むき出しの石の壁に石の床。
調度品も木の机と椅子が一つずつと、同じく木でできたベッド。
元々は牢に準ずる場所なだけに、貴族や王族の滞在場所といえども牢とそう変わらない。
牢と違うのは部屋自体に鉄格子のようなものがないくらいだろうか…。
そこに向かう階段もまた、やはりむき出しの石でできていて、窓ガラスもなく、海風がふきすさんでいて、どこか薄暗く憂鬱な気分にさせる。
そんな場所にあんなに脆く傷つきやすい心を持ったあの子を連れて行ったのか…。
この薄暗い階段を登らされて、どれだけ恐ろしく心細い気持になったのだろうか…と思うと、心臓がズキズキと痛んだ。
槍で刺されるより、剣で切られるより痛い……。
ああ、やっぱり自分が離れるべきではなかったのだ。
階段を駆け上がりながら、アントーニョは後悔した。
あの細く白い手で胸元をギュッとつかんで震えていた様子が脳裏に浮かぶ。
こうして向かっている一分一秒の間にも、あの小さな心が傷つけられている…そう思うとアントーニョはもう居た堪れない気分になった。
早く…一刻も早く迎えに行ってやらなければ…
長い階段を一段抜かしに飛び上がり、上を目指す。
そしてようやく見えた木の扉。
そう言えば慌てて飛び出したまま鍵を持ってこなかった。
が、そんな事はアントーニョの障害にはならない。
腰に下げた剣で鍵を壊すと、バン!と扉を開けて中に入った。
とたんに吹き込んでくる強い風。
薄暗く狭い部屋を見回しても、あの子の姿はどこにもない。
焦って正面に目を向けると、バルコニーのドアが全開で、カーテンがすごい勢いで揺れていた。
そしてその向こうには……
「あかんっ!!アーサーっあかんっ!!!」
ボ~っと何か壊れてしまったかのような虚ろな目で海へと腕を伸ばした白い姿。
「あかんっ!!やめ~!!!」
叫んだアントーニョの声も聞こえていない。
部屋へ飛び込んだアントーニョが、低いバルコニーの手すりにおぼつかない足取りで立つその華奢な身体を捕まえようと駆け寄った瞬間、その身体が風に誘われるようにふわりと前に崩れ落ち、アントーニョのほんの目の前で海へ吸い込まれるように落下していった。
「うあああああ~~~!!!!」
伸ばした手が空をつかむ。心臓が嫌な音をたててきしんだ。
気が狂いそうな痛みが胸を走る。
あの子が…死んでまう……!!
その…まるで人形のように力なく落下していったその姿を追って、アントーニョもバルコニーから飛び降りた。
「エリザっ!俺様も行くから、お前医者の用意しとけっ!」
ようやく追いついてそれを目にしたギルベルトも、エリザにそう指示をして、海へ向かって飛び降りる。
バシャーン!!と派手な水しぶきをあげて海へと落ちたアントーニョは、その衝撃に一瞬顔をしかめるが、すぐに目を見開いて必死に白い姿を追い求めた。
水はまだ冷たく、波も緩やかとは言い難い。
早く見つけてやらなければ……と気持ちが急くものの、落下の衝撃と水の冷たさで手足が思うように動かない。
それでも必死に愛しい子の姿を求めて、アントーニョは深く海へもぐった。
おれへん……おれへん…!!
