彼女が彼に恋した時_14_7

そのまままっすぐ冨岡家に帰宅するのかと思えば、鱗滝君はいったん自宅、鱗滝家に立ち寄る。
何故?と一瞬思ったが、そう言えば鱗滝家で着替えたので、制服がそのままだったな…と、義勇はそう納得した。

真菰さんは本当に義勇に自分の私服を貸すためだけに来てくれていたらしくもう帰ってしまっていて、しかしきちんと衣装箱の中にしまわれた制服からは、なんだかいい匂いがする。

義勇がそれに着替えて居間に戻ると、何故か自分も着替えている鱗滝君。
ただし彼は制服ではなく、スーツ姿だった。

カッコいい…制服も普通の私服もスーツ姿も、鱗滝君はもれなくカッコいいと思う。

そんなカッコいい鱗滝君の従姉妹さんだからだろうか…
ただ預かっただけの制服を綺麗にプレスしておいてくれるだけじゃなくて、なんだか良い匂いまでするようにしてくれているなんて、もう一般人じゃない気がする。

色々に感心してそう言うと、鱗滝君は、クンと少し匂いを確認して、
「ああ、白檀か…。
真菰はウッディ系が好きなんだよな。でも義勇が嫌なら消臭剤使ってくれ」
と言うので、
「こんなにいい匂いなのに消すなんてもったいないっ!」
と、義勇は慌ててぶんぶんと首を横に振った。

すると鱗滝君は
──そうか?ならいいけど…。ちょっと準備したいものがあるから少しだけ待っててくれ。
と、お茶だけ出してくれるとそう言いおいて、奥の部屋へと消えていく。

そうしてしばらくして戻ってきた時には何かビジネスバッグのようなものを持っていた。

──待たせてすまなかった。さあ、行こうか。
と、笑顔で言われて、義勇はわけがわからないまま頷いて、錆兎に連れられて帰宅することになった。



──えっと…錆兎君…これ…いいの?

帰宅すると何故か普段ならまだ仕事のはずの父が帰宅して、鱗滝君と義勇を待っていた。
そうして義勇が制服から私服に着替えに部屋に戻っている間に、なんだか父と鱗滝君の間で何か話が進んでいたらしい。

リビングのローテーブルに置かれた書類を前に戸惑ったように言う父に、

──やっぱり…俺じゃダメですか?
と何故か自信なさげに言う鱗滝君。

何のことなのかはわからないが、鱗滝君でダメな事なんてこの世に存在するはずがない。
そんなことがあるなら、この世の人間全員が最底辺のダメ人間になってしまう!

わけがわからないなりに義勇がそう口出しすると、父は
──義勇、ややこしくなるからちょっと黙ってようね。
と、苦笑した。

そして鱗滝君に視線を戻して言う。

「いや、うちは大歓迎というか…なんなら君を婿に取り込むための包囲網を結成しかけてたんだけど…君が大丈夫なのかと…」


(なに?なんの話なの?)
と、父には聞けそうにないので、なんだか嬉しそうにキラキラした目で父の横に座っている蔦子姉さんに聞くと、姉さんは

(鱗滝君がね、義勇と正式に婚約して、それを正式な文書にしたいって…)
と、教えてくれる。

(やったぁっ!!)
(ええ、やったわよ、義勇っ!)
と、こそこそと小声でかわしながら、ハイタッチを決める姉妹。

しかしそこでふと溢れ出る疑問。
父は鱗滝君が義勇をもらってくれることを望んでいたんじゃなかったのか?
何故諸手を挙げて賛成してくれないんだろう??

そう思ってまた姉に小声で聞くと、姉は
(えっとね…文書が婚約だけじゃなくて、婚約破棄の場合、鱗滝君の方が多額の慰謝料を支払うってことまで言及しているからじゃないかしら?)
と言う。

(…錆兎の方だけ?私は?)
(そう、彼のほうだけだから、お父さんも戸惑っているんだと思うわ)
と、そこでようやく話に追いついて、それ以上は姉もわからなさそうなので、義勇は父と鱗滝君の話を大人しく聞いていることにした。


「確かに私文書という扱いだから絶対的に法的効力があるものとは言い切れないけど、でも逆に署名捺印をしてしまえば全く効力がないとも言い切れない。
しかもペナルティが君の方しか書いてないんだけど…」

