寮生は姫君がお好き1002_寮長の懸念

寮長錆兎は目に見えて不機嫌だった。
姫君は今ここには居ない。
だからそんな素の感情を表に出せるのだ。
居たら内心機嫌が悪かろうと絶対にそんな素振りを見せる彼ではない。

錆兎が義勇を好きなのと同じくらい義勇は錆兎が大好きなので、可愛い錆兎の姫君は錆兎が不機嫌なだけで悲しくなってしまうらしい。

そんな義勇の青い大きな目で不安げに見上げてこられると、その不安と悲しみを払しょくする方法を模索するため不機嫌な顔などしている場合ではなくなってしまう。

悲しそうな表情もかわいそ可愛いのだが、義勇が一番可愛く見えるのは錆兎が何かしてやった時に見せる嬉しそうな笑顔なのだ。

だから錆兎はその笑顔を守るためにこの銀狼寮を平和で楽しい場所として保つよう日夜努力を重ねているのである。


それはそんななかでの不穏の始まりの音だった。

長い休みが終わって明後日から授業が再開する予定の朝、銀竜の姫君である無一郎から電話が来た。
その時点で、おそらく不穏な話なのだろうと、大切な姫君義勇は炭治郎に預けておく。

今日は炭治郎は実家のパン屋でも売っているという美味しいクッキーを焼くと言っていて、可愛いクッキー型をたくさん用意していたから、義勇も型抜きをさせてもらえば楽しく過ごせるだろう。

そう、間違っても不穏な話を耳に入れて不安な思いなどさせるわけにはいかない。
男として生まれたからには…ましてやこの名門藤襲学園の寮長になったからには、常に先読みして姫君を守るのは当然のことだ。
どれだけ不穏な事態が起きようとも皆の大切な大切な姫君に不安を感じさせることなどできはしない。

そうして覚悟を決めて準備万端にして無一郎の話を聞いて思う。

義勇を炭治郎に預けておいて正解だった。
さすが俺だっ!

などともう自分で自分の気持ちを盛り上げていくしかない。
その程度には今回も無一郎から来た情報は厄介だった。

とりあえず…厄介で注意が必要なのはわかったから、水面下で協力関係にあるあたりには流しておくべきか…と錆兎は金狼寮の寮長、不死川に電話をかけた。


『また面倒ごととかマジでありえねえ』
と、出るなりいきなりかまして来る不死川が目の前に居なくてよかったと思う。
居たら思わず反射的に殴り倒していたかもしれない。

確かについ先頃の寮対抗戦略大会でこれから協力を得ようとすら思っていた幼馴染が実は善逸の命を狙う敵の手先になっていたとかなかなか気の滅入るようなこともあって気の毒にとは思ってはいる。
が、どちらかと言うと無一郎と不死川と自分のなかではマジでありえないのはおそらく唯一完全な巻き込まれな自分の方だ。


なにしろ藤襲の寮長としては行事のたびに寮としての実績を挙げねばならないので日々忙しい。
顔見せから始まって寮長行事に体育祭、つい最近だと寮対抗戦略大会、通称姫君戦争が終わったばかりだ。

全ての行事で抜かりがないように着々と実績を積み上げ続けてきた錆兎だが、今が10月の始めで、11月終盤にある学園祭までの1ヶ月弱は少しゆっくりできるとホッとしていた。
だが、周りの状況はそうさせてはくれなさそうだ。



無一郎の情報によると若い女性の教師が赴任してくるらしい…
これまではずっと男子校だったのもあって女性が学校に出入りすることはほぼなかった。
それこそ食堂の従業員ですら男性だ。

それが急に『女性が全くいない場所で女性に慣れないまま育つのはよろしくない』という理由で派遣されることになったらしい。

しかし当然ながら影の学園長である無一郎はそんな指示は出していない。
もちろん彼の代わりに表に出ている従姉妹もそんな指示は出していないと言う。

なのにいつのまにか手配されていて、一部の生徒や保護者にまで広まってしまったため、今更中止することも難しい。
なので、とりあえず今年度の後期限定という形に落ち着いたらしい。

これはもう、学園乗っ取りを企む勢力か、あるいはその勢力に富豪の隠し子である善逸の暗殺を依頼している彼の親族か、その両方かが関わっていることは確かだろう。

少なくとも渡辺家にはかかわりのない戦いではあるし、名家の出でもない義勇にはもっと関係がないだろう。
だから今回の一件は出来れば一定の距離を保って静観したいところだが、どうしたものだろうか…。

そんな錆兎の考えも聡い無一郎は予測していたようで、──静観したい…というところだろうけど…と、にこやかに前置きをしつつ、
「…担当は中等部じゃなくて高等部らしいから。
危険な波は高等部から飲み込んでいくんじゃないかな?」
と、不吉な予言を残して通話を終了してくれた。

ああ…マジか…
中等部で善逸なり無一郎なりを直接的に狙うならとにかくとして、高等部からとなると、おそらくまずは校内で絶対的な権限を持つ寮長達を制圧するところから始めるつもりなのかもしれない。

まあ…海千山千の彼らが相手がプロとは言えそうそう他人の思う通りになるとは思えないが…。

とりあえず…授業ももう明後日に迫ってしまっているので、今からやっておけることは多くはない。
まずは実家が大手の調査会社という寮生に今度の女教師の身元と所属勢力を調べておくよう依頼した。

──さてと、これでハード面は準備終了だが…
と、通話も終わらせて錆兎は考え込む。


女がどういう相手であろうと、義勇の隣には常に自分自身が鍛え上げた炭治郎が護衛としてついている。
だから物理的にはなんとかできるはずだ。

しかしながら、ソフト面…精神面から攻撃されると厄介だ。
なにしろ相手は女だ。
銀狼寮の寮生に限って異性であるということに惑わされて姫君をおろそかにするなどということは考えられないが、義勇自身が異性である相手に気後れして自分の価値を見失うことも考えられる。

それでなくても自己肯定感が著しく低い我らが姫君は落ち込みやすいのだ。
それをようやく寮生全員で大切に大切に仕えることでようやく姫君として認められている愛されている存在なのだと自覚させることができかけているところである。

これを変な女に壊されたくはない。

──あ~…どうするかな……

物理的な手配は得意でも精神的なフォローは得意とは言えない錆兎は綺麗な宍色の髪をガシガシと掻く。

何か…何か、姫君の気持ちを向上させるようなイベントを……と脳内で色々考えている時に、スマホが振動した。
ちらりと発信元に目を落とすと意外な人物…目をかけている寮生の一人、茂部太郎である。

今は考えねばならないことがあるしどうするか…と思ったが、彼は姫君の絶対的な支持者で何か参考になることを話してくれるかもしれないし、一人で考えこんでも煮詰まるだけでいい考えも浮かばないだろう…と、錆兎は彼の要件を聞くことにして、通話ボタンをタップした。










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