とある狙われやすい少年について_21_母の危機感_義勇視点

思えば両親、特に母は義勇にとっての防波堤、高い防御壁だったのだと思う。
それが父と共に一度になくなって、義勇は一気に身の危険にさらされている。


両親と姉と自分。
家族4人は普通よりもだいぶ仲のいい家族だった。

父と母も尊重しあっていて仲が良く、姉はお姉ちゃん気質にあふれていて弟には優しかったので、兄弟喧嘩もしたことがない。

唯一少し変わっていたのは、父も母も双方親戚はいたはずなのに、義勇達一家はほぼ会うことはなく、一家4人の核家族のなかで色々が完結していた点だろう。

正確には幼い頃には正月くらいは双方の祖父母の家に行っていた。
でも義勇が小学校に入ったくらいのタイミングで母方の祖父が亡くなったあと、どちらにも行かなくなった。

当時ははっきりとした理由はわからなかった。
でもなんとなくだが母が嫌がりだしたからな気はしていた。

そもそもが母は実家と折り合いがあまり良くなかった。
母の実家は当時、母の父である祖父と弟である叔父真一の二人暮らしだった。
祖母は母が社会人になって家を出てすぐくらいに亡くなっている。
だから父は母の母、つまり義勇の母方の祖母には会ったことはなかったらしい。

そんな感じだったのでまあ、祖父が亡くなって、母は預貯金、叔父は家と土地という形で相続した時点で、仲が良くない弟の家に行く理由もないと言えばないのだが…



父方は親族が多くて、義勇達が遊びに行った時にも祖父母の家には父の兄弟の子、つまり義勇達の従兄弟達もたくさん集まっていた。
だからいつもずいぶんとにぎやかだった。

そんなわけで時折顔を出しに行っていたころから、母方の実家はずいぶんと静かな印象だった。

双方の実家に最後に行ったのが義勇が幼稚園児の頃だったので記憶も定かではないが、母方は祖父は無口で少し怖かったがその分叔父はとても優しく、父方は大勢だったので大人は大人達で子どもは子どもで集まっていて、人見知りの義勇には少し気づまりだったくらいである。

でも姉の蔦子は従兄弟達とも仲良くやっていて、両親の実家に行かなくなってからも時折り年の近い従兄弟達を懐かしんでいたのが記憶にある。

父の実家では父は内向的な義勇が少しでも子ども同士の交流に慣れるようにと、
──ほら、義勇も行っておいで。
と促していたが、母方の実家では母は子ども…特に義勇を自分から離そうとしなかった。

自分にとっての義実家である父方の家では父と一緒になって義勇を子ども達の集団に向かわせようとするのに、自分の実家では片時も離そうとしないのである。

その時は義勇も幼かったし、何故だろう?と一瞬不思議に思ってもすぐ気にしなくなったが、今にして思えばあれは子を守ろうとする母の危機感だったのだろう。

その後…色々がわかるようになってきて、色々なことがあって、義勇もそれを理解するようになった。


そして、あれは小学校1年の時、実家に行かなくなったってしばらくたっていたが、学校の帰りに叔父が居た。

その時に叔父が言った。
母が実家に足を向けなくなったのは、叔父とちょっとした姉弟喧嘩をしたからということである。

それで、
「謝っても許してくれなくてね。
父も亡くなってしまったし、私には他に親族も居ないし君達が来てくれないと寂しいんだ。
送って行くから少しだけうちに遊びに来ないかい?」
と苦笑交じりに言う叔父に義勇は頷いて叔父と一緒に久々に母の実家に足を踏み入れた。






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