オンラインゲーム殺人事件第七章_4_夢の続き(20日目)

ふわふわと柔らかく温かく…しかしどこか心許ない。
そんな空気の中にアーサーは身を漂わせていた。

たぶん自分は死んだのだと思う。
そして全てが無に返すその前に、結局1人ぼっちのまま生きて死ぬ自分を憐れんだ神様が優しい夢を見せてくれていたのだろう。




最後のはっきりとした記憶は薄暗い部屋の中。
目の前には早川和樹の遺体。
そして…血にまみれたナイフを持った、彼を殺したのであろう殺人犯の姿。


本当なら恐ろしいはずのその状況に、アーサーはホッとした。
どうやら自分はこの誰にも望まれないどころか、存在自体を迷惑に思われているらしい生を終えられるらしい。

自分で死ぬなんて勇気は到底ないので、誰かが死なせてくれるならそれはとてもありがたいことだと思う。


夏休み…いや、ゲームを始めてからずっと、すごく嬉しかった…側にいてくれて…
楽しくて幸せで、でもアーサーがそう思うのと引き換えに、ギルが随分と我慢をしていたのだとしたら、申し訳なさ過ぎていたたまれない。

可愛い弟のためにとギルが我慢してくれていたのに気付かず、一緒に楽しく過ごしているのだなどという思いあがった事を考えていた自分の愚かさが恥ずかしすぎて消えてしまいたい……

それでも今死ねば少しは憐れんでくれるのかも…などとあさましい事を思う自分も嫌だが、それはアーサーの心の中でそっと思っているだけなので許して欲しい……

でも自分が消える事が…死ぬことがギルのためになるなら、喜んで死にたい…
そう思う気持ちがあるのも本当の事なのだ。

一時でも優しい夢を見せてくれたのだ。
苛立っていたであろう本心を見せないまま通してくれたギルの優しさには本当に感謝をしている。

ギルにとって自分が邪魔なら、本当に死んでしまったっていいんだ……


そう…死んでしまっても良いんだ…と思うのも本当で、でも考えれば考えるほど、ずっと誰にも望まれなかった自分が惨めで悲しくて、アーサーは考えるのをやめる事にした。
全てをなりゆきのままに……
そう思って視界や脳内から外界をシャットした…。



それからはまるでスクリーンの向こうの出来事のように、色々が一枚の厚いガラス越しに進んで行く。

血まみれになったシャツとカーディガンを脱がされて別のシャツを着せられた事も、引きずられるように知らない車に乗せられた事も…全てが遠い世界の他人事のようだった。

連れて行かれたのは広い運動公園のようなところで、ああ…こんな所にギルとお弁当や焼き菓子を持って来たら楽しいかもしれない…一瞬そう思って、そのありえなさに泣きそうになった。

一緒にキッチンに立ってご飯を作った事…アーサーにだってきちんと手順を踏めば作れるんだとクッキーの作り方を教えてくれて一緒に作った事…全部全部本当はギルは嫌だったんだ…我慢していたんだ……
そう思うとまた泣きそうになって、アーサーは慌ててまた心に蓋をした。

何をしていても油断をするとギルを思い出す。
どれだけ最近のアーサーの世界はギルで満たされていたんだ…と、呆れるほどだ。

考えてみればギルは日本で一番賢い高校生なのだ。
そのくせ勉強が出来るだけじゃなくてカッコ良くて料理も出来てコミュニケーション能力もあって…そんな完璧な人間が、自分みたいに誰からも相手にされずに距離を取られるような冴えない人間といて楽しいわけないじゃないか…。

外界をシャットすると今度はそんな内側からの自己嫌悪が襲って来て嫌になってくる。
殺すなら早く殺してくれないかな…と、小さく心の中でため息をついた。


そうして辿りついたトイレの前。
犯人は誰かに電話をしている。

そして2,3分たっただろうか……
遠くから走ってくるその姿には見覚えがある。

いや、見覚えがあるも何も、ずっとアーサーの心を占め続けている人物だ。

揺れる銀髪、白く整った顔が少し苦しそうに歪んでいて、額には汗。
ああ…まるでドラマのヒーローのようだ……カッコいいなぁ……

あんな相手に嫌悪されているかと思うと、自分がひどく醜悪な生き物な気がして、胸が押しつぶされそうになる…。
だからアーサーは慌ててまたもう一枚外界と自分の間にガラス戸を置いた。

あれは現実じゃない。
自分とは違う次元の中に存在しているものなんだ……

そう思わないと悲しさと惨めさで死んでしまいそうだった。


犯人がギルに交渉をしている。
アーサーの無事と引き換えにパーティーに自分が一億取れるように協力させろと言うものだ。

ああ…こいつ馬鹿だな……
むしろ俺を殺してやるからって言った方が協力してもらえるのに……
ギルにとっては……俺は邪魔な人間だから………

――待てっ!協力すんのはいいっ!協力はしてやるっ!
犯人の要求にギルが口を挟んだ。
ああ…もしかして逆に俺の事をなんとかしろって話するのか……

ズキリと胸は痛むモノの、反面アーサーはホッとした。
これで全て終わらせてもらえる……

そんな安堵は次の瞬間、驚き…そして焦りに変わった。

『俺様が身代わりになる。
同じパーティのルートは俺様の弟だし俺様が人質になっていれば絶対に協力するし、ルートが協力すればフェリちゃんも追随する。
お姫さんは開放してやってくれ』


