「菊さん、戻るっすよ」
迎えに来たのは香だった。その事に菊は少しホッとする。
「で?そっちは?」
王に貸し出された雲に菊が当たり前に乗せようとするアーサーを見て、非難するでも歓迎するでもなく、単純に素朴な疑問を持って香が言葉をぶつけると、菊は少し考え込むように小首をかしげて、それからニッコリと答えた。
「ウサギ…ねぇ?」
香は一瞬不思議そうに考え込んだが、それ以上は追及しなかった。
むしろアーサーの方がそんな応答を不思議に思ったが、この雲をみるところ、相手も魔術師の家系らしいし、魔術師一家の実家でも他にはわからない隠語をしばしば使うため、その類であろうと判断して、黙っておく事にした。
地雷を踏んで菊に迷惑はかけたくない。
「菊、おかえりある」
雲で街をひとっ飛びした先では菊の言う“あの人”が出迎えた。
菊の育ての親と言うからもっと年齢の高い人物を想像していたアーサーは一瞬意外に思い、しかしすぐ魔術師独特の感覚で、王が見た目よりかなりの年月の人生を経ている事を察する。
菊は王が出迎えた事で一瞬しまった!というような表情を見せたが、すぐ冷静な表情に戻って言った。
「香君を酷使するのはやめてあげて下さいね。必要だと思えば私は一人で帰れます。」
他には見せないツンとした表情。
王の方は
「徒歩は時間かかりすぎあるよ。香は我が菊の迎えを頼まなければ何か他の事をやっているから一緒ある」
と少し困った顔で笑う。
ああ、いいな…とアーサーは思った。
王はちゃんと家族として菊を愛している。
菊も実はそれがわかっていて甘えているのではないだろうか…。
「お前はこっちあるよ」
菊に引っ張られるまま付いて行こうとしたアーサーの腕を王がつかんだ。
クイっと引っ張られるアーサーを、菊が
「アーサーさんは私のお客様です」
と引っ張り返す。
すると王は無理をせずスッとアーサーの腕を離した。
「その子は…色々な宿命の渦にいやおうなしに巻き込まれる運命の子ある。だから自分の事をきちんと知っておかないと危険だから、少し説明してやるだけね。」
静かに言う王の言葉に菊はピタっと足を止めると、クルリと王を振り返り
「くれぐれも変な事言ったりしたりしないで下さいよ」
と、アーサーの腕を解放する。
一応そう言ったものの、実際は菊は王を信頼しているのがアーサーには感じられた。
菊はちゃんと菊として愛されている…それがわかって少し寂しく思う自分に自己嫌悪する。
そんな自分だから愛されないのだろうか…落ち込むアーサーの前に影が落ちた。
「さ、こちらにくるあるよ。話をしてやるある。」
まるで子供を相手にするように穏やかに声をかけると、王はアーサーの腕を取って歩き始めた。
トポトポと湯が注がれたガラスの急須の中で、湯を吸った花が開いて行く。
その綺麗さに目を奪われていると、花が開ききったところで、その急須から茶が注がれた。
王に連れて行かれた部屋は香の香りのする少しうす暗い部屋で、でも薄暗いのに自分が実家で過ごした自室のように不快感がない。
落ち着く暗さだ。
「まあ…本題に入る前に、カトル・ビジュー・サクレに関わったとある男の昔話でもしてやる。少し茶でも飲んでゆっくりするね」
王はゆったりとアーサーの正面に腰をかけると、そう言って軽く目をつむった。
「昔…もう本当に遠い昔のことあるよ…。
カトル・ビジュー・サクレは力を使える時期が来た時、4つの欠片が選ばれし者によって一つになって初めてその能力を発揮する宝玉で、その選ばれし者はその世に必ず唯一で、選ばれし者が亡くなればまた時を遠くせず、あらたにどこかで選ばれし者が生まれる。
今から人の生としてはありえないくらい長い時を遡った頃、宝玉によって選ばれたのは静かな田舎の村の祭司の次男だったある。
兄弟の実家の神殿のご神体は宝玉の欠片の一つ炎の石で、次男が生まれる前にご神託でこれから生まれる次男が選ばれし者だと言う事は明らかになっていた。
そのため父親はその子供が生まれる直前に宝玉を狙う者に殺され、長男は身重の母とご神体を守って身を隠したが、その母も逃亡中の無理が祟ったのか、次男を産んですぐなくなったある。
