生贄の祈り 第八章_1

眠って起きたらまだ人の気配がした。
おそるおそる目を開けると、心底ホっとしたような目でアントーニョが顔を覗き込む。
「おはよーさん。気分はどない?なんか食べれそうか?」
髪を梳く大きな手が気持ち良い。
温かさに胸がいっぱいになった。

優しくされるのは嬉しい。想われるのは嬉しい。
でもそれをもうすぐなくすであろう事を思うと、ただただせつない。
こうして優しさをむけられるのがつらい。

口を開いたら泣き出しそうなので、グッと口を固く結んで、首を横に振った。
とたんにアントーニョの表情が曇る。
面倒な人間だと思われたのだろうか…。
じんわりと視界がうるんだ。
「どっか苦しいん?それとも痛いん?」
自分の方が泣きそうな顔でアントーニョが涙をぬぐってくれる。
その優しい態度にすら心が痛む。
「なんかしてやれる事ないんかなぁ…ほんま…代わってやれたらええのにな。」
今そうやってかけられる優しい言葉に、いつかそれが他に向かう事を思って、また涙がこぼれた。





この子といると、良くも悪くもいつも心が揺さぶられる。
熱を出して眠っているアーサーを目の前にして、アントーニョはため息をついた。
いつも透けるように白い肌の中、頬と唇だけがうっすらピンク色なのだが、今日はどちらも血の気を失って青みを帯びている。

正直…怖い。
このまま目を開けなかったら…?そんな馬鹿な考えが頭をよぎり、起こして生きている事を確認して安心したい衝動にかられるが、せっかく休んでいるところにそんな事をして悪化させたらと思うとできなかった。

人間なんて放置していれば勝手に生きて行くものだと思っていたのだが、実際、自分の周りの人間にはそれは十分当てはまる事なのだが、この子に関してはそれが当てはまらない。
神様と綱引きをしている気分だ。
油断をするとたぶん連れて行かれる。
いや、油断しなくても連れて行かれそうだ。

「頼むから…連れて行かれんといてな…」
熱を帯びてすっかり熱くなった小さな手を自分の額に押し当てて、アントーニョはつぶやいた。

その小さな手は、時折どこか痛むのか苦しいのかわからないが、苦痛のために硬直する。
苦しげに寄る眉。
風邪だけではないと思うが、本人が一切苦痛を訴えないため、どこが悪いのかもわからない。
嬉しい、楽しいという気持ちは時折見せてくれるようになったが、アーサーは苦しい、痛いなど、マイナスの状態は頑なに隠そうとする。
敵対する者相手ならそれは弱みを見せないという意味で正しい事なのだが、自分はもしかして心を許されてないのだろうか?
どうしたらもっと心を預けてくれるのだろうか…。
これまで他人に好かれよう、気を許してもらおうなどと意識した事がないので、本当にどうしていいかわからない。

ああ…もう、城の奥深く、誰も近づけない離れでも作って、そこに閉じ込めて、自分以外の人間を見られないようにしてしまおうか…。

この子をしまうなら、白い建物が良い。
館の周りを棘のある…でも綺麗な薔薇で囲み…そうだ、その薔薇が見渡せる位置にサンテラスを作って、天気の良い日はそこでお茶に出来るようにしても良い。
室内の床はこの子を傷つけないように柔らかい絨毯。
壁にはこの子の趣味の刺繍を飾っていくのもよさそうだ。
料理は小国時代の名残で自分もできるから、邸内にはキッチンも作って、時折自分で作った料理でこの子の胃を満たしてやりたい。

そこでは国も何も関係なく、外の全てのモノから遮断して、この子は毎日自分だけを見ながら趣味の刺繍などに時間を費やし、自分と二人だけで過ごすのだ。

そこまで考えて、アントーニョはハッとして小さく首を振った。
物理的にそうする事は可能だが、そんな事をしたら完全に引かれる。
他人事なら、アントーニョとて、そこまでの執着は異常だと思うだろう。

それでも…と、アントーニョはアーサーの柔らかな金糸の髪を梳きながら思う。
こうして触れるのは自分だけが良い。笑顔も泣き顔も怒った顔も…全ての表情を見るのも自分だけで良い。
世の中すべてからこの子を遮断して、自分だけのものにしたい…。

その時ピタっと冷たい物が頬にあたって、アントーニョは初めて自分の側に立っている人物に気付いた。
「ああ、エリザか。」
頬に当てられた冷たい飲み物の入ったグラスを受け取って、アントーニョは傍らに立つエリザを見上げた。

「トーニョ、なんか思い詰めた顔してたわよ?」
エリザはそう言って椅子をひきずってくると、アントーニョの隣に座った。
「あ~、うん。なんか煮詰まってるわぁ。ちょぉ自分でもおかしい事考え取ったかもな」
「どんな事?」
「うん…聞いたら引くで?自分でも他の奴がそんなん考えとる聞いたら引くわ。」
「いまさらでしょ?トーニョもギルも馬鹿なとこ思い切り見て育ってるし、そっちもそうなんだから、嘲笑う事はあっても引きはしないわよ。言いなさいよ」
言葉は悪いものの心配してくれているのは伝わってくるし、幼馴染の気安さもあって、アントーニョはさきほどまで考えていた事をエリザに話す。