うそ…だ……
そんなの嘘だ、嘘だ、嘘だっ!!!
少しの痛みを伴うモノの静かに穏やかな湖の底に沈みかけていた意識が引きもどされる。

「あーそいつぁ無理だな」
「何故だっ?!」
「お前…武道の有段者なんだって?そんな奴をずっと見張っとくのしんどいしな」
「俺様の事なら一億取り終わるまでグルグルに縛って転がして置いたってかまわねえよっ」
「縄抜けださねえとは限らねえだろ」
「じゃあ腕と足の骨折っておけっ!なんなら腱切ったっていいっ!
生きてりゃ人質としての価値はあるだろうし、物理的に拘束しなくても動けなくすりゃあいいだろっ!!」

何かの作戦なんだろうか……
ああ、犯人を油断させて捕らえるとかか?
そうすればもう誰もルートの邪魔をしたりしてこないから…。
だったら早くやってくれ。
そんな風に期待してしまう言葉を並べないでくれ。

わかっていてももしかしたら…と思ってしまう性懲りのない自分が嫌だ。
そうして分をわきまえない期待をして勝手に傷つくのだから…

いっそのこと種明かしをされる前に死んでしまおうか……


外界と自分を隔てたはずのガラス戸にバリバリとひびが入って割れた欠片が容赦なくアーサーの心を突き刺していく。
傷ついた心の痛みはもう限界だった……のに………


「…本気…かよ」
という犯人…
「本気に決まってんだろうがっ!!
お姫さんの無事より大事なモンなんて何もねえっ!!
なんなら今ここでやってやるから、人質交換だっ!
俺様を連れて帰れっ!」
そう言うやいなや、ギルベルトは万能ナイフをポケットから出すと、その場にしゃがみこんで自分の足首に刃を当てた。

え………うそ…………

何故?なんでそこまでするんだ……
ダメだ…そんなのダメだ……
俺が死ぬのは良いけど、ギルが怪我するような事はダメだろっ!!!
喉元にあてられていた刃は別に死んだって良いのだから…と、全く気にはならなかった。
自分がこうやっている事が飽くまでギルがそれを続けなければならない原因なのだとしたら、もういい。
クルリと振り向いて犯人を突き飛ばすと、アーサーは駈けだした。
それで後ろから刺されたってそれはそれで構わないのだ。

刺されて…大好きなギルの腕の中に倒れ込んで死ねたら……
それは幸せな死に方かもしれない……

後ろから犯人が迫っている気配がする。
目の前には必死な表情のギル……

ああ、死んだら可哀想くらいの気持ちは持ってくれているのか……
と、それがすごく嬉しくて、背に刺さる痛みを待ちわびたが、グイっとギルの筋肉質な腕に引き寄せられ抱え込まれる体……

汗と…石鹸の匂い。
ギルの匂いだ……

うっとりと思った瞬間、アーサーは気づいた。

ナイフはアーサーを切りつけることなく、庇ったギルの腕に突き刺さっている。
目の前が真っ暗になった…。

怪我をさせた……ギルに怪我をさせてしまった………
自分は死んでも良かったのに…死んだ方が良かったのに、ギルの方に怪我をさせてしまった……

わけがわからず号泣して、ギルの体温が離れて行った事にまたパニックを起こして号泣して……怪我をさせた挙句そんな傍迷惑な反応しかできなかったのにギルは戻ってきてくれて、アーサーを抱きしめてくれた。

「…お姫さん…良かった、怪我ないか?」
なんて……
アーサーの怪我なんてどうでも良い。
怪我したのはギルの方だ。
しかたなしに付き合ってくれていたのに怪我までさせてしまった……

なのに優しく宥めるように目元、額、頬、鼻先…とキスが降ってくる。
そしてその後…おそらくその頃にはきっとアーサーはショックで死んでしまっていて、神様がみせてくれた優しい夢の中にいたのだと思うのだけど……

――お姫さん…好きなんだ…何かあったら俺様も死んじまうほど……

本当に心配したんだ…とギルのルビーのように綺麗な目が物語ると同時に、息をのむほど整った顔が近づいてくる。
ああ…これが見納めなのかもしれない…と、アーサーはそれを凝視した………

