自分のそれより骨ばって固い指が頬を滑る感触。
くすぐったい…と思う間もなく、そのまま唇へ。
ゆっくりと左端から右へとなぞる感覚がなんだかむずがゆい。
…なんだ?
気になって重い瞼を開いてみると、そこにはもう会えるはずのないと思っていた男の姿。
少し癖のある黒髪に自分のよりは少し濃い緑の瞳。肌は青白い自分とは違って健康的な小麦色で、全体的に貧弱な体格の自分と違い程よい筋肉の付いた体躯をしている。
ああ、また夢か…と、アーサーは自分の未練がましさにうんざりした。
実家に戻って何度も夢に見て、手を伸ばすと目が覚めて、目が覚めるともう会えないのだとその度思い知ったのに。
だからこうして側にいると思えば本当は手を伸ばして触れて触れられて安心したいのだけど手を伸ばすのは怖い。
「おはようさん、やっと気ぃついたな。」
と泣きたくなるほど懐かしく慕わしい声。
今日の夢は音付きとはラッキーだ。
手を触れるのはだめでも呼ぶだけなら許されるだろうか…。
「…と~にょ?」
とおそるおそる呼んでみた時、
「ほな、目ぇ覚めたとこで、お仕置きタイムにはいろか?」
と、目の前の男は満面の笑みで宣言した。
(…え??)
アーサーはそこでようやくいつもの夢にしてはやけにリアルなことに気付いた。
というか…夢…じゃないのか??
え?え?お仕置きって??
いきなり伸びてくる手にビビる。
臆病なわけじゃないっ。魔術師は突発的な事に弱いだけだ。
と、心の中で思い切り言い訳をしながら条件反射で逃げる。
逃げ…いや、戦略的撤退というやつである。
というか…何が起きているんだ??
と、わけがわからなくてワタワタとパニックを起こしているアーサーだったが、狭いベッドの上だ。
あっという間に腕を掴まれ、引き寄せられる。
ムキムキではないが無駄なく筋肉がついている力強い腕の中に抱きすくめられてホッとするも、いきなり吐息が耳元にかかってくすぐったいと思った瞬間
『もう勝手にどっか行かんように、色々教えたるわ…』
と、甘い…でも男らしい声で低くささやかれる。
その声になんだか背筋がゾクっとして
『ひゃっ…』
となさけない声が出た。
しっかりと抱きこまれて身じろぎひとつ出来ない。
力の差が歴然としている。
この力強い腕は、自分を保護する事も痛めつける事もできるのだ…。
そう気付くと、少し怖くなった。
痛いのは本当に嫌いだ。怖い……
『痛いの……やだ……』
と口にすると、なさけないが涙が出てきた。
涙腺がゆるんでいるっぽい。
そのまま震えていると
『せやったら、抵抗せんとき?優しゅうしたるから…』
と、優しい…でもいつもの優しさとは違う、何か体の奥がうずくような、ひどく男くさい声が降ってきた。
続いていつもされていたように額に温かい唇が触れ、それはさらに目尻であふれた涙を吸い取る。
もう何がどうなっているのかわからないが、とりあえず優しくされた事に安心して、
『…ほんとに?』
と、アントーニョのシャツをつかむ。
しかしすぐその手は大きく温かい手につかまれ、そのまま背中につかまるようにうながされた。
体がぴったり密着する温かさにまた安心していたアーサーだが、続く
『…できるだけな…。』
の言葉に顔をひきつらせる。
そしてそのまま怒っているような真剣な目から目を離せず凝視していると、アントーニョとの距離が縮まって0になる。
唇にかみつくように勢いよく唇が重ねられた。
(食われるっ…)
そんなありえない妄想に捕われて、またパニックになる。
そして
「…やっ……」
と思い切り押し戻すと、アントーニョは意外にあっさりと身を離した。
しかしそれも一瞬。
腕を掴まれて勢いよく引っ張られ、アーサーはあっさりアントーニョの膝上に乗り上げる。
すると相手の瞳に涙顔の自分が映っているのが判別できるくらい間近にアントーニョの顔がきた。
顔をそらしたいのに、そらせない。
目の前にいるのは確かに笑みを浮かべたアントーニョなのに、何故だかいつもと様子が違う気がする。
まるで獲物狙う肉食獣のような……。
「ここでやめたらお仕置きにならんやろ?」
と言う、ひどく色を含んだ声に、アーサーは自分が捕食される草食動物のような気がした。
逃げたい…と、もうそれは本能のようなものだった。
そして思わず体を引きかけるアーサーだが、もうすでにアントーニョの膝の上で、さらにたくましい腕にしっかり腰を抑えつけられていて逃げられない。
「自分が俺の…俺だけのモンやて思い知るまでやめへんで?ええな?二度と離れようなんて思えんようにしたる。」
少し鋭さを増した視線で射抜かれて、…俺だって好きで離れたわけじゃない…と言う前に唇をふさがれた。
え??
