生贄の祈り 第三章_2

「…助けたって……なぁ…誰でもええから助けたって…」
息を吹き返してホッとしたのもつかの間、今度は高熱を出したまま意識不明のアーサーを前に、アントーニョはそう繰り返す。

ヒューヒューと目の前で苦しげな呼吸を続ける姿を見ていると頭がおかしくなりそうだ。
代われるモノなら代わってやりたい…と切実に思う。
同様に海に潜った自分は何もなかったようにピンピンしているのが苛立たしい。

太陽の国はアントーニョが子供の頃までは大国が没落した小国で、アントーニョは子供の頃から当たり前に戦場を転々としていたので、正直自分の身が傷つく事に対してはあまり気にならない。

ギルも…17くらいまではエリザさえ普通に戦場で剣を振るっていたし、今ではすっかり大人しくなったベルも子供の頃はいつ敵国に侵略されるかわからなかったこの国で生き残るために護身術をならっていて、多少の剣は使える。

太陽の国は男も女も基本的には戦士な国なのだ。

そんなこの国では弱いモノ、戦えないモノは自然に淘汰され、世に出る前に消えるのが常だったので、こんな風に抵抗もなく傷つけられ、弱っていく存在と接した事がない。
目の前で消えて行こうとしている儚い命を前にしてもどうしていいのかわからない。
ただただつらい。
切りつけられる身体の痛みには慣れていても、こんな締め付けられるような心の痛みには本当に耐性がないのだ。

「なあ…死なんといて……死なんといて……」
戦場に身をおけば100倍の敵を倒す太陽の国の黒太子と恐れられているアントーニョだったが、今、目の前の命が消えるのを恐れてオロオロ泣くしかできない。
今まで当たり前に無感動に見てきた死が、今こんなにも恐ろしくつらい。

ゼーゼーヒューヒュー苦しげな呼吸音…空気を取り込めないようで、苦しそうにまだ幼さの残る顔をゆがませるその様子を見ているのはつらすぎて…でも目を離したらそのまま死んでしまいそうで、怖くて目が離せない。
意識がなく薬を飲ませる事すらできないので、目の前で苦しんで苦しんで弱っていくのを見守る事しかできない今の状況は、本当にどんな身体的拷問よりつらい。

小さな手が何かを求めるように空をさまようのを、アントーニョはギュッとつかんだ。

「ここにおるから…守ったるから…死んだらあかん。…死なんといてや…」
両手で包みこむアントーニョの手をつかみ返す力は悲しいほど弱々しい。
それはあたかもこの儚すぎる命の残り少ない生命力を表しているようだ。

そしてそれまではそれでも一定の感覚で聞こえていた呼吸音が、いきなり短い不規則なモノに変わった。
アントーニョが握っているのと反対側の手が、苦しげに胸元をつかんで、身体が苦痛にかひどく震える。
呼吸ができずにパクパクと口を開閉し、熱のため赤くなっていた顔がみるみる間に真っ青になっていった。

「アーサー!アーサー、しっかりしっ!」
ひどく苦しんでいるのを目の前にして何もできないのが情けない。
涙が止まらない。
誰か…誰か助けたって……
思わず握った手を引き、身体ごと引き寄せて自分の胸に抱きしめた。

そして
「…死んだらあかん……死んだらあかんで……」
と、もう何度繰り返したかわからないその言葉をまた繰り返す。

そんな時胸元で身じろぎをする感覚がして、慌てて下に目をやった。
ずいぶん久しぶりに目にした気がする夢見るようなペリドット。
アントーニョはとっさにすぐ側のサイドテーブルに置いてあった小さなグラスを手にとった。

「これ飲んで。」
と、薬の入ったそのグラスを血の気を失ったアーサーの口元へと運ぶ。
これで少しは楽にしてやれるかもしれない…と心底ほっとしたのもつかの間、その安堵はあっという間に消え去った。

衰弱しすぎてもう周りが見えないのか、心が壊れてしまったのか…。
アントーニョの声にも口元に添えられたグラスにも虚ろな目をしたまま何も反応しないアーサーの様子に、アントーニョはまた絶望の淵に叩き落とされる。

「薬やから…これ飲んだらきっと良うなるから…元気になるから……」
祈るような気持ちでさらにそう加えてもやはり虚ろな表情は変わらない。
壊して…しまったのか…。
絶望で気が変になりそうだった。

「お願いやっ…飲んだってっ!頼むわっ!このままじゃ自分死んでまう!」
泣き叫んでも驚いた反応さえない。
完全にもう壊してしまったのだと、アントーニョは認識した。
自分が…自分の愚かさがこの子の繊細な心を壊し、命を奪ったのだ…。

泣きながら名前を呼ぶアントーニョの声も全く聞こえないかのように、アーサーはまた瞼を閉じた。
これでもう二度とあのペリドットを見る事は叶わないかもしれない…。
アントーニョはアーサーを抱きしめたまま、嗚咽をもらした。


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