こうして炎の石と選ばれし者である次男は長男一人に託される事になったある。
家、両親、神殿、生活の糧、全てをなくした長男に残っていたのは唯一その弟とご神体だけで、それでも他に何もなかった長男は次男に愛情を注いで育てたある。
身元がばれないように定期的に居住する場所を変えなければならないため、定職につくこともできず、泉の水をすすり、果物を見つけては長く食べる事ができるように干して加工し、本当に何もない時は食べられる野草をむしって命をつなぐ…そんな生活だったが、長男にとっては弟と一緒に暮らしたその時期が一番幸せな記憶だったある。
でも日々の生活の中で、ちゃんと伝える事をしてなかったね。
だから弟は他の家庭のようでない今の生活の要因が自分にあると知った時、ただただ絶望し、兄に対して罪悪感を持ち、最終的に自ら命をたったある。
弟の残した最期の手紙には育ててくれた事に対する礼、自分のために犠牲にさせたであろう兄の時間に対する謝罪、最後に自分がいなくなる事で兄に自由に幸せになって欲しいとの願いが綴られていたね。
こうして兄は全てを失って、ちゃんと伝えなかった事を死ぬほど後悔して泣き暮らしたある。
兄の幸せは弟と共にあったから、弟を亡くした時点でもう兄に幸せをつかむ事はできなかったある。
貧しい暮らしも、つらい逃亡生活も、弟さえいれば全て楽しい時間だった…と、伝えなかった事を後悔して後悔して…でもあとのまつりね。
食べる事も眠る事も忘れてひたすら嘆くうち、心は凍って何も感じなくなったある。
なのにご神体を守ってきた一族なためか炎の石の力で命だけはつながれていて、死ぬ事も出来ぬ身に絶望した兄は、だれもこない山奥で気の遠くなるほど長い時を過ごす事になったある。
ところがある日、本当にきまぐれに人里に下りた時に目にした村の若い夫婦の子供に兄はひどく心を動かされたある。
数百年ぶりに感情が戻った気がしたね。
亡くなった弟に似たその赤ん坊は両親に囲まれて幸せそうで…でもどうしても欲しくなったね。
しかし無理にさらったところで周りに追われる逃亡生活では弟の二の舞ある。
そこで兄は村の人々の信頼を得る事にしてそのために自分の持っている知識を費やしたあるよ。
そうして徐々に子供を預かり、さらに信頼度を増し、例の子供の親夫婦にそのまま捨ておくには才能のありすぎる子供だから、自分がその子を引き取りたいと申し出たある。
誰も賢者として知られる兄のそんな裏に気付く事はなく、兄は子供を合法的に引き取る事に成功したある。
引き取った子供はただただ無邪気で可愛くて、その上賢い子供だったから教える事を土が水を吸うがごとく吸収していく。そんな子供に自分が持つ知識を教えていくのはとても楽しかったね。
でも悪い事はできないあるね。
聡明な子供は大きくなって、そんな兄に何か薄暗いものを感じるようになったようで…距離を取ろうとしているようね。」
「そうじゃない…。」
少し寂しそうに笑う王の言葉をアーサーは遮った。
「兄はまた伝えてないからじゃないか?子供は自分が欲せられて引き取られた事を知らないから…愛情が信じられないんだ。」
いきなりのアーサーの言葉に王は目を丸くする。
「子供だって弟と同じだ。兄の事は好きでも迷惑かけてるのがつらいんだ。だからちゃんと言ってやってくれよっ。仕方なくじゃなくて、お前と一緒にいたかったからわざわざ引き取ったんだって。」
菊だって自分と同じだ…と思う。
自信がなくて愛されたくて、愛されていると信じられなくてもがいてもがいてもがいて…
詰め寄るアーサーに、王は小さく笑った。
「そうあるな。そう言えば兄はまた言ってなかったね。でも…現実にはもういるのかもわからない、とある男の昔話なだけあるよ?落ち着くある」
そう言って王はアーサーの湯のみに茶を注ぎ足した。
そして、
「ま、いい。本題に入るね」
と、王は強引にその話を打ち切った。
「…本題……」
アーサーはごくりと唾を飲み込んだ。
「なんでそんな昔話を聞かせたかと言うと…お前が弟と同じ、宝玉に選ばれし者だからある。」
「え??」
