生贄の祈り 第五章_4

「すごいな、本当に塩辛い!」
舟遊び用の小さめの船の上でアーサーは桶をおろしてすくった海水を少し舐めて目を輝かせた。
「そんな事でそこまで楽しんでもらえるなら、誘った甲斐あるわ~」
アントーニョはその様子を見て目を細める。

一度は飛び込んだといってもすぐ気を失ったため、実質アーサーにとっては初めての海だ。
塩辛い水も泳ぐ魚も…船がたてる波しぶきさえ珍しそうにはしゃぐ姿に、アントーニョならずとも思わず笑顔になる。

「姫さん、はしゃぎすぎて落っこちるなよ」
とギルが、
「そんな事にならないように私が見てるから大丈夫。」
とエリザがそれぞれ言うのに、普段はにかみやなアーサーには珍しく
「ありがとう!」
と満面の笑顔を向けた。

「まあ…これは手放したくねえよな」
「手放さないわよっ。風の男女なんて返り討ちにしてやるわ」
少し離れてそんな会話を交わすギルベルトとエリザ。

アントーニョはアーサーの側であたりの説明をしつつ、一緒にベルの菓子をかじりながら、そろそろやんなぁ…と、空をちらちらと気にしている。

そして…そんなアントーニョの予想通り、ぽつりぽつりと空から水が降って来た。

「あ~。大変。雨ですね。引き返しましょう」
エリザがそう言って船を陸地へつけるよう命じると、ギルベルトも船頭達を手伝いに行く。

アントーニョはそこで羽織ってたマントを脱いでパサリとアーサーの頭からかぶせた。
「トーニョ?」
「濡れたら大変やからな。」
不思議そうに自分に目を向けるアーサーにそう言って笑いかける。
「それはお前のほうだろっ。お前王様なんだから」
アーサーが慌ててマントを取ろうとするのを、アントーニョは軽く押さえこんだ。
「王様やって関係ないよ?自分は俺の大事な大事な宝物やからな。濡れて風邪引かせるの嫌やもん。」
そう言ってやると、やっぱり好意になれていないアーサーは真っ赤になってマントの中で黙り込む。

そこでアントーニョは
「なんやうまくいかんなぁ…」
と肩を落として見せた。

「堪忍な…わざとやないんやけど…いつも自分を危ない目とか嫌な目とかあわせてまうな。ほんまは喜ばせたいのになぁ…。今日こそ楽しませたろ思ったのに雨に濡らしてまうし…」

そう言うと腕の中でアーサーがもぞもぞっとマントから顔を出した。
巣穴から顔を出す小動物のようで可愛らしい。
思わず笑みが浮かびそうになるのを、アントーニョはジッと耐えた。

「そんな事ない。すごく楽しかったぞ。」
まだ少し赤い顔で、それでも大きなペリドットはしっかりとアントーニョに向けられる。

「おおきに…」
アントーニョはアーサーの頭を抱え込んだ。

「親分な、ほんまアーサーの事好きやし、大切なんや。せやから嫌いにならんといてな。」
「…別に嫌いじゃない……」
「そか。良かったわ。親分な、今日はちょっと焦ってしもたん。」
「…?」

「アーサーももしかしたらギルちゃんから聞いたかもしれへんけど、風の国からアーサー寄越せって書簡がきてん。」

「風の国?」
「そ。アーサーがここに来る時も襲ってきたやん?あそこの王は老若男女集めて手ぇ出すんで有名なんや。アーサー可愛ええから目、つけとるんやろなぁ。
俺はあんな節操なしの遊び相手に大事なアーサーやれへんて断ったんやけど、そしたら乗りこんでくる言うんで…。」

「乗りこんで……戦争になるのか?」
マントの中から小さな手が自分のシャツをギュッと握る感触がする。
アントーニョは笑みを浮かべた。

「ならへんよ。本人が乗りこんでくるだけやから。
太陽、風、大地の3国は国力競う事はあってもお互い滅ぼすまではやらへんていうのが、なんちゅーか…暗黙の了解やねん。

せやからガチで戦っとる最中以外はそうやって王が自分で相手国行く事もあんねん。
今回みたいにあっちの要求蹴った俺らにむかついて文句言いにくんのも別におかしい事やない。

ただ、風んとこの王はえらい人たらし上手いっていうか…人取りこむの上手いんや。
俺は逆にそういうの下手やねん。

風んとこみたいにあちこち口説いて手ぇ出してとかしたことないしな。
全く寝た事ないかって言うたらこの年やしさすがにあるけど、基本的に相手から好きやって言われていうのが何度かあるだけで、お互い好きやない相手と興味本位とかでしたないし、自分から口説いた事ないねん。

自分からそういう事する時は、王やとか人質やとかそんな形で脅すんやなくて、自分もちゃんと相手の事ほんまに好きで相手にもちゃんと好きになってもろて…お互いちゃんと好きあってからやりたいなぁ思うんや。

そう思ってたら恥ずかしい話やけど、この年まで自分から好意伝えるとかする機会なくて、いまだにようできへん。

やから、ほんま大事に思っとるのにアーサーには嫌な思いさせてばかりや。
風の方にはそういうの情緒や遊び心理解せん馬鹿な蛮族扱いされるけど、ほんまそうやなぁって自分でもそう思うわ。

そんな状態で、あの、人をその気にさせるのが上手い風の王に会わせたら、アーサー向こうに行ってまうかもしれへんて思うて…少しでも好かれよう思って焦ってきちんと天気読まずに遊びに連れだしたらこれや…堪忍な。」

しょぼ~んとため息をついて見せると、マントがもぞもぞ動いて、アーサーが遠慮がちに抱きしめてくる。

「…そんな事ない。口先だけ上手い奴よりちゃんと誠意ある奴の方が良いと思うぞ。
トーニョは…馬車が襲撃受けた時も西の塔に送られた時も王様なのに自分で助けにきてくれたし…寝込んでた時も心配してついててくれたし…今も自分濡れても俺が濡れないようにしてくれてる。いつも色々俺が楽しいように、嫌な思いしないように一生懸命考えてくれるし……良い奴……だと思う」
最後はおそらくマントの中で赤くなっているのだろう、声が小さくなる。

「他にはわかんねえけど…フランは俺には色々贈り物は渡してくるけど上から目線で自慢や嫌みばかり言う奴だったし……俺は……フランみたいな奴より不器用でもトーニョみたいな奴の方がいい。」

「ほんま?おおきに。嬉しいわ。他にどれだけ馬鹿にされてもアーサーがそう言ってくれるなら親分全然かまわへんわ」
「…うん」
アントーニョがぎゅ~っと抱きしめる腕に力を込めると、腕の中のアーサーもわずかに応えてくる。

その反応に
(まあ…とりあえずはこんなもんやな…あとはエリザやギルあたりから外堀埋めさせな…)
と、アントーニョは内心ほくそえんだ。

自身が口にした通り風の王は人たらしの天才だ。
油断はできない。
嘘にならない…万が一他人に聞かれても矛盾の出ないぎりぎりの線で早急に好感度を高める作業を続けねば…。
ついでにフランシスを貶められればなおよしだ…。

(あの苦労知らずの王様に成り上がりモンの根性と本気せいぜいみせつけたるわ。この子は絶対に渡さへん。)

マントで遮られた視界の外で、そんな事を思いながらアントーニョが黒い笑みを浮かべているのに、アーサーは当然気付くことはなかった。




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