悲恋 - Amor trágico 前編_2

「見とき?そのうち俺はどんな手を使っても世界の覇者になったる!そしたら真っ先に自分からあの子奪い取ったるわ!」

フランシスにそう啖呵を切ってから300年の月日が流れていた。

あの時はカ~っとしていて力をつけてフランシスからアーサーを救出する事しか頭になくて飛び出してきてしまったが、あとで冷静に考えてみると、無残に蹂躙されて呆然とする天使をあのままフランスに残してきてしまった事に自己嫌悪にさいなまれた。

せめて何かフォローの言葉でもなんでもかけてやるべきだった。
傷ついたであろうあの子が、自分が救出するまで無事生きていてくれるとは限らない。

それでも…今更フランスに戻っても会えないだろうし、今自分にできるのは一刻も早く自分の体を全て異教徒から取り返して、さらに領地を増やし、世界の頂点に立って迎えに行く事だけだ。

そうして覇権国家としてフランスをしのぐ力をつけたのは300年後。
その間にイングランドは100年ほどの戦いののち、独立を取り戻し、あの子は自分が救出するまでもなく国に帰ったときいたが、なにしろイングランドは小国だ。
またフランスの侵略がないとも限らない。

そうこうしているうち、自国の王女がイングランドに嫁ぐ事になって、アントーニョはホッとした。
これで誰に憚る事なくあの子を守ってやれるのだ。

国の化身であるアントーニョまで行く事はない、と、上司には言われたが、フランスへの押さえとしてイングランドとの関係は非常に重要だ、国同士の連携も取るべきだと説き伏せて、同行の権利を勝ち取り、指折り数えて腰入れの日を待った。

そして待ちに待った腰入れの日。
婚礼の儀を終えての祝宴で再会したアーサーは、300年前のあの日の面影を残しながらも、まだまだ子供のようだった肢体は少年期から青年期にかけての間…人間にしたらおそらく16,7歳くらいに成長していた。

しかしその頃の自分よりはかなり細く華奢で、緊張のためなのか婚礼の準備で忙しかったためなのか青白い顔色とあいまって、どこか儚さを漂わせている。

何も知らない上司の前であまり個人的な昔を語るべきではないだろうと、アントーニョは
「初めましてやんな。スペイン王国の化身アントーニョや。よろしゅうな」
と、初対面のような挨拶を交わし、その後、上司に国同士でコミニュケーションを計りたいという事を理由に退出を申し出る。

ひどく顔色が悪いアーサーをなるべく休ませてやりたい。

アーサーの腕をつかんだまま急ぎ部屋に帰って戸を閉めて、300年間一日たりとも思わない日はなかったペリドットの瞳を見た瞬間、アントーニョは何かがこみ上げて来て、休ませてやらねばと思っていた事も忘れてアーサーの細い身体を抱きしめた。

助けてやれんで堪忍な…と謝るアントーニョにポロポロ泣きながら、軽蔑されているかと思ったと告げてきたアーサーに、胸が締め付けられるような悔恨が湧き上がる。
あれから300年もたった今ですら目元にあふれる涙を唇で吸い取るだけで、倒れそうになるくらい、本当に初心な子なのだ。

休ませようと横たわらせた後も、汚された自分が恥ずかしいと泣くアーサーに、どうしてやればいいのかわからない。
本人の本意でなく、たった一度であろうそれで、真っ白な天使が汚れるわけもない。
自分達よりよほどまっさらの汚れのない身と心で恥ずかしいと思う事はないのだ、と、アントーニョが伝えても、傷ついた心の癒しにはなりそうにない。

