オンラインゲーム殺人事件第六章_6_裏切り(20日目)

ズキン…と痛むのは頭なのか心なのか…
薄暗い部屋の中でアーサーはただ泣いていた。

思えば当たり前に想像出来た事なのに、降ってわいた幸せに真実から目を背けた結果がこれだ。
それでも…たぶん過去に遡って選択をし直せたとしても、自分は同じ道を選択してしまうだろうと言う事が容易に想像がついてしまう辺りがどうしようもないと思う。

何度でも何度でも…人の温かさに飢えている自分はきっとそれに手を伸ばしてしまうのだ…。




ピンポーンとエントランスのチャイムが鳴ったのはギルが家を出てから15分もした頃だった。
アーサーには友人もいなければ家族も海外なのでギルを除けば訪ねてくる相手などいない。
不思議に思ってインターホン越しに応対してみると見知らぬ顔の男。
ただその男の着ている制服には見覚えがある。
ギルと同じ海陽の制服だ。

『突然申し訳ない。俺は早川和樹と言って海陽の生徒会副会長をしています。
同じく海陽の副会長のギルベルト・バイルシュミットがお邪魔していると思うのですが…』
と言いつつ、初対面の時のギルと同様、カメラに向かって生徒手帳をかざす。
そのあたりの対応は同じ環境にいるモノ同士同じなのか。

おそらくさきほどギルが言っていた連絡が取れないもう一人の副会長が彼なのだろう。


「あの…確かにギルはさきほどまでは居たんですけど、学校の役員の方から急の呼び出しがあって出かけてます。
1時間半くらいで戻ると言ってましたが…」

相手の身元がしっかりしている事と礼儀正しさに若干警戒を解いてアーサーが言うと、男、早川和樹は小声で…マジか…と呟いて舌打ちをした。
何か急用なのだろうか…と思っていると、しばらく下を向いて考え込んだ後、顔をあげて言った。

『初対面の方に大変恐縮なお願いとは思うのですが、今日俺はこれからどうしても外せない用事がありまして、出来ればバイルシュミットに絶対に直接手渡しで渡して欲しい書類があるのですが、預かって渡して頂くわけにはいかないでしょうか?万が一があると困るものなので…』
と、心底困りきった表情でそういう和樹。

さきほどのギルの様子を見ていると、何か生徒会の仕事でトラブルがあって色々込み入っているのかもしれないと、アーサーは
「わかりました。じゃあエントランスまでお預かりに行きますね」
と二つ返事で了承して、すぐ向かった。


こうして急いでエレベータで1Fへ降りてエントランスに出ると、住人以外は入れないガラスドアの向こうに相手は立っていた。

ギルのように圧倒的な華があるわけではないが、そこそこ整った顔立ちの育ちの良さそうな青年は、アーサーが会釈をするとニコリと微笑んで頭を下げる。
一見するとキツイ性格に見えるギルとは対照的に柔らかな物腰の好青年だ。

内側からは自動で開くドアを超えると、むわっと熱気があたりに立ちこめている。

空気自体がすでに生温かいが、それでも直射日光に当たるよりはマシだし、もっと建物の奥に来れば良いモノを相手は遠慮しているのだろうか、エントランスと外の境界ギリギリで日差しに照りつけられながら立っていた。

アーサーが駈け寄って行くと、
「申し訳ない、これなんですが一点お伝え頂きたい事が…」
とやっぱり心底申し訳なさそうにもう一度頭を下げて、相手は厳重に封をした茶封筒を取り出すと、隣に立ったアーサーにそう言いかけた……ところでアーサーの意識はいきなり途切れた。





そして気付いた時には薄暗い部屋の中。
フローリング…というより古びた木の床は身じろぎをするとギシギシたわむ。
その床の上にアーサーは後ろ手に縛られて転がされていた。

目を覚ましたのは手首を引っ張られるような感触のためで、うっすらと目を開けると早川和樹が縛られているアーサーの縄をほどいている。
彼の手首にも同様に縄の跡があるところを見ると一緒に拉致されて、一足早く意識を取り戻した彼はなんとか自力で自分の縄をほどいて、今アーサーの縄を外してくれようとしているのだろう。

縄がほどけたならさっさと自分だけ逃げれば良いのに、随分と人が良い。
さすがにギルの友人だ…と、アーサーは変なところに感心した。

そして起きている事を告げるように
「…早川さん……」
と、声をかけると、早川和樹は本当に申し訳なさそうに綺麗な形の眉を困ったように寄せて
「なんだかわからないが、俺が呼び出してしまったせいでこんな事になって申し訳ない」
と頭を下げる。

いやいや、おそらく逆だと思う。
巻き込まれたのは彼の方だ。


ただそれをどう説明しようかと悩んでいると、なんと和樹の方から
「バイルシュミットには今カークランド君が殺人犯に狙われているという話は聞いていたのに…」
と、思わぬ事実を明かされる。


