フランは雨の中ぬかるんだ山道を歩きながら言う。
「そうだな。それまでに死人が増えてなきゃいいんだが…」
ギルベルトは山道についた足跡を追いながら、そうつぶやいた。
そんな現状気遣い組とは対照的に、事件に関しては終始無関心なアントーニョの関心ごとはただ一つ。
「あーちゃん、平気?寒ない?あ、そこ足元悪いから気をつけ」
と、横を歩くアーサーに向けられている。
言われているアーサー自身は意外に身軽に足場の悪い雨の山道を進んでいくのだが、むしろフランがぬかるみに足をとらえて思い切り転んだ。
その実際に転んだフランには
「嫌やわぁ。泥とばさんといて!」
と、思い切り嫌そうな顔で言うあたりがさすが悪友。良い性格をしている。
「お前…愛が…」
ぜーぜー言いながらもいつものセリフを口にしかけるフランにギルがさらに
「かけらもねえから安心しろっ」
と突っ込みを入れるのはお約束、3人の様式美なわけだが…そこでいつもと違っていたのは…
「フラン、大丈夫か?」
タタっとどうやってか軽やかに駆け寄るアーサー。
「あ~あ、泥だらけになっちまったな。」
と、ハンカチを差し出す。
「ありがと。でもこんなに綺麗なアーサーのハンカチ汚しちゃうくらいなら、帰りまで泥かぶってるくらい平気だから」
と、フランがニコリと立ち上がると、アーサーはその泥のついた鼻先にチョンとハンカチをおしつけてにっこりほほ笑んだ。
「もう汚れたから、あとはどれだけ汚れても同じだ。ほらっ」
向けられる笑み、差し出されるハンカチに呆けるフラン。
「ほら、もう汚れたからっ。これでもう汚れる心配しても仕方ないでしょっ」
記憶の中で笑みを浮かべる新緑色の瞳。汚れた自分を拭いて少し土色に染まったハンカチ。
遠い日の思い出が蘇る。
雨の日…まさにこのあたりで転んで泥でお気に入りの服が汚れて落ち込んで心にまで吹き込んできた雨から、金色の木漏れ日に揺れる新緑が守ってくれた。
…ジャンヌ……
「何故…?」
死んでしまったの?と言う言葉は声にならず、ただ涙がこぼれおちた。
「フランは綺麗だから…私ね、綺麗な物だぁいすき♪」
だから守ってあげるね♪ と、ほほ笑む彼女の方がよほど綺麗だと思っていた。
自分のように人工的な作られた美しさではない。
自然な…内面の美しさが隠そうとしても隠しきれずに外にまであふれだしているような…そんなたとえようもないほどの美しさ。
彼女がいるだけでその場の空気が清浄化される気がした。
その彼女をとりまく空気ごと、つつむように守りたかった…守るつもりだった…
「フラン?大丈夫か?どこか痛いのか?」
心配そうに顔をのぞきこんでくるアーサーの声でふと現実に引き戻されたフランは、
「あ、ごめんね。ちょっと色々ありすぎて混乱してた。大丈夫」
と慌てて笑みを作るが、
「そう…か?無理するなよ?…なんなら戻っててもいいぞ?」
とアーサーが気遣うように言ってくるところをみると、笑みになっていなかったのかもしれない。
心配そうに少し曇る表情が変わったのは次の瞬間…
「あーちゃん、フランに近づきすぎやで~!」
ぷくぅっと拗ねて頬を膨らませたアントーニョが後ろからアーサーの腕を取り、自分の方へと引き寄せた。
「…っと!!」
バランスを崩してたたらを踏み。そのままぼすん!とアントーニョの腕に収まるアーサー。
「お前…危ないだろ!俺まで転ぶとこだったぞ!」
文句を言うアーサーに
「転ばさせへんよ。ちゃんと支えたる…ってかいっそのことこうしよか」
と、アントーニョはひょいっとアーサーを横抱きに抱えて見せる。
「え?ちょ、はなせ~~!!!」
「あーちゃん、軽いなぁ…あんなに日々美味いもん作ったってるんに、全然身につかへんな」
「お前が怪力すぎんだよっ!!いいから離せっ!!」
「いやや~。あんま暴れると落ちて泥だらけになるで~」
クスクスと笑うアントーニョにムスッとしながらも大人しくなるアーサー。
さすがに泥だらけは嫌だったらしく、諦めてそのまま運ばれている。
「な、わかっただろ。」
ぼ~っと二人を眺めていたフランの肩をポンとたたくギルベルトを振り向くと、ギルベルトは苦い笑いを浮かべた。
「お前も俺も…なんでか引きずられるんだよ、アーサーには。で、弱くなって崩れる。…考えすぎるタイプはダメなんだろうなぁ…。トーニョくらいさ、我が道行ってて押しつける事にためらいがない奴が相性的にいいんだろうと思うぜ?」
うつむき加減に小さく息を吐き出して、ギルベルトは歩き続ける。
それに並ぶように少し歩調を速くして、フランシスはやっぱり小さく息をついた。