なるほど。
父は婚約自体は賛成だけど、条件の不平等さが気になるという事か…
そうとわかればなんとなく納得する。

鱗滝君は父の言葉に答えて言う。

「基本的には必要ないことなので…。
俺は婚約を許されたなら破棄する気はありませんし、義勇さんも…」
と続けたところで、
「絶対、絶対、ぜえぇぇったい破棄なんかしないっ!!!」
と義勇はそれに被せるように叫んだ。

それに苦笑する父。

「うん、まあそうなんだと思うんだけどさ、じゃあ何故君の方だけペナルティ記載をしようと思ったの?」

そうそこだ。
義勇もそこは気になる。
義勇が絶対に破棄しないのはわかっているが、鱗滝君は自分は破棄しないという自信がないのだろうか…。
今は義勇の事が好きだから、傷つけたら申し訳ないから…ということなのかっ?!

思わず真顔で珍しく強い視線を鱗滝君に向けた義勇だが、彼の口から出たのは思いがけない言葉だった。

「あ~…女性避けに?
今回の件で思い知りました。
俺はたぶんすごく偏った人間で…実務能力がある代わりに他人の気持ちを察する能力が著しくない。
だから…きちんと正式に婚約という形をとった上で、通常それで発生する慰謝料を高くすることで、今後万が一女性が言い寄ろうと思うのに敷居が高くなると良いなと思いまして…」

「「はっ??」」
と、冨岡家一同がポカンと聞き返すと、鱗滝君は
「今回…義勇さんが色々巻き込まれたのは、俺に対して思うところのある女子が俺の気を惹きたいがためだったという話をされて…。
面と向かって言われれば全力で断れるんですが、好きだという事すら言われずに裏でやられると本当に気づかないし、俺に害がある分にはもうなんとかするんですけど、義勇さんに矛先が行くのは嫌なので…。
ということで、単なる彼女じゃなく正式に婚約者が居るという事なら、それをおしてというのはかなり面倒だと思われると思いますし、それでも婚約者と別れるという事なら多額の慰謝料が発生するとなれば、よほどの事でない限り、他に行ってくれると思うので」
と、真顔で言った。

うん…確かに…。
普通罰金が発生するようなことは極力避けたいだろう。

…でも、そこまでしちゃうのか…と、義勇は感心した。

貞子も…なんなら鱗滝君の周りに居る女子達みんな気づいていないと思うのだけれど、しばしば彼の本心に触れる機会のある義勇は知っている。

鱗滝君は頭も良くて物理的な事はたいてい上手にこなすが、生真面目な分、実はすごく不器用な性格をしているのだ。

ほら、
「あとは、なるべく早く籍を入れたいんです。
日本人男性の平均初婚年齢が31歳なので、人生80年だとすると、夫婦生活を送れる期間は49年。
でも日本人の結婚可能年齢の18歳で結婚すれば、62年一緒に居られるんです。
13年も時間がもったいないですし…。
もちろん、大学卒業までは不可ということならそれまでは待ちますが、それで22歳。
9年長く一緒に居られると考えると、やはり早い時期から心の準備と生活その他の物理的な準備を始めたいかなと…」
とか言い出して、父さんが苦笑している。

まあ…そのあたりは義勇だって同じで、出来れば一刻も早く鱗滝君をお婿さんにしたいのだけれど…。
本当は鱗滝君は自分のものだって名前を書いておきたいくらいだ。

結局義勇もそう主張をして、
「うちは大歓迎だけどね。
じゃあ鱗滝先生にご連絡をして、正式に話を進めようか」
と最終的に父が言って、罰金のところはさすがに除外して、でも鱗滝君と義勇は正式に婚約ということで書面を残すことになった。

まるで子どものおままごとの延長線上のような婚約、結婚話。
本人達はしごく真面目だったのだけれど、出会って数か月の中学生の間のそれは、知らない人間から見たら、お遊びのように見えたかもしれない。

それでも父が鱗滝君のお爺様を通して鱗滝君のご両親にも話を通してくれて、きちんと鱗滝君のお爺様のお弟子さんの弁護士さんが公証人として認証してくれた。

それが法的にどのくらいの効力があるものなのかは今一つわからないのだけれど、一応自称ではなく正式に鱗滝君のお嫁さんとして認められたということで、義勇は大いに満足したのである。

そういう意味ではここまでやるきっかけを作ってくれた不死川にも貞子にも感謝をしてあげなくはない…と思うくらいには、大満足な結果となったのだ。







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