生贄の祈り 第九章_6

「…エリザに…生贄になりたいって言ったんだ…」
アントーニョに抱きしめられたまま、どうする事もできそうにないので、アーサーは話し始めた。
「…生贄?」
ピクリとその言葉にアントーニョが反応する。

「人質に戻ってぬるま湯で一人優しくされた日の事を思い出して泣くなら、いっそ生贄として天に召されたかった。」
「いややっ!!そんなんあかん!!自分は俺のモンやでっ!神様にかて渡さへん!!」
そのアーサーの言葉にアントーニョが抱きしめる腕の力を強くする。

「絶対に他になんてやらへんっ!行かさへん!!そんくらいなら外からしか開かん窓の部屋作って、部屋のドアにも窓にも鍵かけて閉じ込めて一日24時間俺の側から離れられんようにしたるわっ!!それで嫌われたって疎まれたってかまへん!なくすよりマシやっ!!」
嫌われるのが怖くて拘束を緩くして失うくらいなら、嫌われても抱え込んだ方がいい…と、アントーニョは本気で拘束部屋の建設を考え始めた。

「…俺がいなくなったら…いや、いても、新しい人質がきてトーニョが気にいったら、人質部屋に戻るのかなって思ってたから…」
ぽつりとこぼすアーサーの考えてもみなかった言葉にアントーニョはぽか~んと
「何…いうてんの?」
とつぶやく。

アーサーは特別だ。本当に…初めて会った瞬間から唯一無二の存在になった。
アーサーの為にこの世の全てを捨てても、何かのためにアーサーを手放すなどありえない。

「ありえへんわ……。ホンマは外に出したない…他のモン…それが例えギルちゃんやろうと口聞かせんのも嫌なくらいやねんで。便宜上人質とったとしても、絶対に会わせたりせえへんし、人質部屋のあたりなんてやらへんわ。自分は俺だけのモンや。」

ほんまは誰にも見せんと閉じ込めておきたいねん…と、アーサーの髪に顔をうずめながら言うアントーニョの背にアーサーはそっと腕をまわした。

「…エリザの言ってた事…ホントだったんだな…」
「エリザが?」
「うん。」
聞き返すアントーニョにアーサーはうなづいた。

「トーニョはホントは自分だけしか会えない場所に俺を閉じ込めておきたいんだって言ってた…。だから…どうせ生贄になるなら神様じゃなくてトーニョのための生贄になってやってくれって…。死んだ事にして今までの生活も身分も何もかも全部捨てて、トーニョだけしか目に触れない場所でトーニョのためだけにいる…どうせ死ぬならそんな風に個を殺して生きないかって言われたんだ…。それがなんで個を殺すって事になるのかわかんないままだけど…。」

子供のような邪気のない大きな眼で見上げてそんな事を話すアーサーに、アントーニョはおおいに戸惑った。
閉じ込めておきたい…それはまぎれもない事実で、自分の中でかなりを占める欲求ではあるのだが……この子はまだ子供だ。エリザがどういう言い方をしたのかはわからないが、意味もわからず丸めこまれている可能性もある。

欲しくて独占したくて…でも愛おしくて傷つけたくない。
このまま自分が流せばアーサーは流されてくれるのかもしれないが…と、ひどく迷ったが、結局アントーニョは
「アーサー、自分、言ってる意味、言われとる意味、ホントにわかっとるん?」
吸い込まれそうに大きい澄んだアーサーの瞳を覗きこんで、そう問うた。

大きなペリドットの瞳は神に向かう神子のように澄みきってその問いに全く揺らぎをみせることはなく、
「つまり…ここがずっと俺だけの住処になって、ここにいればトーニョがここに戻ってくる…そういう事だろ?」
と、当たり前のことのように言う。

「…自分…ホンマに閉じ込められてかまへんの?」
「何かダメなのか?…俺一人のために一生こんな広いスペースを確保できないということか?」
「いや、そういう事ちゃうて。自分がホンマ閉じ込められてくれるなら、こんな塔どころか城の一つくらい建てたっても全然かまへんわ。ただ…普通嫌やし引くやろ?幽閉みたいなもんやし…」

「…幽閉……なのか…」
「いや、ちゃうって。俺はただ独占したい、誰にも渡しとうないだけやねんけど、実質、他のモンと会えんで、ここから出る事もできんてなったら幽閉されるのと変わらへんやん?」