「そんな風に言わんといて?アーサーはほんまに綺麗やで?」
顔を隠すアーサーの両手の手首をつかんで放させ、ソッと額に口づけようとすると、フイっと顔をそむけられた。

「堪忍。そういうつもりなかったんやけど、触れられるの…怖い?」
親愛の口づけすら心の傷をえぐるのか…と、軽はずみな自分の行動にアントーニョが後悔すると、アーサーは悲しそうな目でつぶやいた。
「触れれば…アントーニョを汚すから…」
「それ逆や。俺の方がよほど汚れとるよ。それこそ俺の方こそ触れたらいかんのかもしれんけど…」
「そんな事ない。アントーニョは優しかったし、昔から…」
「好きやったから。」
アーサーの言葉を遮って告げたその言葉に、澄みきったペリドットの瞳が大きく丸く見開かれた。
「いや…過去形やない。アーサー、自分が好きや。」
呆然としたように開かれたペリドットから透き通った涙のしずくがぽろぽろ零れおちる様が綺麗だと思う。

「堪忍な。怖がらせるだけやってわかっとるから、言わんとこ思ったんやけど、つい言うてしもた。でも大丈夫やで。絶対に自分傷つけるような真似せえへんから。」

怯えさせないよう、安心して休めるようにと距離を取ろうと立ち上がりかけるアントーニョの服の裾をきゅっと弱々しく掴んだ手に振りかえると、春先の雨にけぶる新緑のような瞳がアントーニョを見上げている。

「……俺も……」
気をつけないと聞きとれないくらい小さな声。
「……ずっと…好きだった…」
それだけ言うとみるみる頬が赤く染まり、羞恥に瞳が揺れた。

「ほんま?」
思わずガタン!とベッド脇の椅子を蹴り飛ばし、そのままその場に膝まづいてアーサーに視線を合わせると、アーサーは真っ赤な顔のままそれでも小さくうなづく。

「触れたい…けど、傷えぐるような真似したないねん。せやから…嫌やなかったらアーサーの方からキスしたって?」

現金なモノだ。
触れないと…フランシスのようにアーサーを傷つけるような真似をしないと、あれほど心に固く誓ったのに、お互い想っているとわかった途端、触れずにはいられない。

己の唇におそるおそる触れられたアーサーの唇の柔らかさに、理性がボロボロとはげ落ちていく。

アントーニョは口づけを深くし、苦しそうに眉根を寄せつつも一生懸命応えようとするアーサーのけなげさに胸を打たれると同時に、欲望がむくむくと頭をもたげてきた。

「全部欲しなってもうた…どないしよ…」
アントーニョが苦笑すると、おそらくほとんど経験のない激しいキスに翻弄されてぼぉっとしていたアーサーが少し我に返ったように頬をそめる。

「嫌?無理矢理しとうないし嫌なら待つから言うてや?」
強制にならないように出来る限り優しく問いかけると、
「…俺なんかでいいなら……」
と、アーサーはぎゅぅっと固く目をつぶった。
まだ気にしているのだろうか…。

「なんかって言わんといて。俺の大事な子なんやから。優しゅうするけど、怖なったら遠慮なく言い?」
そう言いつつアントーニョはまたアーサーの震える唇に唇を重ね…あふれかえる想いをそのままに、その細い身体を優しくかき抱いた。

心の傷を増やさないように…そ~っとそ~っと、宝物を愛でるように抱くと、最初は羞恥に震えていた体が快感を追い始める。
アーサーの甘えるようなすすり泣きにアントーニョは優しい愛撫で応え、二人して高まっていく。
そうして心と心が交わるような優しい夜がすぎて行った。


朝アントーニョが目を覚ますと、腕の中には柔らかく温かいぬくもり。
色素が薄いがゆえに痕の付きやすいアーサーの白い肌にはあの日のように点々と赤い華。
しかし300年前のあの日と決定的に違うのは、苦痛ではなく安らかな表情を浮かべたアーサーが、安心しきった様子で眠っている事だ。

天使を穢した行為は自分もフランシスも変わらない…。
神に許しを乞おうとも思わないし、今後救いを求める事もできないだろう。
それでも構わない…全てを捨てても欲しいモノがこの手の中にあるのだ。

「希望も罪も…全て我が身の内に…。
…いつか…国の事情が変わっても、絶対に心変りはせえへん。」
アントーニョはアーサーの華奢な首にかかる繊細な十字架を手に取って、ソッと口づけた。
もう神に祈る事はできない。
そのかわり自らの腕の中で眠る天使に永遠の誠実を誓った。





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