もともとはイングランド側になんの利もない戦いで、兵を失い領土を失い、そういう状況をもたらしたスペイン帝国に対するイングランドの好感度は地に落ち、それでもイングランドの王宮を訪ね続けるアントーニョに対する風当たりも当然強まった。
それでもアントーニョはイングランドに通い続けた。
スペインの方には、これを機にイングランドが親フランスに傾かないためという説明をしているが、もちろんそれが方便である事は言うまでもない。
一番の目的はイングランドの施政者の信頼を勝ちうる事。
この時、アントーニョは一つの決意をしていた。
それを実行するためには、イングランドの施政者の信頼が絶対不可欠なのだ。
メアリ女王は長くはない。
それを早々に見越したアントーニョは、次の施政者になるであろう人物に接触を取る事にする。
メアリの異母妹、エリザベス王女。
のちに偉大な女王エリザベス1世として、一度は無敵艦隊を倒した者となるこの女性も、その時はまだうら若き王女だった。
いち早く次世代の統治者となるであろう王女とも顔合わせをしておきたい…そう告げると、アーサーは非公式に王女とアントーニョを引き合わせてくれた。
美人ではないが、秀でた額に理知的な目をしたの賢そうな娘…それがエリザベスに対するアントーニョの第一印象だった。
自分の共犯者となりうるかどうか見定めるところからまず始める。
それにはまず話をしてみなければならない。
「たぶんこの姫さんが女王さんになりはる時には、イングランドは大変な状況になってると思う。主にうちん国のせいでな。とりあえず詫びと今後の事を腹を割って話したいねん。少しの間でええ。二人にしてくれへん?」
アントーニョが言うと、アーサーは少し迷いを見せるが、当のエリザベスは凛とした様子で
「大丈夫よ。私はいついかなる時もイングランドの王族として対応する準備ができてます。」
と、アーサーに言い放つ。
その堂々とした様子は、自分の描いた戯曲の主演を演じる人間としては非常にふさわしいようにアントーニョには思えた。
こうして少し心配そうなアーサーが席をはずしたあと、
「さて、と、」
と、ともすればいたずらっぽい少女のような仕草で、エリザベスはぴょん!とテーブルに飛び乗ってそのまま座った。
「で?私に何をお望みなのかしら?ドン・カリエド?」
無邪気なようでいて、その瞳は嘘を見逃さないするどい光を秘めている。
この娘だ!と、アントーニョは予感した。
「俺の描いた壮大な劇の主役を演じて欲しいねん」
エリザベスはそんなアントーニョの唐突な言葉にも動じない。ただ
「面白そうね」
と口の端をわずかに上げる。
「怖ないん?」
逆にアントーニョの方が少し戸惑いがちに聞くと、エリザベスはコロコロと声をたてて笑った。
「怖い?何が?一度はロンドン塔にまで送られたこの身に、今更なんの恐れるものがあって?」
それだけ言うと、エリザベスはにやりと笑みをうかべる。
「あなたは私に運をはこんできた…このイングランドを強国に押し上げる何かを…そんな気がするの。違うかしら?」
まだまだ小娘のはずなのに、ずいぶんと良い度胸だ。
「そうやな。イングランドにとってはええ話やで。覇権をくれたる。世界の王者の座やで?」
アントーニョが良い笑顔でそう言うと、エリザベスは初めて顔色を変えた。
「それって?スペイン帝国の?」
「そうやで~。スペインの財産、栄光、力、みんなや。」
「そんな事したらあなた下手すれば消えるんじゃないのかしら?」
心配ではなく疑いの目でエリザベスはそう指摘する。
「イングランドにとってのアーサーがそうであるように、あなたはスペイン帝国を具現化している存在なのでしょう?」
「まあそうやな。でもええねん。最悪消えてもうてもかまへんわ。」
「ずいぶんと投げやりなのね。」
少し眉をひそめるエリザベスに、アントーニョは
「投げやりやないで」
と明るい笑みを浮かべた。
「自分の持っとったもん、信仰も…良心も、国も、命まで全部投げ出さな叶わん願いがあるだけや。」
そういうアントーニョをエリザベスはしばらくじ~っと観察するように見つめた。
そして思案するように少し伏し目がちに床に視線を向け、やがて顔を上げてしっかりとアントーニョに視線を合わせた。
「私は自分が嘘を見抜く目は持っていると思ってるの。
いいでしょう。ドン・カリエド。私自身の直感とあなたの事を信じる事にしましょう。
さあ、話してちょうだい。私は何をすればいいのかしら?」
こうして主役が舞台で最初のセリフを高らかに口にした瞬間、舞台の幕は切って落とされたのだった。
こうしてアントーニョとエリザベスが秘かに劇の幕を開ける事を約束した翌年、メアリ女王はその孤独な短い人生を終え、その後継としてエリザベスが女王となった。
のちに無敵艦隊を破った伝説の女王、エリザベス1世の誕生である。