「お兄さん…別に特別にならないでもいいんだけどね。トーニョが羨ましくないって言ったらさすがに嘘だけどさ…あの子が幸せでいてくれたらそれでいいや。」
「ああ、俺もだ」
「でも…泣かせるようなら漁夫の利はありだよね?」
いつのまにか立ち直ったのか、にこりと綺麗に微笑むフランに、ギルベルトはまた大きく息を吐き出した。
「俺は参戦しねえけど…最低限アーサーを巻き込むな。やるならうまくやれよ。でねえと俺様お前ら二人とも本気で沈めるからな」
自分がアントーニョの位置に立ったとしたら…と想像すると、やっぱりあんな風に明るい表情はさせられない。自分も弱くなるし、相手も弱くするのが手に取るようにわかってしまう。
そうならないかもしれない…という可能性はあまりに少ない気がする。
先を読めてしまうというのは時に人を不幸にするよな…と、ギルベルトは肩を落とした。
4人はそのまましばらく歩いていたが、やがて先頭を行くギルベルトが足をピタッと止める。
「…足跡が途切れてんな…」
と言って、音をさせないように少し離れた所に3人を待たせて、あたりの様子を探りに行った。。
そして少し離れた木々の中に。ぴたりと視線をとめたまま言う。
「トーニョ、アーサーの事はちょっと任せて働いてくれ。」
「俺じゃなきゃあかんの?」
てっきり文句を言うものだと思ってたアントーニョはあっさりアーサーを下すと、そう聞き返した。
「ああ、お前じゃないとダメだ。フランやアーサーは相手の心情的な部分で、俺はこれまでの立ち回りで相手の気を引きすぎる。」
あくまで視線は一点に向けたまま、ギルベルトは手で指示をし、アントーニョは少し回り道をするように森の木々の中に消えていく
アーサーとフランは全くわからないのだが、二人の間では通じているらしい。
ポカンとしている二人にギルベルトはやはり視線を動かさないまま
「トーニョは勘と状況だけで動ける奴だから。アーサーの誘拐の時もそうだったが、今もやるべき事はたぶん理解してっから大丈夫。それよりフランには別の仕事。」
と言う。
「ああ、なに?」
「ちとな、何かメイの気を長く引いてくれ。」
「了解。」
「ん。で、アーサーは俺と待機。状況によって動く。」
「ああ、わかった。」
フランとアーサー、二人がギルベルトの視線を追ってメイをとらえた。
ギルベルトはそこでようやく少し一点から視線をずらし、チラリとアントーニョの消えた方に目をやるが、また再度見ていたあたりに視線を戻すと
「じゃ、そういうことだ、フラン、うまくやれよ」
と、フランを促した。
気配も殺さず…というか殺せずにゆっくりとメイに近づくフランの足音にメイは気づいたようだ。
ビクっと身を震わせる。
「…メイ…なんでこんな事したの?リサは?無事なの?」
静かにきくフランの言葉に、メイは怯えたようにフランの顔を見る。
草を踏みしめてフランが一歩近づきかけると、メイは
「こないでっ!」
と、ナイフを自分に向けて叫んだ。
それに対して、
「メイ…とりあえず俺だけ蚊帳の外なのは非常に不本意なんだけど?まず理由を言って、理由を。
密室のトリックもそれと1Fのトマトジュースとの関連性もわかるし、それからたどって行くと今回の事件を起こしたのがメイだってのはわかるんだけど…肝心の動機がぜんっぜんわかんない。
殺されたジュリエットってジャンヌの事だよね?でも5年も前の事なのにどうして今だったわけ?
そもそもリサはとにかくなんでそこに氷川がでてくんの?」
両手を腰にあてて俯き加減に小さく息を吐くフラン。
メイはそんなフランを少し悲しげな目でみつめて、複雑な笑みをうかべた。
「すごいな…わかっちゃったんだ、フラン。
そうだよね…フランは昔からみんなの王子様だもん。
そんなに頭いいのに…なのに…なんでジャンヌを守ってくれなかったの?」
『それはな、フランが頭ええわけやなくて、見破ったのがギルちゃんやからやで☆』
そこにアントーニョがいれば絶対に入れる突っ込みも、少し離れているところで隠れているギルベルトとアーサー以外に他に人がいないとなると、入れる人間はだれもいない。
「王子…ねえ…。どちらかと言うと男女反対ぽかったけどね。ま、いいや。その辺は。
王子としてでも友人としてでも良いけど、俺は俺なりにジャンヌの事は気にかけてたし守ってはいるつもりだったんだけど…ジャンヌは一人で屋上に登って行ったの目撃されてるわけで…それで他殺はありえんよね?
ってことは、何か自殺するような理由があったってこと?
