ドラマで始まり終わる恋の話_3_俺と義勇の幸せな生活

今日の朝食はパンケーキだ。
色々施行錯誤した上で出来た錆兎特製のふわふわのパンケーキ。
ポイントは卵の白身をメレンゲ状態になるまで泡立てて粉と混ぜる事。
普通よりも数段手間はかかるが、これで本当にふわっふわのパンケーキが出来るのだ。

いつものように4時半起きで走り込みと鍛練を終えてシャワーを浴び、エプロンを身に付けてキッチンに立つと、錆兎は鼻歌交じりに白身を泡だてていく。

元々料理は嫌いではない。
面倒の見甲斐のありそうな同居人を得たので、なおさらだ。

冨岡義勇18歳。

元々マメで兄気質で世話好きな錆兎が彼と会ったのは今回主演する事になった映画の相手役を決める公募のオーディションでのことだ。

子役時代から様々な役柄を演じて来た錆兎だったが、今回の役は未だ演じた事のないゲイの役。

正直…錆兎自身は男を恋愛対象に見た事はない。
だが役の幅を広げるために、演じた事のないタイプの役は進んで受ける事にしていたので、この役も受けることにした。

主役は実年齢とだいたい同じ19歳の大学生探偵で18歳の同性の恋人がいるという設定だ。
やるからには完璧に演じたいため、相手役は役柄年齢とプラス1歳までの範囲と言う事で18~19歳で公募。

本当はどんな相手が来ても演じきれなければならないのだが、今回は今までにない同性の恋人役と言う事で錆兎自身も100%絶対完璧にとは言いきれなかった事もあり、原作のイメージを壊さない範囲で、しかし最低限、自分が恋人役として扱えそうな相手をと思い、オーディションに同席する事にした。

最終オーディションに残ったのは100人。
それを10人ずつ面接し、1人に決める。

それで半数と会った感想…
――無理…とは絶対に言えないが、やっぱ男相手だと苦戦するよなぁ…

元々役割分担ははっきりしたい人間だ。
だから何のパートナーにせよ、自分と似たタイプよりは真逆くらいの方がやりやすい。
もちろん恋人にもそれは言える事で…自分と同じ事をやる人間なら2人は要らない。
つまりは…異性なら女性らしい守ってやりたいようなタイプが好みだ。

そう言う意味で言えば、原作の通りの主人公の相手役は性別を気にしなければ好きなタイプである。
一生懸命なのに不器用で危なっかしく…そしてひたむきだ。
支えてやりたい、守ってやりたいと思わせる何かがある。
まあ主人公がやはりゲイと言う事を除けばわりあいと自分に似たタイプなので、そういう人間が好むタイプと言う事ではよく書けているのだろう。

だが実際相手役のような性格の人間は当然ながら自信満々にオーディションを受けにきたりはしない。
目の前にいる応募者達は皆一様に非常に上手に自己アピールをしていく。
もちろん役の人柄と実際の人柄が違うのは当然で、普通の作品ならうまく演じられれば全く問題はない。

しかし今回はダメだ。
今来ている相手役候補には申し訳ないのだが、錆兎自身が演技に入るために極力役の人柄に近そうなタイプが欲しい。

そう思って延々と面接をするが、該当者なし。
さてどうしようと思い始めた時だった。

何故かひどく場に戸惑っているような候補者が一人。
綺麗な顔立ちはしているものの、どこか自信なさげで世慣れていなさそうで、
…この台本ラブシーンとかあるけど、大丈夫なのか?
と、錆兎は思わず心配になってしまった。

居並ぶ面接官どころか他の応募者にもどこか怯えたような委縮したような様子で、それでも逃げるわけにもいかないので精いっぱい頑張ってますという風情の泣きそうな顔でその場に立っていた。

ぎゅっと握りしめたこぶし。
緊張しすぎて青みがかった綺麗な切れ長の瞳を見開いたまま、小さな唇を噛みしめている様子に、思わず駆け寄って、大丈夫、大丈夫だから、と、なだめてやりたくなった。

