったようでギルの周りを光がクルクル回り、呆然とディスプレイを眺める面々をよそに、どうやら魔王を倒した祝いといったような画面が流れて、ストーリーが進んで行く。
そして有無を言わせず終了画面。
めでたそうに平和が戻った事を喜ぶお城の面々の画面のまま、テロップが流れた。
『魔王討伐お疲れさまでした。
今回参加して頂いた皆様には当企業の側でささやかながら祝宴と粗品をご用意しております。
また、その場で一億円の授与式も予定しております。
明日午前中、それぞれのご自宅にお迎えにあがりますのでご自宅前でお待ち下さい。
なお、お迎えに上がる時間には多少差がございますので、別個メールにてお知らせいたします。』
なんともあっけない終了宣言である。
「終わった…のか……」
と、当のギルベルトもポカンとしている。
アーサーも同じくだ。
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