生贄の祈り 第一章_3

それは数日前にさかのぼる。

「あ~?!ふざけんなやっ!せやからベル送るのあかん言うたやん!も~ええわっ、俺が出るわっ!!」
アントーニョは今回送られてくる森の国の人質一行を狙って風の国が動いたという一報を聞いて、後ろに控える高官を怒鳴りつけて玉座から立ち上がった。


確かに森の国は小国群の中では今微妙な位置にあって、大国3国が注目している。
その中で他を出し抜いて人質を寄越させたのは快挙ではあった。
しかし所詮ただの小国だ。
取られたら取られたで別に他を制するのが少々面倒になるだけで、たいしたダメージがあるわけではない。

問題は…人事を司る高官が、その、小国にしては他より少しだけ重要というだけの国の人質の世話係にベルをつけた事だった。
そのおかげでベルは今…世話係として当然のようにその人質を迎えに行っている。

身分としては低いが、ベルはアントーニョの乳母の娘、つまり乳兄弟だ。
多数ある小国の人質などどうなろうと知った事ではないが、乳兄弟は大事だ。

アントーニョは周りが止めるのも聞かず、まだこの国が小国であった頃にはほとんど脱ぐ暇もなくそれを着て戦場を奔走した黒い鎧を久々に身につけて、
「ギルちゃん、あとは頼むわっ!」
と、こちらは武術の師匠の息子で幼馴染の現近衛隊長であるギルベルトにそう言い置いて、青毛の愛馬に飛び乗る。

フットワーク軽く戦場を駆け巡る事が多いアントーニョの事だ、最近は若干は少なくなってはきたが、こういう行動もままあるので、兵達も慣れたモノだ。

アントーニョが謁見室から飛び出した時点で即行支度を始め、城門を出る頃にはかなりの数の兵が後に続いてる。

そのまま一気に城門を走り抜け、慣れないものでは到底ついてこれない少々険しい近道を駆け抜けた。
風の国の動きを察知したのはかなり早かったので、急げば間に合うかもしれない。
というか、間に合わせるしかない。

人間はもちろん馬を休ませる間も取れないため、途中転々と設置している兵舎で馬を乗り継ぎ、人間は馬上で寝る。
元々大国だったが、一時は弱小国になり下がった太陽の国が短い間に再び大国へとのし上がれたのは、各地に配置している兵舎で馬を乗り換える事で、戦場までありえない短時間で辿り着く事ができるこの機動力によるところが大きい。

その太陽の国の機動力をフルに発揮して間に合うか間に合わないか…
ベルになんかあったら、森の国なんて踏みつぶしたるわ!と、ベルを配属した高官はもちろん原因となった森の国に対する怒りもこみあげているそのままの勢いで馬で疾走していると、遠くで争う音が聞こえてきた。

争っていると言う事はぎりぎり間に合ったのかもしれない。

「もうちょっと頑張ってや!」
と、アントーニョは愛馬から乗り換えた駿馬の腹をけると、戦場へと飛び込んでいった。


結論から言うとベルが人質と一緒に乗っているはずの馬車は、まだ周りを味方の兵士に守られていた。

「閣下!!」

かけつけた兵士の先頭にたってハルバードを振り回し敵をなぎ倒していくアントーニョの姿に、疲れを見せていた馬車の護衛の兵達が歓声をあげた。

「ベルは?無事なん?」
と、言いながらアントーニョは馬車に近寄り、並走する。

そしてとりあえず無事な姿を確認しようと、馬車の窓を開けてカーテンを引いたアントーニョは、その先にいる真っ白な姿に目を奪われた。

愛らしい…というのはこういうのを言うのだろうか…。
驚くほど長い金色のまつ毛に縁取られたペリドットの瞳から目を離せない。
肌も髪も全て色素が薄い中で、その大きなグリーンの瞳の色だけが際立っていた。

怯えたようにまっ白な小さな手で服の胸元をぎゅっと掴んでいるその姿に、心の奥底から何か熱いものが湧き上がってくる。

小さな子供でもなく、かと言って大人にもなりきれていない、まだ華奢な肢体。
とても儚く美しく清らかな存在…。

それはなにものにも代えがたい尊い宝物のように思われた。

ただただ優しく大切にしたい…。
身内以外に対してそんな気持ちになった事は初めてだ。
ひとめぼれ…といってもいい。

「なあ、自分、大丈夫か?こんなちっこいのに怖い思いさせて堪忍なぁ。でも親分が来たからにはもう大丈夫や。怖い事ないで」

驚かせないように、これ以上怯えさせないように…自分的にはなるべく穏やかに話しかけたつもりだったが、少年は固まったままだ。
血にまみれた浅黒い自分の事が怖いのだろうか…。

