「戻るぞ、ランスロット!」
アーサーを抱えたままスコットは青毛の愛馬に飛び乗った。
スコットは日頃から魔法に頼りがちになってしまわないよう、魔法で出来る事もあえて適度に使わないで行う事にしている。
愛馬での移動もその一環だ。
魔法が使いにくい南の国に赴くと言う事は想定外だったのだが、まあ日頃の行いが幸いしたと言えよう。
今回はこのまま馬で一番近い南西の海岸に出てそこからは魔法移動だ。
とりあえず…魔法と違ってある程度意識して身体を動かさなければならない乗馬中は極力何も考えまい。
少なくとも本当に最悪の状況も考えながら馬を飛ばしていた行きの道よりはマシなはずだ…。
何も考えまいと自分で決めているはずなのに様々な感情がグルグルと脳内を駆け巡る。
手放さなければ…大陸に行かせなければ良かったのだろうか?
いや…宝玉の守人であるカークランドの宗家の頭領としてはその選択はありえなかった。
そもそも手放すと言う選択をしないのであれば、これほど距離を置き、また置かせる必要はなかったのだ。
アーサーの母親はカークランドの最後の純血種だ。一切他の血が混じっていない。
魔術師一族の純血種ゆえの魔力と…4大元素を司る宝玉への著しい適性…それと引き換えに物理に対する耐性がない。
生命力が弱く死にやすい最後の純血種の血筋を少しでも濃く残す相手として、立場上比較的同族婚が多く血が濃かった自分達の父親が選ばれたのは、決して不思議な事ではなかった。
おそらく産む事ができる子供は一人きり。
そこで宝玉に選ばれし者が生まれなければ、この先カークランド家の中から“選ばれし者”が生まれる確率は減るだろうと言われていた。
そうなるとカークランド家は守人であるがゆえに、他家の者に膝を折る事になる。
そんな緊迫した状況の中で生まれたアーサーは、幸か不幸か“選ばれし者”だった。
カークランド家から出せる、おそらく最後の“選ばれし者”。
この子の代で絶対に宝玉の欠片を集め、完成させなければならない。
それは長く続くカークランド家の悲願でもあった。
未来の当主であるスコットがその赤ん坊に引き合わされたのは生まれて1週間もたった頃だろうか。
カークランドの血を色濃く継ぐエメラルドの瞳。
スコットもその血を濃く継いでいたためグリーンアイではあったが、赤ん坊の大きな瞳は薄暗いスコットの緑とは違い、明るく澄んだ緑色。春の新緑の色だった。
真っ白でぷにぷにとした手をぎゅっと握りしめ、まだよく見えていないらしいつぶらな瞳でほわんと見つめてくるその姿に、当主として常に感情を制御する訓練をさせられていたスコットすら、胸にきゅんと何かがこみあげてきた。
ああ、この赤ん坊、弟を守り育てていくのか…と、生まれてこの方感じた事のない温かい感情が胸のうちに生まれてくる。
そんなスコットに、当時の当主であった父親が命じた命令は非情なものだった。
この子が宝玉を集める確率をあげるためには、宝玉の欠片とのシンクロ率の高い者を探させなければならない。
そのためには有名すぎるカークランド家の者が周りを固めていては弊害にしかならない。
ゆえにこの子が外で深く信頼できる人間関係を作れるよう、家内に依存しないよう、家の中では突き放せというのだ。
もちろん“選ばれし者”であると言う事も公にするのは厳禁である。
あくまでアーサーは父親の愛人の子という立場で家内の位置を低くして育てると言う事だった。
心の中で葛藤がなかったわけではない。
しかし外に出て行くのがこの子のためだと言われれば、幼い頃から否応なしにカークランドを背負わざるを得なかったスコットは納得できる気がした。
こうして、日中…当たり前に傷を付け、夜、アーサーが寝いった頃にソッと部屋をおとずれることが日課になった。
頬に涙の跡を残したままぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて眠るその姿を毎日見ながら、魔法で傷をいやし、うなされていると思えば添い寝をしてやり、夜が明けてアーサーが目を覚ます前にソッと出て行く。
