オンラインゲーム殺人事件第八章_1_慟哭(20日目)

――悪いルッツ、○○病院に俺様のパジャマとPCを持ってきてくれないか?
兄の“お姫さん”が誘拐されたと連絡があってから数時間後、その兄からそんな電話があった。



病院…と言う事は誰か怪我をしたのだろうか…と、聞きたいところだが、兄も忙しそうだ。
自分の好奇心で手を煩わせてはいけない。

だからルートは一言だけ
「無事救出したのか?」
とだけ聞いて、兄から肯定の言葉を聞くと、兄の着替えを取りにいったん自宅へ戻る事にした。

そしてそれを手に病院へ。

受付で名と事情を言って病室を聞いて病室前に行くと、警護の人間が立っていた。
そこでも名を言うと、部屋に通される。

そこに今まで見たことのないような兄がいた。

いつでも冷静でいつでも余裕があって、この人は一生本気で焦ったり悩んだりはしないんだろうと信じていた天才の兄。
それが少し疲弊した様子で気遣わしげに部屋にあるベッドの上に視線を向けている。

「…兄さん…」
と、声をかければ、兄はゆるゆると顔をあげた。

「おう、ルッツ。悪かったな、ダンケ」
と笑う顔にも力がない。

「…このくらいは構わないが…大丈夫なのか?」
と問えば
「ああ、外傷は全くないらしいから、念のための一日入院だ」
と言うので、ああこの人は相変わらずだ、と、ルートはため息をついた。

気遣われる言葉と言うのは常に自分以外に向けられていると思っている。
実際…何でもできていつでも余裕なので、他人が気遣うまでもないし気遣われないと言うのも正しいのだが……

「いや、アーサーの事じゃなくて、兄さんの事だ」
と、その認識をただしてみると、兄は
「俺様?」
と目を丸くした。
そして笑みを浮かべる。

「ああ、俺様はちょっと腕に怪我したくらいで、全然平気」
「…それにしては随分疲れているようだが?」
「ん…まあ今回は…な。
俺様のミスでお姫さんに怖い思いさせて心を傷つけちまったからな。
猛反省中だ。
自分の力の過信はダメだな…」

くしゃりと前髪を掴んだまま少し天井を仰ぐように上を向いてほぅっとため息をつく兄は男から見てもカッコいいと思う。

ゴツさもなくどちらかと言うと細身で綺麗で、まぎれもなくやや疲労気味というか弱っているのだろうと思うのに、勝手に自分で立ち直るから放っておけと、助けの手を差しのべられても取らないであろう孤高さを感じる。

自分に対してはいつも適切に助けの手を伸ばして来るこの兄に自分が出来る事といったら今回のようなお使い程度の事だけなのだと思うと、なまじ1歳しか違わない兄弟だけに情けないとルートはやや落ち込んだ。

なのに兄はそんな事を考えている自分の内心すら見抜いているような気がする。

「ルッツも…もう手ぇ離しても全然第一線でやっていけるくらいになったな。
今回にしても、あんな電話いきなり受けて、感情的にならずに自分の成すべき事を成すためにフェリちゃんの所にきちんととどまれるとか、そこらのガキなら無理だから。
お前がしっかり後を守ってくれてるってわかってるから、今回思い切り動けたんだ…」
などとフォローまでいれて来るのだから侮れない。

そんな話をしながら兄が手を伸ばして来るのでルートはその手に着替えを渡してやった。

「ちょっと着替えさせるな」
と、それを受け取ると何故かカーテンを閉める兄。

別に同性なのだから良いのでは?と思うのだが、そう言ってみたら
「お姫さんはダメ。例えルッツでも他の奴の目に触れさせるのは俺様が嫌だ」
と、兄にしては随分と可愛らしい焼きもちが返ってきた。

この人でもこんなことを言うのか…と微笑ましい気分になりながら大人しく待つ事にして、ルートはふと小テーブルの上の紙の束に目を止めた。



『アゾットの日記 -1- 

ネットゲーの勝者に1億与える…
主催の主旨はわからないが面白い試みだ。

こういう物に参加する奴はたいていは2種類。
1億本気で狙う馬鹿、あるいは暇つぶしで10万もらえればいいや程度の危機感のない馬鹿。

まあ…稀にどこぞの馬鹿会長みたいに、欲に走る奴らで混乱するだろうゲームの中で秩序を守ろうなんて事をくだらない正義感から考える物好きもいるかもしれないが。
…どちらにしろ馬鹿には違いない。

さて…どうするか…
馬鹿は相手にしないという選択もありだが…せっかく与えられた娯楽だ。
馬鹿を観察しながら笑ってみるのも悪くはないな。
上手くすれば金に目がくらんだ馬鹿が殺人に走る姿くらいは見られるかもしれない。