ソッとなでた髪はふわふわと柔らかくて、それだけでも自分とはかなり違う。

少年が眼を見開いたまま反応のない事に少し寂しさを感じたアントーニョが仕方なく
「親分もうちょぃ頑張ってくるから、そのまま馬車の中におり。出てきたらあかんで」
と、また戦いに向かおうとした時、
「あ…」
と小さな声が呼びとめた。
そしてそれに続く
「…気を付けて…」
の一言に、アントーニョは嬉しさのあまり飛び上がりそうになるのをこらえて、
「おおきに。」
と、それでもこみ上げてくる笑顔を向けると、またハルバードを手に取った。

それからはほとんど上の空で愛用の武器を振り回していた。
二日ばかり馬で疾走した疲労も全く感じない。
ただただ早く戦闘を終わらせて、あの子と話をしたかった。


そうしてハルバードを振り回し続けて数時間…。
昼過ぎについて戦い始めたのに、もう夜が明けかけていた。
周りには死体の山。
逃げる者も容赦なく追いすがって倒し、おそらく敵の生存者はいないだろう。

冷たい太陽の国の黒太子…ひとたび戦争になると敵国の人間は兵士はもちろん、兵糧を運ぶ人足や身の回りの事をするため連れてこられた女まで例外なく一人残らず命を奪うその容赦のなさのため、アントーニョはそう呼ばれていた。

敵を生かして返せば遺恨を産む…それがアントーニョの信条だった。
安っぽい同情心から生かして返した敵の遺恨によって国を身内を危機に陥れるのはごめんだ。
自分が守るべきなのは人類全体ではなく、国であり国民であり身内だけだ。
そのために自分がなんと呼ばれようと別に興味はない。

しかし今、これまではなんの迷いも戸惑いもなかったその考えに少しだけ揺らぎを感じる。
嫌われたくない…怖がられたくない…できれば好かれたい…。

相手から自分がどう思われるか…初めてそれが気になって、緊張気味に戻った馬車の中で、当の相手はすやすやと寝息をたてていた。

緊張をした分、一気に力が抜ける。

自分がいない間どんな会話が交わされたのか気になってベルに根掘り葉掘り聞いたらからかわれた。

でもしゃあないやん…嫌われたないんやから。
と心の中で思いながら、当分自分の身分を伏せてくれるようにベルに頼む。

城につけばバレることではあるが、それまでに好感度をあげておけば多少は違うかもしれない…それはそんな、太陽の国の黒太子として恐れられる自分にしては笑えるほど弱気な理由からだった。

とりあえず兵を一人呼んで、城につくまでは自分の身分を伏せるよう周知させ、ようやく一息つくと、アントーニョはとりあえず血まみれた鎧を脱ぐ。

それを同じく血まみれたハルバードと共に馬車の隅に隠すようにしまうと、あらためて眠っている少年の前に座ってその寝顔を観察した。

「ああ…可愛ええなぁ…なぁんて可愛ええんやろ~…」
少年のふわふわの髪を撫でながら、思わずつぶやく。

真っ白な肌、ほのかなピンク色のふっくらと柔らかそうな頬、そして…綺麗なペリドットの瞳は今は瞼の下だが、代わりに目を惹く少女と見まがうほど長く濃い金色のまつ毛。
眉毛が太いのが美しさという意味では微妙にバランスを崩してはいるが、それさえも整えてないせいで返って幼さを醸し出して可愛らしい気がする。

本当にこれを可愛いと言わずして何を可愛いと言うのだろう…。

後ろで呆れるベルにも構わず、起きている時は無理だろうからと、今のうちに思い切り愛でておく。

アントーニョも一応それなりに爛れたお遊びというのには興じてきたが、どれもアントーニョ側からすると割り切った一晩限りのお遊びで、考えて見ればこんな風に誰かに心惹かれた記憶はない気がする。

可愛くて可愛くて、もう出来ればこのままガラスケースにでも入れて誰の目にも付かない所にしまっておきたいくらいだ。

そんな事を考えながらうっとりと柔らかい金糸の髪を撫でていると、不意にその長い金色のまつ毛に水滴がたまって来た事に気付いた。
それはどんどん大きくなり、やがて滴となって白い頬を滑り落ちる。

眠りながら泣くほど恐ろしかったのだろうか…。
ベルの話では城から出た事がないらしいから、そうかもしれない…。
この子は外を知らない。何もかも初めてなのだ。

アントーニョは何か心の奥底からこみ上げてきて叫び出しそうになり、慌ててそれを飲みこむ。
その瞬間、瞼が開いて綺麗なペリドットが顔を覗かせた。
露を含んだまつ毛で何度か瞬きをすると、ぽろぽろと滴が零れおち、また大きく丸い新緑色の瞳に涙が溢れる。