起きないように眠りを深くする魔法をかけているのに、無意識なのか、添い寝をしてやるといつも懐に潜り込んできてぎゅぅっとスコットの寝間着を掴んで眠るその姿が愛おしかった。
いつか手放さなければいけない。
わかっていても柔らかなその髪を撫でてやれば眠ったままふにゃりと笑う可愛い弟を諦める事ができない。
アーサーが自分以外にそんな風に笑いかける日がくるかと思うと気が狂いそうだった。
このままずっと子供のままいればいい…と、何度思ったかしれやしない。
実際…実力行使として、第二次性徴を止める魔法をかけていたのは、まあ自分的には仕方ない事だったと思っている。
とにかくアーサーが生まれてから今までずっと大事に大事に守り育ててきたのだ。
もちろん朝になれば冷酷な兄の顔に戻るため、アーサーはそんな事を知る由もないが…。
「それを……」
スコットは考えまいとしていたのをすっかり忘れてギリっと歯ぎしりをする。
「手放して2カ月もしないうちに手を出しただと~!!」
あまりの怒気に愛馬ランスロットが怯えて飛び上がった。
「ああ、すまん。お前に怒っているわけではない。」
慌ててなだめ、また走らせる。
いかん、いかん。今考えるのはやめよう…。
スコットはまたそう決意して、考えないようにする。
ああ…でもあのクソ髭っ、こういう間違いが起きないようにちゃんと見張ってなかったのかっ!
…北の国はとりあえず見せしめにつぶすか…。
また黒いオーラを立ち上らせ、馬を怯えさせ、またなだめる。
そんな事を繰り返しながらもなんとか海岸へ辿り着くと、スコットは魔法で一気に自国へと帰りついた。
城に着くと人払いをし、アーサーを自分の部屋に運び込む。
そこでアーサーから南の王の香の香りが立ち込める忌々しい長衣をまずはぎ取って、自分の寝まきに着替えさせた
事に及べなかった…ということは、試すだけは試しやがったな、本当なら南もつぶすところだが、どこぞの馬鹿が手ぇ出しやがった事を教えた事でチャラにしてやろう。
だが、次アーサーにちょっかいかけやがったら、どんな手を使ってもつぶしてやる!
そう決意しながら、長衣を火をつけた暖炉に放り込み燃やす。
とりあえず…触れられたところは綺麗に清めないとだし、馬鹿なちょっかいかけてくる奴のつぶし方もいい加減教えないといけない、と、スコットはアーサーを起こす事にした。
「おい、起きろ!」
その必要がなくなってもつい習慣でいつもの乱暴な調子になってしまう自分に少し自己嫌悪するが、アーサーは起きる気配がない。
ただ眠っているはずの眼からス~ッと涙がこぼれおちた。
そしてかすかにやだ…いやだ…とうなされる声。
もう少し…敵を容赦なく撃退する術を教えて育てるべきだったのかもしれない…。
スコットはチっと舌打ちをして、アーサーを無理におこすのを諦めると、アーサーを抱きかかえて風呂場に向かった。
そして魔法で一気に適温の湯を張ると、ソッと全身を洗ってやる。
その間もぽろぽろ涙をこぼしているので起きているのかと思えばそうではないらしい。
考えて見れば…性的な事を何も教えていなかったわけだから、当然免疫もないわけで…それがこの一カ月ほどでこんな事に巻き込まれたら、さぞや怖いしショックだっただろう。
風呂から上げて丁寧に湯を拭きとって、また寝まきを着せて寝かしてやる。
じきに起きるだろうが…自分がいるともしかして怯えさせたりするのだろうか…。
ベッドで眠りについている可愛い弟はやっぱりうなされ続けていて、でも助けを求めて呼ぶのは、ここまで守り育てて、今も救い出してきた自分の名ではなく、ここ2カ月くらいに知り合ったポッと出の男の名だったりするのが切ない。
そう仕向けたのは自分だとはいっても、好きでそうしたわけでもなかったのだ。
あ~クソ~!西の国もつぶしてやるっ!