苦しいのは呼吸なのか心なのか、もうよくわからない。
ただただ苦しい。
それでも諦めるという選択はアントーニョの脳内にはなかった。
呼吸が苦しくても冷たい水に手足がしびれてきても、ひたすらあの白い姿を探し続けた。
あの子をみつけられないくらいなら、助けられないくらいなら、このまま溺れ死んだ方がいい。
その時いきなり背中に軽い衝撃が走って、重い水の中で振り返ってみると、ギルベルトが右手で水上を指さしている。
そして…その左腕にしっかり抱えているのはアントーニョが探し求めた小さな身体。
アントーニョはそこでギルベルトが意図するところを読みとってうなづくと、先に立って泳いで行くギルベルトを自分も追った。
げほっ!と、水上から顔を出したとたん、久々に流れ込んでくる空気にむせて咳がでる。
「大丈夫か?」
と、その場で泳ぎながら聞いてくるギルベルト。
それに答えようと思うものの、咳で言葉にならない。
「ああ、無理にしゃべんな。とりあえず陸地向かうぞ。」
とギルベルトは自分も無言で泳ぎ始めた。
なんとか陸地までたどり着くと、まず身軽なアントーニョが岩にのぼり、ぐったりしたアーサーを受け取り、ついでギルベルトが岩に登る。
水から出ると強い海風に吹きさらされて一気に体温が奪われる。
早く温めてやらないと…と思いながら水で額にはりついた髪を払ってやろうとその青白い顔に手を伸ばしたアントーニョは硬直した。
「ギルちゃん……」
「ん?」
「息……」
それ以上言葉にならなかった。
固く閉じられた瞼はピクリともせず、震える手でおそるおそる触れた薄い左胸からはなんの動きも感じられない。
「殺して……しもたん?」
寒さからではなく声が震える。
「俺…この子殺してしもたん?!」
震える手でそっと触れた頬はもうあの柔らかな薄桃色の色合いを失い、青白く冷たい。
出会った瞬間の怯えた様子…目元の涙を唇で吸い取った時の真っ赤になった顔…林檎を美味しいと言った時の花が咲き誇るような微笑み…そして……冷たい海へ身を投じる前の心を壊したような虚ろな瞳……。
脳裏を出会ってからのアーサーの様々な表情がクルクル回る。
そのどれももう見る事はできない…そう思ったら体中の血が凍りついた。
「…あかんやん……まだ船乗せてへんで?
なあ…水遊びもさせてへん…。
どこも連れてってやってへん!楽しい事なんにも教えてやれてへんやん!!
まだ怖い事つらい事しか経験させてへんやん!!
そんなんで逝かんといて!!!逝かんといてやぁっ!!!!」
怖かっただろう…心細かっただろう…それこそ心を壊してしまうほど……。
そんな思いを最後に抱えたまま、冷たい海へと沈んでいったまだいとけないこの子を助けてやる事ができなかった…死なせてしまった…自分の無力さにアントーニョは絶望した。
太陽の国の黒太子などと呼ばれて恐れられても、自分は愛しいこの子一人救えなかったのだ…。
慟哭するアントーニョ。
しかし、その横に座り込んだギルは少し冷静に
「泣いてる暇あったら蘇生してみようぜ。心臓動きだせばなんとかなるだろ」
と、視線をアーサーに向けながらアントーニョの肩に手を置いた。
「心臓……?」
「うぉぉ!!!ちょ、待てお前!!」
いきなり護身用の短剣を取りだして自らに突きたてようとするアントーニョの手首をギルベルトは慌てて掴んだ。
「お前なにやってんだよっ!!!」
「や…だから心臓やろう思うて…動いてるやつやればこの子助かるんやろ?」
当たり前に言うアントーニョに
「そう言う意味じゃねぇえええ!!!!」
とギルベルトの絶叫が海辺に響き渡った。
「お前馬鹿かっ?!!いくらお前がむちゃくちゃな奴でも心臓取りだしたら死ぬっ。間違いなく死ぬからなっ?!」
「でも…動いてる心臓やればこの子助かるんやろ?」
壊れたおもちゃのように繰り返すアントーニョにギルベルトは大きく肩を落とした。
「あのな、取りだしてもそれ他人にやるとか今の医療技術じゃできねえから。そうじゃなくて俺心臓マッサージするから、お前、人工呼吸しろ。」
ギルベルトは簡単に人工呼吸について説明をすると、自分は心臓マッサージを始める。
幸い心肺停止してからそう時間がたってなかったのか、なんとかかすかに戻る呼吸と鼓動。
ギルベルトがふ~っと大きく安堵の息をついた時、毛布を抱えて医者と共にエリザが到着した。
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