可愛らしくも痛々しいその様子にきゅぅっと胸が締め付けられた。

この可愛らし生き物はなんなん?
心の中で絶叫しながら、それでも実際に叫んだら驚かれる事請け合いなのでその言葉は飲みこんで、ソッとその涙を指でぬぐってやる。

「ああ、可哀想になぁ。怖かったやんなぁ」
自然とそんな言葉が口を衝いて出る。

その声に反応してか、それまでまだ半覚醒だったのかボ~っとしていた瞳にそこで光がやどり、ハッとしたように少年は慌てて半身を起した。

はらりとブランケットが落ちてむき出しになったシャツ1枚の薄い肩はやはり痛々しいほどに細くて、ああ、自分とは人種が違うのだな、と、アントーニョはあらためて思った。

「親分が来たからにはもう大丈夫や。何が来ても守ったるから、なあんも怖い事ないで。安心し?」
と抱き寄せると、少年はアントーニョのシャツをぎゅっと握って大人しく抱き寄せられたまましゃくりをあげている。

ああ…もう可愛ええなぁ…
丸い頭をなでてやりながら、もう片方の手をおそるおそる後ろに伸ばしても拒まれない事にアントーニョはちょっとホッとした。

しばらくしてしゃくりがやむと、あのペリドットが見たくなり、アントーニョは少し惜しかったが身体を離し、少年の顔がよく見えるように少し身をかがめて視線を合わせる。

泣きすぎて眼が真っ赤になってる様は本当に子ウサギのようで可愛らしい。

そう口にしてそのまま目尻に残った涙を唇を寄せて吸い取ったら、それだけの事にいっぱいいっぱいというように真っ赤な顔で動揺して、慌てて後ろに倒れかかるのが可愛い。
そういう触れ合いをした事がないという事が感じられるその初心な反応に心が浮き立った。

その浮かれた気分のまま
「おっと…。危ないで。自分…トマトみたいやんなぁ。真っ赤になって可愛ええなぁ」
と思わず笑みを浮かべたら、いきなり少年の表情が変わる。

「からかうなっ!ばかぁ!!」
とまた涙をこぼす少年はひどく傷ついた顔をしていて、アントーニョは焦った。
世間ずれしていないまだ純真な心には、それはひどいからかいと映ったらしい。

ただ純粋に可愛らしいと思っただけで、決してそんな気はなかったのだが、せっかく心を開いていてくれた少年をひどく傷つけたらしい事に、アントーニョは自分の言動をひどく後悔した。

「堪忍な。別にからかってるつもりとかなかってん。泣かんといて。」
どうすればいいのかわからず、少年を抱きしめて謝罪する。
ただただ泣くその姿は、痛い、痛い、と、傷ついた心の痛みを訴えているようで、胸が締め付けられるような気分になった。

それでも謝り続けたらわかってもらえたのか、少年がギュッとアントーニョの背に小さな手を回してきてくれて、心底ほっとした。

「ほんま、堪忍な。俺の事はトーニョって呼んだって?」
落ち着いた頃、アントーニョは再び少し身体を離して視線を合わせる。
涙にぬれたペリドットも滴の付いた長い金色のまつ毛もとても愛らしかったが、どうせなら笑顔が見たいと思った。
きっと蕾が花開くように可愛らしく笑うのだろう。

思わずその図を想像して浮かんだ笑みに少し安心したように、少年はアントーニョを見上げて聞いてきた。

「お前は…一般兵とは違うようだし、太陽の国の将軍か何かなのか?」

…聞かれるだろうな…とは思った。

「うん、まあ似たようなもんや。兵隊さん達の上におるもんやで。」
なるべく嘘にならないように、ぎりぎりのラインでごまかすアントーニョ。
そしてそれ以上深く聞かれないために話題を変えた。

「お姫さんは?俺なんて呼んだったらええ?」
そう聞くと、アーサーは一瞬聞かれた意味がわからなかったようで、コクンと頭を少し横に傾けた。

「俺…男だぞ?」
今度はからかわれているとは取らないでくれたらしいが、反応が斜め上だ。

また変な事言ったら泣かれるなぁ…と、アントーニョは少し考え込んで、結局
「ああ、それはわかっとるんやけど、俺はお守りする立場やさかいイメージ的にな、そう言うたんやけど…。で、なんて呼んだらええ?」
と言葉を続ける。

なかなか苦しい言い訳だが、そういうものなのか…と、世間知らずな少年は首をかしげながらも納得してくれたらしい。
そして、でも男に使う言葉じゃないぞ、と、真面目な顔で指摘したあと、ようやく
「アーサーでいい」
と答えてくれた。