しかしみすみす巻き込まれて奔走するのもまた馬鹿というもの。

決めた…。ジョブはプリースト。
善良の象徴であり、また魔王を倒すと言う観点から見ると無害の象徴…。

一般馬鹿から善良な人として情報を集め、金に目がくらんだ加害者からは無害な人間として安全な立場を保てる。

そして…この馬鹿げた人間達が演じる悲喜劇を高みから見守る超越した知能を持つ存在として君臨する…退屈しのぎとしてはまあ悪くはない。』


これは……!!とルートはその紙を手に取った。
もしかしてこれが今回の事件の真相か?!
「兄さん、この紙はっ!!」
と、思わずその紙束を持ってカーテンを開けると、ルートを見あげたギルは一瞬しまった!と言う表情をする。

見られては困るモノ…なのか?
自分だって事件の当事者なのに?
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
兄は少し悩んだ末、何かを決意したようだ。

「犯人は実行犯と参謀役の共犯で、結局仲間割れで参謀役の方は殺害され、実行犯は捕まった。
それは参謀役の方が今回の諸々について残した日記だ。
だから読まないでも問題はない。
世の中には知らない方が良い事もあるし、それもそのたぐいの事だとは思う。
ただ、それでも全てを知って全てを受け止め、それを今後の糧にしたいと思うなら、それ相応の覚悟をして読め。
ただしそれは押収品のコピーだから門外不出。読むならこの部屋でな」
と、再度カーテンを引いて着替えを再開した。

兄の言う事はいつも正しい。
だから常に兄の言う事は尊重してきた。
だが、今回のこれは…おそらく兄が止めても見ると思う。

自分の身に何が起こっていたのか、その時にどうするのが正解だったのか、自分に何か要因があったのかなどなど、こんな事は人生で二度と起こらないとは思うモノの、絶対とは言い切れず、万が一があった時にはその知識の有無が生死を分ける可能性だってあるのだ。

いつまでも兄に守られるだけの子どもでは居られない。
それは兄も自分に大切な相手が出来、おそらくルートもそうであろうと思っているからこそ強くは止めないのだろう。

過去の恐怖体験で背後に怯える子どもではもはやない。
よほど恐ろしい事態だったのだろうが覚悟はある。

そう思って読み始めたルートは、兄が言っていた“覚悟”の種類が自分が想像していたものとは全く根底から違うものだったのだと言う事を思い知ることになった。




まず1部…アゾットがプリーストを選ぶまで。
ふざけた男だと思う。

『まあ…稀にどこぞの馬鹿会長みたいに、欲に走る奴らで混乱するだろうゲームの中で秩序を守ろうなんて事をくだらない正義感から考える物好きもいるかもしれないが。
…どちらにしろ馬鹿には違いない。』
というのはアゾットにも自分達のような知り合いがいるのだろうか…。
会長という人種はみな指向性が似ているのだな…と、ルートは妙な所に感心した。

2部目…ルートの顔がこわばった。
『ギルは名前からしても見かけからしても奴だ』
と言う事は、アゾットは兄の知り合いなのか?自分も知っていたりする人物なのだろうか…。
だから兄は覚悟をしろと言ったのか?
3部目…積極的に殺人をそそのかす記述。
誰だ?いったい誰なんだ?こんなことを考えるのは……
と思いながらも、ルートは先を読み進める事にした。

4部目…誰かはおいておいて知恵が回る人物には違いないが、その頭の良さを向けるべき方向に向けずにいるのは残念な事だと思う。

5部…息が止まるかと思った…
自分が兄といるのを快く思わない人物……
これは……どう考えても現生徒会役員なのだろう……。
いまだに会長と認められずにいて、決して好かれているとは思ってはいなかったし、むしろ嫌われている自覚はあったが、ここまで…善意の第三者を犠牲にしても構わないくらいの憎悪を自分が向けられていた?
6部…すでに読むのが辛い……
自分が兄を操ってアーサーに近づけさせた挙句、今度は邪魔になったアーサーを排除しようとしている…そんな事を吹き込まれていたのか……
もし…犯人の作戦が全て成功していたとしたらと思うとぞっとする。
いや、まだ誤解が解けたかどうかも確認出来ていないわけなのだが……