…実際そうしたらアーサーが悲しむから出来ないのはわかっているが、呟いてみる。
兄じゃなければ…いや、カークランドの当主じゃなければ、自分達の関係は少しは変わっていたのだろうか…。
助け出した自分のベッドで涙をぽろぽろ流しながら他の男の名を呼ぶ可愛い愛しい存在を前に、スコットは深い深いため息をこぼした。
アーサーを助け出して家に連れ帰ってから3日たつ。
今は塔の最上階のアーサー自身の部屋のベッドに寝かせている。
なのに一向に目を覚ます気配のないアーサーに、さすがのスコットも不安になってきた。
調べたところ、特に薬の影響とかもないようなので、単に精神的なモノなのだろう。
ただひたすらにうなされて泣いて怯えて助けを呼ぶ、そんな状態が続いてお手上げ状態だった所に、ウィリアムが今のアーサーの連れ達をつれて戻ってきた。
会ったら絶対に髭を全部むしり取ってやろうと思っていたフランシスにも構わず、スコットはアントーニョの前に立った。
言ってやりたい事はたくさんあった。
もう思い切りののしってやりたいし、なじってやりたいし、できれば死なない程度に死んだ方がましだと思うくらいイタぶってやりたい。
それでも…泣いて怯えて助けを呼び続けるのに目覚めない可愛いアーサーを目覚めさせる事ができるのはこの男しかいないのかもしれない。
そう思って諦めた。
「3日だ。アーサーは連れ帰って3日間、うなされてるのに目覚めない。貴様のしてきた事は切り刻んで豚の餌にするくらいじゃ足りないくらいは腹がたつが、貴様のような奴でもアーサーを救えるのなら勘弁してやる。半日猶予をやろう。半日の間にアーサーを目覚めさせる事ができれば、宝玉が集まるまでは側にいる事を許してやる。が、目覚めさせられなければ貴様の命はないと思え」
本当はまかせたくない。二人きりにもさせたくない。遠くへ連れて行かせたくもない。
それでもそれは仕方のない事なのだ。
カークランド宗家の当主として育てられたスコットは、誰よりも諦めると言う事を知っていた。
「おおきにっ!絶対起こして見せるさかい、まっとって!」
嬉しそうに1階から18階まで階段を駆け上がって行くアントーニョの後ろ姿を見送って、スコットは小さく息を吐き出した。
本当に…長男なんて報われない運命なのだ…。
翌朝…ああ、もう上がって行ったのが前日の午前中なのに朝まで二人きりで何をしていたなどということは腹がたつので考えない事にする。
どこぞの馬の骨に手を引かれて降りてきたアーサーはなんだか幸せそうだった。
そして、本当に初めてなんじゃないだろうか、と思うくらい珍しく、
「兄さん…」
と自分から声をかけてきた。
「なんだ?」
とここでもう少し優しい口調で言えればいいのだろうが、目が覚めているアーサーを前にするとどうしてもいつもの習慣でしかめつらになってしまう。
普段ならここで、やっぱりいいですと逃げ出すところなのだが、今回は少し緊張しつつも逃げずに続けた。
「今回は…お世話になりました。」
助けに行った事を言っているのだろうが、なんだか愛娘が嫁にいく時の言葉のようだ。
ダメだ…これは泣くかもしれない…。
「ふん。お前の代で宝玉を完成させるのが守人としてのカークランド家の悲願だからな。必要なことがあればウィルに言えば協力してやるから、ちゃっちゃと欠片を集めてこい」
クルリと後ろを振り返りながら、なんとか一息でそう言い切ると、スコットは袋を取り出して、やはり後ろを向いたままグイっとアーサーに押し付けた。
「…?なんですか?」
「餞別だ。持って行け」
そう言うだけ言うと、スコットは塔の中に戻って行く。
中には短剣とお札。
…特別なまじないをかけたキレ味抜群の短剣と、塔まで一瞬で戻れる札だ。
…その馬の骨に飽きたらそいつで刺して戻ってこい。
「うあ~えげつな~!勘弁してや」
「まあ…チビちゃんに手出してこれくらいで済んだんだから上等じゃない?」
なんとか保護者の公認も取り付けたアントーニョ。
風の欠片も手に入れて、終わりよければすべてよし。
こうして7人はあと二つの欠片をさがすため、またウィルの絨毯で大陸へと戻って行ったのだった。
0 件のコメント :
コメントを投稿