「ほな、アーサー行こうか?」
アントーニョはにこりと立ちあがって手を差し出した。
ぽか~んとまた見あげてくるアーサーの様子は小動物のようで可愛らしい。
「行く?どこに?」
と、当然の問いに答える前に、アントーニョはアーサーの手を取って立ち上がらせた。
そして馬車のドアを開けさせると、人を呼び、馬を引いてこさせる。

「自分、城出るの初めてなんやろ?外見せたるわ」
と、アントーニョは馬の手綱を受け取ると、並走している馬に飛び乗り、
「おいで」
とアーサーに両手を差し出す。
馬車のドアにしがみつきながら、おそるおそる身を乗り出すアーサーに少し笑って、アントーニョはその細い腰を抱えて引き寄せ、自分の前に座らせた。

「…わぁ……」
そのまま馬車から離れると、小さく息を飲んで眼を輝かせるアーサー。
思ったより視線が高いのに少し驚いている。

「気持ちええやろ?」
その様子に満足げな笑みをうかべながら、アントーニョはアーサーを見降ろした。
「外は楽しいところやで。出てすぐにあんな事あって怖かったやろうけど、これから楽しい事いっぱい教えたるから、嫌いにならんといてな」
あえて太陽の国を…という言葉はまだ使わなかったし、使えなかった。

たぶんアーサーにとって外も太陽の国も自分も…マイナスの印象の方が強いだろうと思ったからだ。

アントーニョはそのままアーサーを乗せて、かつて知ったる道の中でもなるべく景色の良い道を選んで走り抜ける。

途中、自生の林檎の木から丁度なっている果実を二つもぎ、一つをアーサーに渡した。

「林檎?」
それを両手で持って首を傾げるしぐさはまるでリスのようで、いちいちアントーニョの心をくすぐる。

「食べ。うまいで」
とアントーニョが自分の手の中のそれをシャクっと一口かじると、アーサーは少し手の中の林檎を眺めていたが、意を決したようにそれを口に持っていく。

…が、ツルツル滑ってかじれない。
悪戦苦闘していると、スイっとアントーニョに上から林檎を取り上げられた。

そしてアントーニョは一口シャクっとかじって、それをアーサーの手に戻すと、
「ホラ、ここからかじり」
と、自らがかじって白い果実が覗いている部分を指さした。

アーサーは黙ってうなづくと、かけてかじりやすくなった部分をシャクっとかじる。
そして今度は無事口に入った林檎を咀嚼すると、口内に甘酸っぱい旨みが広がった。

「美味しい…」
林檎を食べた事がないわけではなかったが、こうして丸のままかじったのは初めてで、もちろん外でモノを食べたのも初めてで、なんだかいつもより美味しく感じる。

思わず笑みを浮かべるアーサーに、アントーニョはぽか~んと見惚れた。
本当に花が徐々に開いて満開になっていく様を思わせる綺麗な笑み。

手の中に閉じ込めておきたくなって、思わず上から覆いかぶさるように抱きしめると、アーサーは驚いたようにワタワタする。
それにも構わず抱きしめたままのアントーニョ。

「ああ…ホンマ可愛ええなぁ…自分。」
ほ~っとため息をついて言うアントーニョにアーサーは真っ赤になった。

「城についたら船に乗せたろか。海近くやから砂浜で水遊びもできるで?何したい?もうなんでもしたい事させたるわ。」
アーサーの頭に顔をうずめたまま言うアントーニョに落ち着かないものの、その言葉には惹かれるものがあって、アーサーは聞く。
「海?本当に水がいっぱいあって塩辛いのか?」
その可愛らしくも無邪気な質問になんだかもう自分の方がいっぱいいっぱいになってくるアントーニョ。
その頭の中には連れて行ってやりたい場所、見せてやりたい物リストがいっぱい浮かんでいる。

「ああ、しょっぱいで。城ついて落ち着いたら遊びに行こな?」
と、少し顔をあげて二コリと笑いながら答えると、アントーニョはとりあえずこの日は寒くなる前にと馬車に戻る事にした。

それから城につくまで3日間。
アントーニョは毎日アーサーを外へ連れ出した。
初めて見る世界は新鮮で美しかったし、初めて与えられる好意は心地よかった。
全て経験した事のない幸せで、アーサーは自分の身がおかれている状況もすっかりと忘れていた。

だから、どうせ他国で死んでいく者…生まれおちた瞬間からそんな冷めた目で見られ扱われてきた暗く冷たい灰色の世界から心を守っていた壁が徐々に崩れ落ちて、心がむき出しになってしまっているのに気付かなかった。





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