右手がわきわきする。
順番は5番目。
4番目までの候補者の話など何も頭に入っていなかった。

そしてとうとう青年の番。

今までの候補者とは反応が違うだろうなとは思ったが、いきなり
――お時間を取らせて申し訳ありませんでした。
と、かまされたのにはさすがの錆兎も驚いた。

え?え?何?
“申し訳ありません”じゃなくて“申し訳ありませんでした”??
過去形?終わってる?終わってるのか?
ひどく焦った。
淡々と候補者達の自己アピールを流し聞きをしていて半ば止まっていた錆兎の時間が一気に動き出す。

――それは…辞退したいってことか?
それは困る。
断固として阻止したい。

結局その焦りが決め手となった。

他の反対を押し切って即契約の流れに入ってとりあえず合法的に逃げ道を塞がせてもらったあと、役に入り込むためにと物理的に逃げられないように住まいを用意して同居に持ち込むなど、本当に自分らしくない強引さで青年を確保するという荒業を使って、相手役を決定。
撮影に入る事にあいなったのである。

こうして確保した青年は冨岡義勇18歳。
学年は一緒だが誕生日が2月と早生まれなため、4月の始めの生まれの錆兎とは1年近く年が離れている。

そのせいというわけでもないのだろうが、どうにも頼りない気がして目が離せない。
まあでも日々楽しく世話を焼いて過ごしていた。



オーディションが行われたのはちょうど桜が固い蕾をつけ始めた初春。

ということで、義勇と契約を結んだのもその季節で、ついでに言うなら表向きは役柄に慣れるため、実は物理的に相手に逃げられないため――普通ならあり得ないことだが、義勇にはどこかそんな風に急に消えてしまいそうな雰囲気があったのだ――同居する事にしたのもその季節だ。

そのために錆兎は川沿いに伸びる遊歩道を見下ろす住宅街の一角にあるマンションを借りることにした。

広めの2LDKで寝室のみ別であとは共有。
何もないガランとした部屋に即必要な家具を運ばせておいた新居まで、義勇が持って来た小さなボストンバッグを左手に、右手はその恋人役の手を握りながら、たくさんの桜の木が植えられた遊歩道をゆっくり歩いてマンションに着くと、まずエントランスで義勇がポカンと口を開けて固まった。

小鳥の雛のようで可愛い…と、まず思ったものの、次に綺麗な三日月型の眉がへにゃんと困ったように八の字になったため何か気に入らないのかと思って聞いたら、困り果てて泣きそうな顔で
――こんな高級そうなマンションの家賃…半額でも払えない。ごめんなさい。
と言う。

あー悪い!俺が悪かった!!
と、抱きしめたくなった。
というか、抱きしめた。

「あのな、俺が役作りのために借りてるから、家賃はもちろんかかる費用は全部俺持ちな?
義勇は俺が役を作るのに付き合ってもらえればいいから」

錆兎的には元々当たり前に思っていた事をそう伝えても、申し訳なさそうにうなだれる。
錆兎の周りは皆、幼い頃からずっと第一線で活躍していて、当然収入もそれなりな錆兎が支払いをする事に何の疑問も感じていない。
だから一般人の相手役と暮らすという時点で、全部自分が費用を負担すると言う事は錆兎の脳内では呼吸をするのと同じくらい当たり前の事だったので、相手が半分費用を出すとしたら…などという事はすっぽりと頭から抜け落ちていた。

しかしそれは自分の常識である。

可哀想にずいぶんと委縮してしまっている相手を前に錆兎は少し後悔をしながらも、エントランスで立ち話もなんなので中に入り、エレベータに乗る。

そのまま借りている8階で降りてドアの前。
鍵を開けて中に入るとチャリンと義勇の手の上に合い鍵のキーホルダーを落とした。
それは映画の中で主人公が恋人に渡したのと同じキーホルダー。
わざわざ同じ物を用意したのだ。