「もしかしたらおとぎ話と思ってたかもしれないが…カトル・ビジュー・サクレは本当に存在するモノね。で、選ばれし者ということは…話聞いてたらわかったと思うが、宝玉の力を引き出せる唯一の者として、その力を欲する者達に追われる事になるね」
さきほどまでの穏やかな様子が嘘のように真剣な鋭い目線になる王に、それが嘘ではないことを自覚させられる。
「そこでお前が取れる道は4つ。」
「…4つ?」
オウム返しに聞き返すアーサーに王はうなづいた。
「一つは…力を欲する者に協力して力をくれてやる事。これがお前的には一番楽あるが、下手をすれば世界を破滅に導く可能性もある。」
さすがに…それはできない…と、思う。
自分はともかく、アントーニョやフェリシアーノのいるこの世界を破滅させるわけにはいかない。
「一つは自らが欠片を集めて正しいと思う事、もしくはくだらない他の何にも影響しない程度の事に使って、時間を稼ぐ事。
力は一度使うとお前が生きている間くらいは使えなくなるから、周りがお前を追う意味がなくなるね。ただし…簡単には集められるものじゃない上に狙われながらの作業になるからそれなりの覚悟がいるあるよ。
さらにもう一つは逃げ隠れしておくこと。まあ…敵も血眼になって探すだろうから、まだ自分で探した方がましね。これはお薦めしないある。」
そこで王はちょっと言葉を選ぶように考え込んだ。
「で?最後の一つは?」
アーサーがうなづくと、王は少し眉を寄せてためらいをみせた。
「もう一つあるっていったろ?」
と、それでもアーサーが食い下がると、仕方ないというようにため息をついて言う。
「弟と同じね。死ねば選ばれし者として追われる事はなくなるね。」
「…死……」
ああ…その手があったのか…。
暗い安堵がアーサーを包む。
一人で4つの欠片を集めるのは無理だ。
でも…そんな危険な事だと知られてしまったら、おそらく協力せずにはいられないお人よし二人を巻き込む事になる。
ただ可哀想な自分に同情して側にいてくれるお人よし達にそこまでの犠牲を強いる事はできない。
「テイっ!」
グルグルとそんな事を考えていると、頭に軽いチョップが降ってきた。
顔をあげると呆れ顔の王。
「お前は…他人の話を全くきいてなかったあるね」
「…?」
ぽか~んと見上げるアーサーに、王は両手を腰にあててがっくり肩を落とす。
「お前は…ホントに弟の気持ちを察する事はできても、兄がどんな気持ちになったかなんて全くわかってないある。もういいね。そんなに死にたいなら一度死んでみるといいね。馬鹿は死ななきゃ直らないというし。」
言って王はスタスタと部屋の奥へ行くと、ガタガタと棚を漁る。
「ああ、あったね。特別サービス。眠るように楽に死ねる薬あるね。」
コトリと目の前に置かれる香水の小瓶のような小さな瓶。
「運命と戦う覚悟がないなら、確かに撤退も戦略ある。下手に悪しき者の手に渡るよりは世界のためでもあるね」
さあ…と、促されてアーサーは小瓶を手に取った。
「残される者に伝える事があれば伝えてやるあるが?」
キュっと瓶のふたを開けた時、王が言うのに、少し考え込む。
伝えたい事…アーサーは心の中で繰り返した。
「…ありがとう…俺はもう十分幸せにしてもらったから…もう安心して俺を忘れて自由になってくれ。今度はお前が幸せになれる事を祈ってる…かな」
誰よりも好きだった…と伝えたい気もしたが、それを言えばきっと優しいアントーニョはその言葉に縛られてしまう。
自己満足のためにアントーニョの未来を縛ったりは出来ない。
「お前は……もう見事なまでにわかってないあるね…」
呆れかえる王。
自分的には言ってはいけない言葉を避けたつもりだったのだが、何かまた間違ったのだろうか…。
アーサーは少し首をかしげたが、まあいいか…と思いなおした。
これを口にすれば良い事も嫌な事も楽しい事もつらい事も、全ての想いから解放されるのだ。
もう誰の迷惑になる事もない事にホッとする。
「王…ありがとう。」
最後にアーサーはそう王に笑顔を向けて、瓶の中身を飲みほした。
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