少なくとも俺が前日一緒に帰った時にはいつものジャンヌだったと思う。」
「氷川とリサがね…ジャンヌを殺したの。ジャンヌは自殺だったの。」
メイはナイフを構えたままポロポロ泣き出した。
「一昨日…リサが氷川を呼び出した時、私聞いちゃったんだもんっ。
リサはうちの学校と同じ系列の男子校に友達がいて、その子を通して顔見知りだった氷川が試験でカンニングしたのをその子から聞いてそれをネタに氷川ゆすって、氷川にジャンヌ襲わせたって」
「…な…に…それ…」
サッと顔から血の気が失せて、フラっと体勢を崩すフランをギルベルトが慌てて駆け寄って腕を取って支えた。
「その後興味本位のふりをして氷川に声かけたら、いざジャンヌを目の前にしたら結局どうしたらいいのかわからなくなって何もできなくて、リサに頼まれた事言って謝って帰したって言い訳してたけど、そのあと、でもジャンヌを殺したのは自分だって…言ったんだもんっ!
あいつが何もしないならなんでジャンヌが自殺するのよっ!」
メイはそれだけ言うと、嗚咽した。
「…ギルちゃん…。」
青い顔でうつむいたままフランが口を開く。
「ああ?」
「死体…刺したら罪になる?」
かすれた声できくフランにギルベルトは軽く目をつむって息を吐き出した。
「ああ、なるぞ。止めとけ。“今生きている”人間に心配させるような事すんなよ?」
そう言ってギルベルトは氷川の言葉の真意を探ろうと考え込む。
そして結論にいたって、ギルベルトは口を開いた。
「氷川は…あんた風に言うと白雪姫の狩人ってとこだな…」
そのギルベルトの言葉の意外性に、号泣状態だったメイはギルベルトに注目する。
その無言の問いに、ギルベルトは閉じていた目を開いて取りあえず自力で立てそうなフランの腕を放した。
「つまり…こういうことだ。
ジュリエット役が欲しかったリサ・ラガンは弱みを握っている氷川を使ってジャンヌに嫌がらせをしようとした。
ところが氷川はいざジャンヌを目の前にして…危害を加えるどころか逃がしたくなってしまった。
で、リサ・ラガンがジャンヌに危害を加えようとしているという事を教えて気をつけるように忠告して帰したんだ。
ところがジャンヌは自殺してしまった。原因は氷川じゃない。
たぶん…本当に子供の頃から仲が良くてお互いに好意を持っていると信じていた友人にそこまで嫌われていたという事がショックだった。それが理由。
少なくとも氷川はそう思ってて…自分が余計な事を言ったからだとずっと気に病んでたんだと思う。」
ギルベルトはそこでポケットからハンカチに包んだ物をフランに見せた。
四葉のクローバーのしおり。
端っこには可愛らしい丸文字で”氷川さんへ”と言う文字が添えてある。
「本当は…遺体から物を取るなんて論外なんだけどな…取って来ちまった。
これ…ジャンヌの字じゃないか?」
フランはガバっと身を乗り出してそれを凝視してうなづく。
「うん…間違いないよ。これは?」
と、フランがギルベルトの顔をのぞきこんだ。
「昨日露天で二人の時にアーサーに一応行きの車の中の話も聞いといたんだが、氷川は”四葉のクローバーを天使からの授かり物だって押し花にしてお守りにしている”って言ってたんだろ?。
あれ…正確には授かったのは四葉のクローバーの押し花なんだよ。
遺体調べてる時にたまたまこれを見つけて…自分で自分をさんづけなんておかしいし、男の文字じゃないしと…。で、アーサーに話聞いた時に、もしかしたらと思ったんだ。
こういう物を贈ってるという事は…たぶん氷川がジャンヌに対して危害を加えてない証拠だろ。
たぶんお礼の意味で渡したんだろうな。」
ギルベルトの言葉にフランは心底脱力したように、その場にしゃがみこんだ。
「氷川は…たぶんとても心の弱い奴で、自分の一言が殺してしまったと言う罪の意識と正面から向き合う事ができなかった。だから”天使になってしまった天使みたいな子がいて、その子からもらったお守りが守ってくれる”という方向に置き換える事で乗り越えようとしてたんだと思う。
そこへ現実をつきつけるリサ・ラガンが現れた。
もちろんリサは氷川がジャンヌに手を出せなかったのなんて知らなくて、氷川が自殺の原因だと思っているから、当たり前に”お前が殺した”発言をした。
氷川はそれに対して原因はリサ・ラガンが言っている事ではないが確かに自分が殺したと思っているため、自分が人が一人死ぬ原因になった事をしてしまった人間だと発覚するのをとても怖れたんだと思う。
特に…フランあたりに…か?
まあ…こんな分析をしても意味ない気はするが…」
どちらにしてもそれでメイの氷川への敵対心が消えるわけでもないだろうな、と、自分でも思うギルベルトだったが、しゃがみこんでたフランは少しおっくうそうに立ち上がってギルベルトの肩に手をかける。
「いや…俺的にすごく感謝してる。とりあえず遺体を刺しまくって警察沙汰になる事は避けられそうだし、悪夢にうなされる危険性もなくなった。」
と、そのまま力が抜けた様にギルベルトの肩に置いた手に額をつけて息を吐き出した。
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