悲恋 - Amor trágico 後編_2

「妊娠…してへんて、どないことや?」
そのままイングランドにとどまる王太子に随行してイングランドに留まっていたアントーニョは、アーサーと共に女王付きの医師に呼び出されて女王の夫であるフェリペの部屋にいた。
そこには当然フェリペもいて、3人揃ったところでメアリー女王が子を身ごもっているわけではなかったという事を告げられたのである。

妊娠している…と、発表があってからもう数カ月の月日が流れている。
何故いまさらそんな話がでてくるのかわからない。
当然詰め寄るフェリペに医師が告げた。
「どうやら女王陛下は婦人科系の病にかかっていらっしゃるらしく…その症状からそう誤診されたようです。」
「間違いないん?」
腕の中でカタカタ小さく震えているアーサーをしっかり抱きしめて、アントーニョが確認すると、医師は
「はい。間違いございません」
と、断言した。

「ほんまかいな…なんのために即位伸ばしてまでこっちおったと思うんやっ」
医師が退出した部屋で、フェリペは吐き捨てるようにそう言うと、クシャクシャっと頭をかく。
イライラした様子のスペイン王太子に何か言わねばと血の気のなくなった顔で口を開きかかけるアーサーを制して、アントーニョが口を開いた。
「ともかく、女王さんのとこへ行ったり。」
「なんでや?もう子ぉおらんてわかったんやで?」
そのフェリペの言葉にアントーニョは徐々に心が冷えていくのを感じた。

もともと双方の条件が合致しただけの政略結婚だ。
普通の夫婦のような愛情を持つ事までは求めてはいけない。
しかし、こういってはなんだが死ぬ前まで子をのぞめる男と違って、女は子を産める期間は短い。
その短い期間の終わりが来ようとしている孤独に育ってきた女王に、いっぺんの憐れみも感じないのか…。
しかもその女王はイングランドの王の子とはいえ、母親は自国スペインの王女であるのに。

ヘンリーにしてもフェリペにしても、人間とは酷薄にして身勝手な生き物だ…。

「少なくとも、子ぉが生まれへんてことは、うちの国の拘束力が緩むって事やで。それをなんとかすんのが自分の仕事ちゃう?」
情では動かなくても利害で動く。
こんな所をアーサーに見せたくはなかったが、しかたがない。
手っ取り早く自分達が退出し、二人きりになるためには、フェリペには女王の元へ行ってもらうしかないと口を開いたアントーニョの言葉に、フェリペは苦い顔をしながらも女王の元へと去って行った。

真っ青な顔でそれを見送るアーサーの冷たい頬を、アントーニョは優しくなでた。
「大丈夫か?歩ける?」
声をかけた瞬間、はっと我に返ったようにアントーニョを見上げるアーサーの大きな瞳からぽろぽろ涙がこぼれおちた。

ああ…人でないモノですらこんなに情けを持ち合わせているのに…。
いや…人でないモノだからなのか…。

「大丈夫や…きっとこれ以上ひどい事は起こらんから。大丈夫やで。」
涙が止まらないアーサーにアントーニョはそう言ってそっとその瞼に唇を落とした。




これ以上ひどい事は起こらない…あの時は確かにそう思ったアントーニョだったが、それが大きな間違いだったと知った。

「代理戦争?!今のイングランドに?そんなん無理に決まっとるやん!
てかイングランド側が承知せえへんやろっ!」

アントーニョは父王が退位しその跡をついでスペイン王へと即位するためスペインに戻ったフェリペについてスペインに帰国させられていた。

そして無事戴冠式を終え、スペイン帝国国王フェリペ2世となったフェリペに呼び出されてまず聞かされたのが、イングランドをスペインの代理としてフランスと戦わせるという計画だった。

子供どころか自身が病に冒されている事がわかって、余命もしれない孤独な女王。
そんな傷も癒えないあの国に、世界の覇権を握っているスペインと同等に近い力を持つフランスにぶつかってこいというのか…無茶もいいところだ。

「メアリは了承済みや。子供産めへんてわかったからには、何か他の事でうちの国をつないでおきたいんちゃう?話してみたらぜひやらせて欲しい言うとったわ。」
「勝てへんで?」
「かまへんわ。うちが負けるわけちゃうし、フランスの戦力が少しでも削れれば儲けもんや」
「イングランドを…捨て石にする気なん?」
「何を今更な事言うてるん?自国以外はみんなそんなんやろ?」
「自国以外…やけど、自分の女房ちゃうの?しかもうちんとこの国の血を引いた…」
「そんなん言うたら、ヨーロッパ中皆親戚で、戦争なんてできへんで?」

当たり前のように言うフェリペに、アントーニョの中でストンと何かが落ちて行った。

ああ…これが人間なんや…。
抜け落ちた分ぽかんと心にあいた穴。

国王の決定は国の化身である自分であっても覆す事はできない。
影響を与える事はあっても、所詮自分は施政者ではないのだ。

まあ今回のいくさはどう考えてもイングランドが負けるだろうが、フランスはイングランドをつぶしはしない。
逆らえないように牙を抜き、飼殺しにしても、あの国は決してイングランドを亡きモノにはしないだろう。
何故か両国にはそんな不可思議な絆がある。
しかしフェリペは…新大陸の多くの国をそうしたように、必要とあればイングランドをつぶす事もいとわない。

そんな事は…絶対にさせへん。たとえどんな手を使っても!どんな犠牲を払ってもやっ!
この瞬間、神を捨てた男は、自らを形成しているはずの人間をも見限ったのだった。





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