何が起こってるのかわからない。
確かに痛くはないけど…どこか雰囲気が怖い。
混乱しすぎて止まっていた涙がまたあふれてくる。
何かが唇の間から強引に入り込んでこようとする。
怖い…怖い…怖い……。
必死にこぶしでアントーニョの胸を叩くが、やめてくれるどころか、さらに拘束が強くなる。大きな手が頭の後ろを押さえこみ、逃げ道をふさいだ。
そしてとうとう唇を割って熱い何かが口内に入ってきた。
(あぁ…これって……もしかして……)
その瞬間、アーサーの脳裏にフェリシアーノとの会話がよぎった。
『でね、俺ルートの特別、ルートの恋人になりたくて、ルートのベッドに忍び込んじゃった事あるんだ。でも普通に一緒に朝まで寝て終わっちゃった。』
しょぼんと肩を落としたフェリシアーノ。
『朝まで一緒に寝るって充分仲良くないか?無防備な状態を相手にさらせるって事だから…』
アーサーはそう思ったが、フェリシアーノは首を横に振った。
『ううん。それだけじゃね、友達と一緒でしょ?俺、別にアーサーとこのまま一緒に寝ても平気だけどね、別にそれは恋人とかのじゃないのはわかるでしょ?』
確かに…自分もフェリシアーノが隣にいたら眠れないのかと言われれば否だ。
『あのね、特別な恋人同士はね、つながるんだよ』
『つながる?』
『うん。体の一部を相手の体の一部に入れる事で一つになるんだ。それが特別な相手と愛を確かめ合うってこと。もちろん、そのあとには一緒にくっついて眠るけどね♪』
ルートヴィヒとそうなる日を想像したのか、フフっと幸せそうに笑うフェリシアーノの顔が脳裏に浮かぶ。
アントーニョも…そうなのだろうか……。
確かアントーニョは実家に連れ帰られた自分を命がけで取り返してくれた。
以前、怪我をした時も自分の事を特別だと言っていたような気が……
(そっか…特別……)
そう思った瞬間、強く求められているのが嬉しくなった。
少し怖さは残るものの、体の力を抜き、求められるままに任せる。
体をつなげて一つになる…そう考えると恥ずかしくて、でも嬉しい。
舌を絡め取られ、しびれるほど強く吸われすぎて感じるかすかな痛みも、息継ぎもできないまま、どちらのものともすでにわからない唾液の中でおぼれそうになる苦しさも、何もかもが恥ずかしくて、でも嬉しい。
これが特別な相手とする事なのか…
ふわふわとした浮遊感と、体中がどこか熱いようなくすぐったいような、今まで感じた事のない変な感覚。
もっとくっつきたいのか離れたいのかもよくわからない。
激しく求めてくるアントーニョに自分からも求めてみたいが、受け入れるだけでいっぱいいっぱいでそれどころじゃない。
なんだかもう頭が真っ白で力が抜けて、自分で自分の体を支えていることさえできなくなってきて、アーサーは自分を抱え込んでいるアントーニョに完全に身を預けた。
『アーサー?』
意識を少し飛ばしていたらしい。
軽く頬を叩くアントーニョの声でふわふわとしていた意識が少しずつ引き戻された。
常ならば温かいアントーニョの手が少しぬるく感じられるくらい体が火照っている。
ああ…恋人同士が愛を交わし合う行為をしたのか…とぼぉっと思った。
恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて……とてもアントーニョの顔など見られない。
「…責任……取れよ…ばかぁ…」
初めての行為のあとにふさわしい、何か情緒あふれた言葉を言わないとと思ったのに、色々いっぱいいっぱいの口から出てきたのは、そんな可愛くない言葉だった。
いくらなんでもこんな時の言葉としてはひどすぎだ…と、アーサーは自分で自分が嫌になって、泣きそうな気分になるが、アントーニョはおおらかな様子で
「当たり前やん。責任も権利も全部抱え込んだるわ」
と、それを笑い飛ばす。
ああ、そんなとこが好きだな…と思って、そんな気持ちが相手にきこえるわけじゃないのに、アーサーは恥ずかしくなって真っ赤な顔を隠すようにうつむいた。
その後、そこで育ったアーサー本人ですら徒歩でなど登った事のないくらいとんでもなく高い塔を警備の者達をなぎ倒しながら駆け上ったためさすがに疲れたらしいアントーニョが珍しく早い時間に寝たいと言うので、アーサーも隣に横たわる。
そう言えばこうして一緒のベッドに寝るのは初めてだ。
ドキドキしながらちらりと伺うと、疲労が限界だったのか、アントーニョはもう寝ているらしい。
それを良い事に普段は恥ずかしくて見られない、アントーニョを観察してみる。
普段はほとんど笑顔なのであまり気付かないが、こうして笑みを浮かべていないと、随分精悍な男らしい顔をしている。
あの顔が…あの唇が…触れたんだ…。
アーサーは無意識に自分の唇を指でなぞった。
とたんに、ゾクっと背筋を何かがかけあがって、次にひどく体が火照ってくる。
(え?…ええ??)
よくわからない感覚に自分でも戸惑って、アーサーは頭まで布団をひっかぶった。
自分もきっと疲れているんだろう…もしかしたら風邪くらいひいたのかもしれない。
アーサーは布団の中でぎゅっと固く目を閉じた。
そして…実家に戻って以来よく眠れていなかったためか、結局睡魔に勝てず意識を手放した。
ゆえに…
「…や~っと寝たか…」
と、その後…アーサーが眠った事を確認して起きあがったアントーニョが、そ~っとベッドを抜け出してバスルームに向かった事は当然知る由もない。
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