生贄の祈り 第九章_5

東の塔は驚くほど綺麗になっていた。
昔後宮として使っていただけあって、塔と言っても1階スペースは広く、上に伸びた塔の部分はどちらかというと展望スペースのようなサンルームになっていて、天気の良い日に海を見渡しながらティータイムを楽しめるような造りだ。
東に入る入口は後宮であったため狭く厳重で、しかしその部分を超えると女性のためのスペースであったため、花壇や薔薇のアーチ、噴水などの設置されている可愛らしいエリアになっている。

こんな場所にアーサーを置いておきたかった。
あの子は花も好きだったし、天気の良い日には庭のベンチでティータイムを楽しんだり、サンルームで刺繍にいそしんだりする姿が見られただろう…そう思った瞬間、また涙があふれてくる。
絶望と悔恨、様々な思いがアントーニョの脳裏をかけめぐった。

今こうして自分が呼吸をし、心臓が脈打っているのすら疎ましいというのに、このエリアはどうしてこんなに和やかで綺麗なのだろうか…。
こんなに綺麗な場所が用意されているのに、何故あの子は今でも暗く冷たい海をただよっているのだろうか…。
考えれば考えるほど気持ちは沈み込むが、自分は人生の最期を迎えるにしてもしなければならない事をしないと、自らの生死すら自由にさせてもらえないらしい。

薔薇のアーチをくぐって入る建物の入り口。
白地に金の繊細な模様が入ったドアも、いかにも女性向きと言った感じで、アントーニョをうんざりさせる。

入口から中に入ると、エリザが待っていた。

「つきあたり奥の部屋だから。あたしは退出するけど、くれぐれも乱暴しないのよ。」
と言いたい事だけ言って本当に建物から出て行ってしまうその態度に少しムッとする。
ひとの事を種馬扱いしておいて、乱暴するなとは随分な言い草だ。

不快感をさらに増しながら、アントーニョは廊下を進んで突き当たりの部屋のドアを開ける。
ノックもせずドアを開けた事で、物音に驚いたのか、部屋の中央のソファに腰をかけていた娘がビクっと身をすくめてこちらを振り返った。

まるで花嫁のようにヴェールで覆われて顔は見えないが、かすかに覗く落ちついた金色の髪がアーサーを思わせて、アントーニョは軽く頭を振った。
今は感情が揺れるような事は考えまい…と、思う。
愛情がなくても体を重ねる事はできるが、永遠に亡くした誰よりも大切だったあの子の事を思い出すと、とてもではないがそんな気分にはなれなくなる。

「悪いけど…優しゅうしてやれる気分やないから」
と、不機嫌な声で告げ、アントーニョは娘の腕を乱暴に引き寄せてたたせると、邪魔なヴェールをむしりとった。
春の新緑色の瞳…。

……あかん……重症や……。
一気に体の力が抜けて、そのまま床にへたり込むアントーニョ。
涙を止める事ができずに、その場でしゃくりをあげる。

「…あの…」
と、戸惑ったようにかけられる声。

姿だけでなく、その声すらアーサーのモノに聞こえた。
どうやら目の前にいる人間にアーサーの幻を見てしまうほど、自分は参っているらしい。

「あかんわ…俺、ありえん幻みるほど好きやってん。悪いけど…自分の事抱けへんわ。あの子がもうおれへんのわかってて幻抱けるほど割り切れる性格ちゃうねん…あの子…もうおれへん。おれへんのや…」

おそらく言ってる意味もわからないであろう相手にそう言って泣き崩れるアントーニョの肩に、ソッと細い手がおかれる。

「……トーニョ…ごめん…」
困ったようにつぶやかれる声に顔を上げると、心底困ったようなペリドットが自分を見つめる。
「…アーサー…なん?」
信じられないように口を開くアントーニョに目の前の娘は
「他に誰に見えんだよ」
と、アーサーの顔で、アーサーの声で、アーサーらしい肯定の言葉を返した。

「ほんま…?」
膝立ちになったアーサーの頬におそるおそる両手で触れると、アントーニョはその顔をまじまじと覗きこむ。

ああ…ほんものだ…

思った瞬間、手を頬から背中に移動して、ぎゅう~っと抱きしめる。
「ちょ、苦しい。離せ!」
「いややっ!離さへんっ!」
ワタワタと抵抗をするものの、力の差は歴然としていて、びくともしない腕に諦めて、アーサーは力を抜いた。

「ごめん…怒ってるか?」
無駄な抵抗を諦めてコツンとアントーニョの肩に額を押し当てて言うと、アントーニョは
「怒ってへんよ。自分が無事やったらなんでもええわ。…生きててくれておおきに。ほんまありがとな…」
と、また嗚咽をもらした。




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