「…兄さん………」
ばさりと力なく紙の束をテーブルに置いて、ルートはふらふらと立ちあがった。

「…読み終わったか」
「…ああ」

兄が…いつも余裕で自信満々な兄が憔悴していた理由もわかった気がした。
大事な相手に自分の本意を捻じ曲げて伝えて居られたら心中穏やかではいられないだろう。

「…アーサーの誤解は解けたのか?」
と聞くと、小さくため息。
そして短く
「いや、これからだ」
と返ってくる。

なるほど、だから兄も余裕がないのだろう。
身の安全は確保したものの、心の方はこれからというわけだ。

しかも…それを引き起こしたのは知り合いだ。

誰だ…と言う気持ちと、誰かは知りたくないという気持ちが入り混じる。
しかし…新学期になったらどちらにしてもわかってしまう。
兄にしてもそこまで自分だけで持ち越すのは嫌だろう。
せめて…少しでも自分に対する気遣いを減らす…それがルートに出来る唯一だった。

「それで…結局アゾットは生徒会役員なんだな?
一体誰だったんだ」

極力声が震えないように、なんでもないような声を出せただろうか……

グッとこぶしに不安を握りこんでそう聞くと、兄は一瞬…ほんの一瞬だけ躊躇した。
それでもルートが思ったのと同様、新学期になればわかると思ったのだろう。
感情を殺したような…非常に無機質な声で言った。

――和樹だ。


………
………
……え?
聞き間違いだろうか?
だって彼は唯一……


「アゾットは生徒会副会長、早川和樹だった」
と、今度は聞き間違いようもなくハッキリと言う声に、クラリと目眩を覚えた。

心が揺れる…世界が揺れる。
ルートはもはや立つ力を維持するのを拒否する足を叱咤してグッと床を踏みしめた。

認めてくれているとは思っていなかった……
が、認められる人間になる事を許容くらいはされていると思っていた…
兄以外では唯一、自分が成長する事を望んでくれていると思い込んでいたのだ。

だが、努力しろ、成長しろと言ってくれている影でそこまで嫌われていた…?
そこまで…嫌われていた?
いや…嫌われてると言うレベルではない。憎まれていた…。
兄以外でたった一人…普通に接してくれていた相手にすら…いや、そう思っていたのは自分だけで……
自分は世界中に疎まれていたのか……
何がいけなかったのだろう…


「ルッツ?…大丈夫か?」

茫然としているルートに兄が声をかけてくる。
ああ、こんな風に本来自分の事と自分の守るべき大切な相手の事だけで手いっぱいの兄に心配をかけたりするような自分だから、周りから疎ましがられるのだろう…。

「ああ、すごく驚いただけだ。
あの人がそこまでやるとは思っていなかったから…
とりあえずそれでも確実に今回の一連の殺人を起こしていた相手はいなくなったのだな。
フェリに伝えてやらねばならないので、俺は帰る事にしようと思う。
何かあったら電話をくれ」

兄に負担をかけたくない。
でもこのままここにいれば確実にまた兄に気を使わせる……

ルートはフェリを口実に早々に病室を立ち去った。
いつも以上に背を伸ばし、しっかりした足取りで病院を出る。

照りつける日差しの暑さも感じず、むしろ寒気がするほどだった。


…消えたい…このまま自分が消えたらきっと幸せになれる人間が大勢いるんだろう…
大勢の人間を不幸にしてまで自分が存在する意義がどこにあるというのだ……

駅までの道々、歩道橋を上ってふと下を見ると忙しなく行きかう車…

ここから飛び降りたら……

リリリリリッ…!
いきなり鳴る携帯に、ハッと意識が戻った。
そして無意識に握り締めていた歩道橋の手すりから手を放し、柵から慌てて離れる。

そうしている間も鳴り続ける電話。

「もしもし…」
と、仕方ないので出てみると電話の向こうでは名前も名乗らないうちに
『ルートぉ…方程式わかんないよぉぉ…1人じゃ無理だよぉぉぉ……』
と、なさけない声がして、ルートは一気に肩から力が抜けるのを感じた。

「…二次方程式は昨日一緒にやっただろう……」
はぁ…と眉間を押さえてため息をつくと
『…うん…その時はわかった気がしてたんだけど……』
「わかった。すぐ行く」

自分も決して理解が早い方だとは思わないが、フェリの数学の理解能力のなさはすでに宇宙の神秘レベルだ。

最初に聞かれた問題を理解させるのに、なんと中学1年の数学まで遡って教えて、ようやく昨日高校1年の数学まで戻ったところだったのだが、まだ1人でやるのは早かったという事か…。

いかん、落ち込んでいる場合ではない。
自分がこのまま手を放せば確実に2年にあがれない男が自分を待っている。
誰に嫌われようと世界中の人間に必要とされなかろうと、自分がいなければ色々が終わる人間が確かに1人いるのだ…と言う事を今更のように思い出し、ルートはヴァルガス邸へと急ぎ舞い戻る事にした。




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