「…よく……わからない…」
少し伏し目がちに考え込んだ後、アーサーは
「ああ…でも一つだけ条件があるな。」
とアントーニョを再度見あげた。

「なん?ホンマに自分がここにおってくれるんやったら、なんでも叶えたるわ」
「もしいつか…トーニョが俺を要らなくなったら…外に放り出したり人質に戻すくらいならお前の手で殺してくれ。俺はもうどこの誰でもなくて、他の誰のモノでもなくて、トーニョのための生贄だから。」
アーサーの言葉に、アントーニョは色々な意味でいっぱいいっぱいになって、とっさに言葉が出ずにただギュッとアーサーの小さな体を抱きしめた。

「…堪忍……こんなんでめっちゃ嬉しいなんて俺最低な奴やんな。ほんま最低なんやけど…でも側におったって。放してはやれへんけど、欲しいモンあったら何でも手に入れたるし、アーサーが気になるなら人質はもう取らへん。もううちの国もおっきくなっとるし、そんなんで脅すよりは踏みつぶした方が早いしな。」

「トーニョ…踏みつぶすとかって…なんだか不穏な事言ってないか?」
「そうか?ほんまの事やで?俺本来はまどろっこしいの好かんし。別にどうでもええ国がどうなってもかまわへんもん」
にっこり爽やかな笑顔と裏腹にえげつない発言。

「自分さえおってくれれば他はどうなってもかまわへん。世界滅亡させたってもええわ。自分が望むなら、ここら中の国全部つぶして進呈してやってもええで?」
「それ…冗談にならない…」
「当たり前やん。冗談で言うてへんもん。
小国一つくらいつぶしてそこいっぱい使った広い庭付きの城建てたってもええで?」
「やめとけ…俺はここでも十分すぎるくらいだから…。」

「お姫さんがそう言うなら」
アントーニョはそう言ってアーサーの左手を取ると、ちゅっと指先に口づける。

「自分が生贄なら俺はお姫さんだけに仕える忠実なしもべや。欲しい物、して欲しい事、なんでも言い?どんな事でも叶えたる。」

「…こんなに何でもあったら…これ以上なんてないだろ…」
エリザは正確にアーサーの好みを押さえていて、何もかもが心地よいように整えられた空間で、自分だけを見てくれるというアントーニョがいる。
これ以上何を望めと言うのだろうか…。

アーサーがそう言うと、
「ほんま何もないん?」
とアントーニョがちょっとがっかりしたように眉尻を下げた。

自分の言葉で一喜一憂するアントーニョに、まるで本当に愛されているようだ…と、内心嬉しくなるアーサー。
本当は身の程知らずな思いなのかもしれないが、自分はずいぶんこの大国、情熱の太陽の国を体現するような激しくでも温かな男が好きなようだ…と思う。

ああ、そうだ…
「じゃあ…一つだけ……」

他の人質には当たり前に与えられたかもしれない…が、自分はまだ与えられた事のないもの……

「…キス…したって?」
あえて太陽の国の訛りで言って、自分より少し濃い緑の瞳を見上げると、
「ちょ…自分それあかん…反則や…」
と、アントーニョの健康的な褐色の肌が一気に真っ赤に染まった。



遠い昔…小国だった太陽の国を一代で大国に押し上げた王がいた。
そしてその時代、太陽の国の後宮、東の塔には王の唯一の妃が住んでいたらしい。
それは、王がお気に入りの少年を亡くしてひどく嘆き悲しんでいた時に庇護国である小川の国の王が進呈した娘。
傷心の王は心にあいた穴を埋めるべく、そのたった一人の妃に溺れて行った。
しかし太陽の国にとっては幸いなことに、娘が無欲で賢明な娘だったため、王をよく導き、国は栄えた。
妃として唯一足りない点として、娘は子を成す事はなかったが、王は他に妃を取る事はしなかった。
そしてかわりに、王が他の誰より感謝をし信頼を置いていた小川の国の王の子を養子として、その後も国はますます栄えて行った。
そして…時がすぎ、王が老いて死を迎えると、王のたっての願いで王は地上の墓には入らず、海へと還っていった…。
不思議な事にその後、女官がそれまで誰も足を踏み入れる事を許されなかった後宮を訪れた時には、妃の姿はどこにもなく、ただ膨大な量の見事な刺繍が残るのみだった。

今は昔の物語……。
幻のごとき真実を知るモノは、今はもう誰もいない。


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