エリザベス1世は即位後、秘かに自国の海賊に私拿捕特許状を与え、植民地から帰還途上のスペイン船を掠奪させた。
自国の船を救い、他国の戦力を殺ぐ見事な手腕だったが、彼女がどうしてそんな事を考え付き、どうやって海賊と連絡を知り、どうやって帰還途上のスペイン船の航路を知ったのかは、誰も知らなかった。
ただ、エリザベスには強力な影の軍師がいるらしい…そんな噂だけがまことしやかに流れていた。
こうして29年もの間、自国の者でも海賊のする事で、取り締まろうとはしているが、先のフランスとの戦いでの傷の癒えぬイングランドの軍では取り締まりきれない…スペインから苦情がくるたび、申し訳なさそうに詫びる若い女王を、若干の罪悪感を感じていないではなかったスペイン側はあっさり信じた。
ただ一人…それをイングランドの化身自身から日々詫びられているスペインの化身をのぞいては…。
「もういいから…アントーニョ、国に帰ったら伝えてくれ。スペイン船を襲っている海賊達はイングランドの国とつながっているんだって…。」
「あ~、もうその話はええから。な、せっかくこうして二人でおるんやし、もっと楽しい話しよ?」
「良くないだろっ!このままじゃスペインは弱体する一方だ!」
大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて見あげるアーサーに少し笑みを浮かべるアントーニョ。
「自分とこが大陸の土地なくして弱体した原因はうちの国にあるんやで?お互い様や」
それより…と、アントーニョは泣きすぎて真っ赤になったアーサーの目尻に口づけをおとした。
「明日には帰らなあかんし…こんなご時世やとなかなか上司が渡英させてくれへんから…」
…させたって?
…と、耳を食みながら低い声でささやくと、アーサーはビクッとすくみあがったあと、今度は別の意味で真っ赤になった。
ああ…ほんまかわええなぁ…何度やっても全然慣れへんやんな…
クスクスと笑い声をたてるアントーニョにアーサーは
「笑うなっ!ばかぁ!」
と言うと上目遣いににらむ。
それでも少し尖らせた唇に唇を寄せると拒まずに受け入れ、少し伸びをしてアントーニョの首に腕をまわした。
翌朝…カーテンの隙間から差し込む陽射しに、アントーニョは目を細めた。
これが最後の逢瀬になるだろう…との予感に、事が終わっても眠れぬまま、一晩腕の中の大切な存在を目に焼き付けて過ごしたが、まだ足りない気がする。
出会ってから350年ほどの間、ずっと想い続けた相手だ。
どうせ消えるならこうして抱き合ったまま消える事が出来ればいいのだが…自分から捨てた神は、そんな贅沢は許さないだろう…と、アントーニョは苦い笑いを浮かべた。
まあいい…。一番の願いはそれじゃない…。
見送られれば帰国を躊躇してしまいそうな意志の弱さを自覚しているため、アントーニョはアーサーを起こさぬよう、そっとベッドを抜け出しかけて、ふと、朝日に反射するアーサーの首元のチェーンに目を止めた。
初めて出会った時からずっとアーサーが身につけていたそれ…。
消える瞬間に本人と共にある事ができないならせめて…と、そっと細い首からそれを外し、己の首に下げる。
「自分は…神さんの元で幸せになり。俺はこれで十分やから」
アントーニョは服を着ると、最後にそっと天使の唇に触れるだけの口づけを落として、アーサーの部屋を後にした。
「行くのね」
朝の廊下を歩いていると、いきなり後ろから声をかけられた。
「ああ、そろそろ終章や。上手く勝利者を演じてや、女王さん」
振り向かないでも共犯者は声でわかる。
アントーニョのその言葉に、あたりまえだわ、と、笑って答えた後、エリザベスはふと笑みを消して黒い背中にむかって言った。
「ねえ、あなたが最初に言ってた願い…私わかったわ。だから…私に幸運と栄光をくれたあなたに敬意を表して約束するわ。私は生涯人とは結婚しない。私が生きている限り、私は彼の伴侶として彼を支え続けるわ。」
賢い娘だ…と、アントーニョは小さく笑った。
「おおきに。共犯者に自分を選んでほんま良かったわ。」
「ほとんど領土を失った所から覇権国家にまでのし上がった国にそう言われるなんて…最高の賛辞ね」
エリザベスも小さく笑みを浮かべる。
「さよなら…ドン・カリエド。」
「ああ。さよなら、クイーンエリザベス1世。人の王の中で最も賢明な女王さん。
次は最後の大舞台やで。こっちはこっちで上手くやるさかい、そっちもあんじょうたのむな。」
アントーニョはそう言うと振り向きもしないまま、ヒラヒラとエリザベスに手を振って、イングランドの城を出て行った。
共犯者達の最後の大舞台…アルマダの海戦が開戦したのは、それから数カ月後の事だった。
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