「え?」
と、アーサーが驚きの目を向けると、和樹は苦笑した。


「ああ、奴とは幼稚舎からの腐れ縁なので。
良い奴ですよ。弟の方はちょっとアレですが……」
と、そこで和樹は少し笑みを消す。


「ルートが…何か?」
どことなく意味ありげな言葉にアーサーがコテンと首を傾けると、和樹はまた少し困ったような笑みを浮かべた。

「うーん…これは本当は秘密なんですが……」
「…?」
「他言はしないように言われてたんですが、このまま騙し続けるのはあまりにひどい気がする」



…騙す……?
和樹の口から出て来たその単語に、意味もわからないのにズキン!と胸が痛んだ。


「騙す…って…?」
思ったよりかすれた声が出た。

「あいつ…ギルは悪い奴じゃない。ただ弟に甘すぎるんですよ。
あいつのせいでもあなたのせいでもない…」


ズキン…ズキン…と頭まで痛み始める。

何故だか聞きたくない気がして…でも耳を塞ごうにも両手はまだ縛られたまま、和樹が一生懸命ほどこうとしてくれている。

行動から見ても早川にとっては全て善意なのだろう。
だけどアーサーは逃げだしたくなった。

「実は例のゲームでなんですが、弟…ルートが最初に一億を取るのに敵になりえなさそうなヒーラーのあなたに目をつけて、兄のギルに仲間に引き込んでもらえるように頼んで、彼らはあなたに声をかけたんです。
その後も逃げられないようになるべく優しく惹きつけておくように頼んで…。
あそこの兄弟は母親が早く亡くなったためギルはルートを親代わりとして育てたくらいの自負があってすごく可愛がっている。
その弟のために日本一のエリートへの近道である海陽の生徒会長の座を譲るくらいにはね。
そんな風に弟には甘いので、断れなかったんでしょうね。
ルートはそんな風にギルが甘やかしてくれるのが当然のように育ったので、まあ今回のような事も平気でやるようになってしまったみたいです」

真夏だと言うのに嫌な汗が背中を伝う。
寒くて震えが止まらない。

いや、別にショックを受けているわけではない。
たぶん夏風邪でも引いてしまったのだろう…そう思う。

だってそんな事…十分予想出来る事だった…。

今まで誰も…親ですら無条件にアーサーに愛情を向けてくれたりはしなかったし、ましてや他人が好意をもってくれるような人間ではないと言う事は、自分が一番わかっている。
そうじゃなきゃ15年間生きてきて友達の一人もいないなんてありえない…。

…だから……大丈夫。

たとえギルの今までの優しさがルートに頼まれてルートのために作られたものだったとしても、ショックなんてうけたりはしない。
そう思うのに、なんだか呼吸が上手く出来ない。
重くて濃すぎる空気をうまく取り込めずにあがく魚のように、アーサーは浅い呼吸を繰り返した。


『…でも……ルートが最近になってあなたが犯人のターゲットになっているから邪魔だと言い始めて、もう一人のヒーラーに接触を図っていて、交渉がうまく言ったら乗り換えようと言う話に……』

聞きたくないのにまるで水の中で聞く音のようにくぐもってはいるものの、音は意味のある言葉として耳に入ってきてしまう。


ああ…そうか…そうだよな…。

ギルは良い奴だ。
だから例えアーサーのようにつまらない嫌われ者のぼっち相手でもただ一方的に切り捨てるのは可哀想だと、埋め合わせのように優しくしてくれていたのだろう。

そう、あの優しさはきっと嘘でもなければ騙していたわけでもない。
単にアーサーに対する愛情からのものではなく、ギルの性格の良さからでたものなのだ。


…ギル…ギル、ギル、でも俺は嬉しかったんだ。本当に嬉しかったんだ…

好きだって誰かに言ったのは、言えたのは、ギルが初めてだった。

今まで相手に好意を持っていても自分なんかにそんな事言われたら嫌だろうと思って言えなかった。
だけどギルは全てを許容してくれる受け入れてくれるなんて何故か思ってしまったんだ。


初めてアーサーを好きだと言ってくれた。
家族にとってすら邪魔者でしかなかったアーサーに、そこにいていいのだと思わせてくれた初めての相手。
でも全て思いあがったアーサーの勘違いだったのだ。

勝手に勘違いして舞いあがって…もしかしてあの時…好きだと言った時も本当は迷惑に思ってたんだろうか…

そう…だよな。
でもギルは優しいから話をあわせてくれたんだ……

ごめん…ギル、無理に話を合わさせたりしてごめん……

まるで周りの空気が押しつぶされそうに重くて、吸っても吸っても取り込めない。
視界だってまるで水の中にいるように潤んでいる。

ただしく空気に溺れる魚のようにアーサーは呼吸をする事が出来ず、ふぅっと意識を失った。




次にまた浮上しないでも良い意識が浮上したのは、誰かが争うような声でだった。


聞いた事のない声と……早川和樹の…声?
しばらく言い争う声が続いて、やがて顔に生温かい液体がかかってゆるゆると目を開くと、血まみれで足元に崩れ落ちる早川の体…。

そして目の前には見知らぬ男。
ドラマの悪役にでもいそうないかにも悪い顔をした男が血に濡れたナイフを手に立っている。


…ああ…俺ここで死ぬのか……

アーサーはぼんやり思う。


不思議と恐怖心や未練はない。

だって俺なんて要らない…
ギルにとって邪魔なら別に今ここで殺されたってなんの問題もない。

むしろ…本当に邪魔になる前に殺されたなら、優しいギルなら少しは可哀想に思って心を痛めてくれたりするだろうか…

そうなら…いいな。…うれしいな……

また一人ぼっちで嫌われながら生命だけ惰性で繋げていくなら、ここで死んで同情でも良い、たまには憐れんで懐かしんでもらえたら嬉しい。

だって…初めてだったんだ。
好きだって安心して言えたのは、初めてだったんだ…。

アーサーは安らかな気持ちで静かに目を閉じてその時を待った。
引導を渡される前に幸せな思い出を抱えて逝けることを嬉しく思いながら…




0 件のコメント :

コメントを投稿