手に落とされたものに視線をやりながら、二度パチパチと瞬きをする義勇に
「これな、映画の中のと同じキーホルダー。
ちょっと今回の生活始めるにあたって話したいから、リビングのソファに座っててくれ」
と言うと、室内に促し、自分はあらかじめ必要なものを準備しておいたキッチンへとむかった。


そうしてコーヒーのカップを手にリビングへ向かうと、大きすぎるソファにちんまりと座っている青年。
その様子さえすでに可愛らしく見える。

「熱いから気をつけろよ?」
と、その前にコーヒーの入った大きなマグカップを置いてやると、義勇はチラリと中に視線を向けて、わずかに戸惑った表情を見せた。

普通なら気付かないくらいの表情の変化。
しかし錆兎はそういう事によく気がつく方だ。

「もしかして…コーヒー苦手だったか?」
と聞くと、義勇は気づかれた事に焦ったようにブンブンと首を横に振って
「いえ、ありがとうございます」
と、慌ててカップに手を伸ばした。

…あ~、緊張されてんなぁ…
と内心苦笑する錆兎。

まあ今の状況を考えれば当然だろう。
知らない人間…しかも売れっ子俳優といきなり同居となれば緊張しない方がおかしい。

「とりあえずな、俺、実は今回の役も完璧に演じ切りたいんだけど、今ひとつ自信ないんだ」

自分も義勇の正面のソファに座ると錆兎は説明を始めた。

「俺はこれまで色んな役こなしてきたんだけど、ゲイの役は初めてだし、同性を恋愛対象として見た事もない。
職業としてならデータである程度情報を補足して演じる事もできるんだけど、恋愛感情ってのはやっぱり実感伴ってないと難しいしな。

幸い主人公の考え方とか行動性には共感できる事が多い。
だから原作に近い雰囲気の相手役を相手にしたら、台本に心理描写もあるんである程度心情を掴みやすいかなってのがあって、今回義勇を選ばせてもらった。

でも原作にある心理描写だけじゃ圧倒的に情報不足だからな。
一緒に暮らしてみて少し主人公の疑似体験を出来たらと思って、今回お前に付き合ってもらう事にしたんだ。

だからこの生活は本当に俺の側の演技の都合上だし、必要なものは一切俺が用意するから義勇は普通にそこにいてくれればいい。
そこに恋人がいる時にどう思うか、どうしたくなるかっていうのは、俺が勝手に感じて理解して行く事だから。

仕事の時以外は本当に自由に生活してもらって構わないし、必要なものだけじゃなくて、快適に過ごすために欲しいものとかあったら遠慮なく言ってくれ。
食事も原作と同様に俺が作るから、食えないものとかも教えてくれな?」


全て自分の側の都合で、相手には付き合ってもらっている。
そんな立場的な強弱をはっきりすることで少しでも気を楽にしてもらえれば…と思ったのだが、それでも恐縮する義勇。

もうこれは自分に慣れてもらって、気の置けない相手と認識できるようになってもらうしかない。

…よし!思い切り甘やかすぞ!!

実は無条件に甘やかすと言うのはあまり得意ではないのだが、相手に努力を強いるなら自分も倍努力すべきだ。
そう思って錆兎は新生活を始める事にした。


…ああ…わかった。
壮絶に理解した……

本来は甘い言葉を吐くのも無条件にベタベタとするのも錆兎には荷が重い。
そんな自分とどこか似ているこの映画の主人公はしかしとにかく恋人を甘やかす。
先回りして危険を取り除き、強い日差しや冷たい風に当てるのさえ避けるのではないかというくらいの勢いである。

そこまで気を回してどうする…と、たいていは頷ける主人公の行動性にそこだけは疑問が残った錆兎だったが、義勇と暮らし始めて1週間もしないうちに、その心情を突きつけられた。