そして全てを話終わると、エリザはあっさり
「ま、トーニョらしいわね。」
と言い放った。

「なんやねん、それ。」
「まんまよ。トーニョ自覚ないの?」
「自覚?」
アントーニョは首を傾ける。

「そうよ。トーニョってさ、ギルと違って昔から大事なモノとかって絶対に他人に見せて自慢したりしない人間じゃない。」
「謙虚やんな。」
「そうじゃなくて。」
「なんやの?」
「他人に興味持たれて取られるの嫌だからって、誰にも見せないで大事にこっそりしまいこんで、自分だけでこっそり愛でるタイプ。ギルは逆に自慢しまくるのよね~。対照的で面白いわよ、あんたたち。」
あっさり性格の差を見極めて言うエリザにアントーニョはぽか~んだ。

「エリザって…たまに鋭いやんな。」
「そう?いつもでしょ」
くすりと笑うとエリザは少し首を傾けた。
「だからね、トーニョがフェリちゃん嫌な理由もわかるわよ?あの子あっさりお姫様の警戒心取り去って近づいちゃったから…。焼もち…でしょ?」
ずばり当てられてアントーニョは口をとがらせる。
「あの子なれなれしいねん。……立場同じやからとか言いよるし…。そんなんしゃあないやん。俺かて好きで人質とっとるみたいに思われる立場におるんやないわ。」

そのために信じてもらえない、心を開いてもらえないのだとしたら、非常に不本意だ。
決して立場が強いから、いつでも見限れるなどという軽い気持ちで接しているわけではない。

「俺がどんだけアーサーの事想っとるか、見せられるんやったらみせてやりたいわっ。この子に対してはもう思い切り引かれるくらい本気やで?」
「うん…それは私達はわかってるから」

それでなくてもアントーニョの愛情は狭く深い。
世の中が多くの敵とかなり多くのどうでもいい相手と、本当に極々少数の大切な人間で構成されている男だ。
普通はもっと多くに配られる愛情が、その極々少数にのみ注がれているわけだから、その深さや思い入れときたら、それこそ慣れてない人間からしたら、先程の話ではないが、十分引くレベルだ。

その愛情を向ける頂点に立つ子に対してなら、監禁して自分にしか会わせないようにしたいと考えることなど、容易にうなづける。
むしろ今の時点で実行してない事が驚きだ。

それをエリザが遠慮も何もなくポロっと口にすると、アントーニョはハ~っと大きく息を吐き出した。
「やって…嫌われとうないやん。そんなん言ったら完全引かれるわ」
柄にもなく弱気なアントーニョの発言に、エリザはちょっと目を丸くし、それから聞く。
「じゃ、アーサーが嫌がらなければ今頃別棟建ててるわけ?」
それにアントーニョは
「あたりまえやん。あの子が閉じ込められてくれるなら、めっちゃ綺麗な建物建てたるわ」
と即答。
「大きな大きな宝箱ってとこね」
その答えにエリザはそう言って笑った。


そんな会話を交わしていたエリザが去ったあと、アントーニョは再びアーサーに視線を移した。
大きな宝箱は確かに言いえて妙だが、それに大事にしまうにはまず、この神様との綱引きに勝たなければならない。

目の前で真っ青な顔で眠るアーサーは、ただの風邪…というにはあまりにも容態がよろしくないように見受けられる。
もしくは…ただの風邪を引いた時の危険性が自分たちの時のそれと大幅に違うという事なのだろうか…。

前回の時と違ってヒューヒューゼイゼイはしていないものの、今日は顔に血の気がなく、どこか苦しいのか時折顔をしかめて体を硬直させる。

自分が看るからというベルの申し出を断って、アントーニョは時折アーサーの額のタオルを冷やしながら、意識が戻るのを待った。
ベルが看ていてもどうせ気になって他の事が手に付かず、こうして側についているのは同じだ。
ひどく苦しそうな様子を見るのはつらいが、目を離していつのまにか息絶えていた等と言う事になったら、それこそ後悔してもしきれない。


ロヴィーノに言った言葉は本当の事だ。
まだ小国だった頃、アントーニョ自身色々な物を切り捨てて自身の身を守り、国を大きくしてきた。
その中には当時大切だったものもある。
それは物だったり、思い出だったり…兄弟もいた。
当時は国以外の何かを守る余裕もなくただひたすらにがむしゃらに進んできて、今こうして側にいるベルもエリザもギルも…生き残っているのはほんの偶然で、あの当時なら必要とあれば切り捨てていたと思う。

戦って戦って戦って…3大国の1国になった今でも、風の国の王のように自分の楽しみのために人を集めたりした事はない。
興味がない…というより、余裕のない時代が長すぎて、発想自体がわかなかった。

そんな中でみつけた、なくした多くのモノを補って余りあるくらいの大事な宝物。
今まで見た事がないほど儚く柔らかく美しくて…真っ白な存在。
失えるわけがない。

例え風の国の王でも神様でも…絶対に渡したりはしない。

しかし目を覚ました後も、アーサーはただただつらそうに泣くばかりで、どうして良いのかわからない。
なんでもしてやりたい…と思う気持ちとは裏腹に何もできない事に内心苛立つ。

「なあ…なんかして欲しい事とかないん?」
柔らかい髪を梳きながら聞いても、泣きながら首を横に振るアーサーに、悲しくなる。

やって、自分泣いとるやん。つらいんやん。
親分なんでもしたるし、大抵の事できる力もあるんやで?なのに親分には言われへんの?
言いたい言葉はたくさんあるものの、どれも衰弱しているアーサーを追いつめそうで言えない。
神様に勝とうと思うのはさすがに難しい…。



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