そうか…自分はこんなことを望んでいたんだ………
死ぬ間際の夢はギルとの口づけ……

そう長くはない一生だったがそれにしても誰にも望まれず誰にも愛されなかった自分の最期の願望はまるで望まれて愛されているかのような口づけだったのか……

そう思うと何か悲しくて切なくて、そこからはずっと泣いていた記憶しかない。

…さん……お…めさん………おひめさん………

薄暗い中で膝を抱えていると、遠くで呼ぶ声が聞こえる。
声…大好きだった…いや…過去形じゃないか……大好きな…声……

現実じゃないのだから許されるだろう……そんな風に思って声の方へと手を伸ばすと少し固い…だけど温かい手に包まれて、心地よさにため息が出る。

…さん…お姫さんっ!!!
重い瞼をゆるゆると開くと、赤い目が見下ろしていた。
ひどく切なそうな…辛そうな顔で……

「お姫さんっ!!俺様の事わかるかっ?!!」
「…ぎ…る……」
「…良かったっ……」

握られたままの手が押しあてられたギルの顔は濡れている。
いったい…ここは……

ぼんやりと見回してみれば白い部屋。
病室のような……というか、病室だろう。

「丸一日意識戻らなかったから……心配した…
死ぬほど心配した……」

まるでドラマのワンシーンのように…心の底から愛おしいと思っているヒロインを気遣う主人公がごとく、整った顔にひどく思い詰めた表情を乗せてギルが顔を覗き込んでくる。

意識が戻らなかった…?
意識………いしき………

「俺…生きてるの…か?」
と、それは今までのアーサーの認識を根底から覆すものだったから不思議に思って聞いただけなのだが、ギルはその言葉にひどく傷ついた顔をして息を飲んだ。

「…ごめん……記憶がすごく断片的で……よくわからないんだ……」
そんな顔をさせたいわけじゃない…と、アーサーが困って言うと、ギルは再びアーサーの手を自分の額に押しあてて

「いや…俺様の方こそごめん…ごめんな、ちゃんと守ってやれなくて……
怖かったよな……もう絶対に側にいるから……」
と、震える声でそう言った。


ギルベルトの話によると、驚くべきことに早川和樹…あの人の良さそうな青年がアゾットで、それに気づかなかったギルベルトは彼とイヴの中の男にはめられたとのことである。

「…ってことでな、病院ついて俺様が処置室に行こうとした時にお姫さん気ぃ失って、それから丸一日意識が戻らなかったんだ」
と、どうやらそれまでアーサーが夢だと思っていた事は全て現実で、最後に病院に来て意識を失って今に至るらしい。

「…全部…夢だと思ってたんだ……」

そう、何もかもが夢だと思っていた……
夢じゃなかった……の…か…?…っ!!
嘘だ…だって全部夢じゃなかったとしたら…あれは……

たぶん自分は急に真っ赤になったのだろう。
ギルベルトはいぶかしげにアーサーを見下ろして、ああ…と、少し照れたように微笑む。

「悪い。お姫さんの意志も確かめないで奪っちまって。
でも…真剣だ。
俺様は本当にお姫さんが好きだし、ずっと…出来れば一生守っていきたいと思ってる。
だから今まで誰にも唇への口づけはしたことないし、今後もお姫さん以外にする事はない」
と、ゆったりとアーサーの髪を撫でながら言う。

え?え?でも…でも???
「あの…早川さん…が……」
だけで全てを察したのだろう。
ギルベルトはアーサーに一枚の紙を差し出した。

「和樹はお姫さんに俺様とルートの間に亀裂をいれさせたかったみてえだ。
でも誓って言う。
俺らは元々一億取る気なんて全然なかったし、お姫さんを好きなのは嘘じゃねえ」
「…うん……」

早川和樹…アゾットの日記……。
それを読むまでもない。
アーサーがあの時に飛び出さなければ、ギルは自分の足の腱を切っていただろうし、本当に身代わりになるつもりだったんだろう。

「でも……」
「ん?」
「なんで俺なんかを……?」

ギルは賢い。
ギルはカッコいい。
ギルは運動神経だっていいし料理だって出来る。

そんな完璧な人間が何故自分なんかを?と、疑うわけではないが聞いてみたくなって言うと、ギルベルトは目を丸くして、それからはぁ~っとため息をついた。

「…ギル?」
「……お姫さん……自分がどんだけ可愛いか自覚なさすぎ。
俺様、お姫さんが他の男に攫われたとか気が気じゃなくて、しかも連れて来られたお姫さんの服が攫われた時の服と違ってたの見て発狂するかと思ったんだけど……」
「…服?ああ…そう言えば今も替わってるな」
「それは…俺様のっ。
大事なお姫さんが他の男の服とか着てんの嫌だったし、ルッツに持って来させた」
「…服を着替えさせられているのが発狂するくらい嫌なのか?でも…あの場合、誘拐した手前、着替え取りに俺ん家に行くわけにもいかなかっただろうし……」

きょとんとギルを見あげると、ギルは少し固まって、それからはぁぁ~っとまた大きく肩を落として息を吐きだした。

「意味…わかんねえならいい。
つか、わかんねえままでいてくれ。
危ない時は俺様がガードするから…」

というギルが何を言いたいのか本当にわからず、アーサーは
「ああ?ありがとう?」
ととりあえず礼を言う。

こうしてどうやら全ての誤解が解けてホッとするギル。
しかし…おそらくこの先も…殺人や暴力以外でのお姫様の身の危険について、常に気を配らなくてはならないのだろう…と、幸せな大変さを想像してため息をついた。


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