食事…そう、食事である。

錆兎は一応料理は嫌いではないが、仕事もあることだしいつもいつも手の混んだ豪華な料理を作るわけではない。

ところが初日…2人で夕食の食材を買いにマーケットに行った時点で、すでにそれは始まった。

…あ……
…なんだ?
…いや……

錆兎が脳内でレシピを考えながらポイポイと食材を籠にいれるたび、いちいち驚く義勇に、あまりに気になりすぎて理由を聞くと渋りながらも答えてくれた。

――すごい高いから……

目が点になった。
いやいや、どこが?…と問いたい。

一緒の事務所の先輩や同僚達とは比べものにならないほど、錆兎の生活は質素である。
たまには豪華な物も作るが、日常的にはきちんと栄養バランスが取れていて、そこまでまずくなければ良いという錆兎の食卓は、周りに言わせるとスターの食事ではないらしい。

そこでさらに聞き進めると、義勇の普段の食事はバイト先の350円の弁当…が、売れ残って廃棄寸前になったものとのことで、この細すぎる体格はそのせいか…と、思わず少しだけ良い肉を買い足してしまった。

それでも帰宅して作ったのはいつもより少しだけ品数が多いだけの普通の食事……のはずだったのだが、――いただきます…と手を合わせて料理を口にした義勇はいきなりポロリと涙をこぼす。

え?ええ??

「わるいっ。何か嫌いなものとかあったか?!」
と、慌てる錆兎。

だが、ふるふると子どものように首を横に振った義勇から返ってきた言葉は…
――…美味しい…。温かいもの食べたのすごく久しぶりだ…

ぽろぽろ泣きながら箸を動かす義勇に錆兎の方が泣きそうになった。

可愛くて愛しくて何でもしてやりたい。
甘やかし倒したい。

それからは食事の支度は今までになく気合いが入った。
美味しい物を食べて泣くのではなく、笑顔になれるようにしてやりたい。
そんな気持ちで日々食事を作る。

それだけではない。
基本、真摯でひたむきな主人公の相手役とどこか似ている…と思ったのは錆兎の勘違いではなく、義勇もまた、ひどく自己評価が低い上に真面目で、すぐ自分を追いこんでしまうところがあった。

それは一緒に暮らし始めて数日の頃、錆兎が走り込みと自己鍛練をするなら自分もしなければと思ったらしい。
ジョギングというと走るだけなので誰でも…と気軽な運動に思いがちだがこれは間違いで、実はいきなり始めると突然死する危険性さえ伴う。
だから錆兎は止めたのだが、義勇の意志は変わらない。
仕方ない。
普段走っていなければすぐ疲れて走れなくなるだろう。
そう思って義勇のペースに合わせて自分も少し速度を落として伴走する事にしたのだが、考えが甘かったらしい。
いきなり倒れた。
急に始めたジョギングのために極度の低血糖状態に陥った、いわゆるハンガーノック状態だった。
あれは本当に肝を冷やした。
救急車を呼び、診断が出て、ブドウ糖を点滴している間、ずっと錆兎は後悔に苛まれたのだが、もっと辛かったのは義勇が意識を取り戻したあとだ。

迷惑をかけた事にパニック状態で何を言っても聞こえない。
ただ泣きながら謝る姿が可哀想で痛々しくて、全てがいっぱいいっぱいで余裕がない彼の代わりに自分がある程度トラブルを排除して道を作ってやらねばと思った。

もちろん、やるなという言葉はダメだ。
やれなければならない(と思っている)事をやれない自分というのは、義勇をひどく追い詰める。
だからある程度障害を取り除いたうえで、いつでもフォローに入れるように隣にいて一緒にやってやる、その姿勢が大事だ。

普通なら面倒に感じるそれをやってやるのが面倒ではない相手…
ああ、これが主人公も大切に思っている恋人、という奴なんだな。
と、その時ストンと脳内で納得できた。

――義勇…ぎゆう、大丈夫、俺がいるから大丈夫だからな?

それからは主人公も恋人に繰り返し言うその言葉が口癖になった。
そうして少しずつ、実際に義勇もそう思ってくれるようになればいい…
それも主人公が実際に辿った道で、錆兎はまさに原作に描かれている主人公の心理描写を体験しながら日々を過ごしている。

甘やかしたいのに甘やかされてくれない、守りたいのに守らせてくれない、そんな恋人にハラハラさせられながら…










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