ドラマで始まり終わる恋の話_1_ラストシーン

――1人で大丈夫か?

少し身をかがめて視線を合わせると、錆兎は気遣わしげに義勇の顔を覗き込んできた。
本当に綺麗な澄んだ藤色の瞳。
頬に添えられた温かい手。

それはこの1年間慣れ親しんだもので…そしてこれが最後になるもの。


「うん、もうエレベータで上にあがるだけだし」

と、義勇がかれこれ1年間を過ごしたマンションの駐車場に停まった車から降りてエレベータに視線をやれば、錆兎はまだ少し心配そうに、それでも

「…家着いたらちゃんと着替えて温かくして横になってろよ?
それもしんどかったら俺が戻ったら着替え出して着替えるのも手伝ってやるから、ソファのリビングでひざかけでもかけて寝てろ」
そう言って身を伸ばして義勇が降りたあとの助手席のドアを閉めた。

…これで最後だ……
と義勇は思ったのだが、そこで開く助手席の窓。

「…?」
不思議に思って振り向くと、別にこれからの事を予測しているわけでもないのだろうにどこか辛そうな目…

――気づかなくて無理させてごめんな?

それは単に酷く頭痛がするという義勇の言葉を信じて、それに気づかずに撮影を進めてという事なのだろう。
それでもなんだか聡い錆兎の事なので全てを見通している気もしてきて、

――いや…。色々ありがとう
と、義勇は微笑んだ。

それは鱗滝錆兎の映画の相手役としての冨岡義勇のラストシーン。
義勇自身が決めたラストだった。

――じゃ、すぐ戻るから、あとでな

と、閉まる窓。
走り去る車。

義勇は最後に錆兎の言葉に頷いたが、これは2人のラストシーンだ。
“あとで”はもうないことを義勇だけが知っている。


夕食を摂った店にわざと忘れた忘れ物を取りに戻ってくれた錆兎。
義勇が撮る最後のシーンが終わって行ったその店は2人のマンションから車で1時間ほどのところにある。
そして…2時間後、彼が自宅マンションに戻った時には義勇はもう2人の部屋から姿を消しているだろう。
義勇自身がそう決めたのだ。

始まった瞬間に始まった終わりへのカウントダウン。

笑顔で…が理想だったのだがそれはやっぱり無理で、でも錆兎の車が見えなくなるまで涙を堪える事は出来たので良しとする。
これで全てが終わった…そう思うと堪え切れない嗚咽。
力なくその場にしゃがみこんで泣く事ほんの1,2分。

時間はなくはないが有限だ。
一応錆兎に気付かれないように朝彼が起こしにくるまでは目に見えるところはそのままにしてきたので、急いでマンションに帰り、自分の部屋に飛び込む。

身辺整理…と言っても元々義勇の私物は限りなく少ない。
必要なものはほとんどが一緒に住むようになって錆兎が買いそろえてくれたもので、元々の自分の私物なんて小さなボストンにおさまってしまう。
なので、今朝錆兎が作った朝食を食べて身支度を整えに部屋に戻った時に、ここに来た時同様に小さなバッグに私物を全部詰め込んでそれを部屋の隅に置き、ベッドを綺麗に整えて、部屋に掃除機をかけておいた。

そして今、小さなボストンを手に1年間幸せすぎるくらいに幸せに過ごした部屋をみまわしている。

…あ………

ベッドの上に鎮座している宍色の毛並みのクマのぬいぐるみ。
サビ君…と名付けたそれは、クリスマスに錆兎が贈ってくれた物だ。

買いそろえてもらった物は飽くまで錆兎の恋人役のための物で義勇の物ではないから…と、全て置いていくつもりではいたのだが、彼だけは持って行ってはダメだろうか…

一瞬そんな風に迷ったが、結局義勇はベッドに駆け寄って彼を抱き上げた。
たった一つくらい、おそらく義勇の人生の中で唯一くらいの幸せな生活の思い出をもらって行ってもいいだろう、そう判断して義勇はヌイグルミを抱きしめる。

そうして小さな鞄とクマを手に、義勇は静かに自分の部屋だった場所のドアを閉め、リビングを通り抜け、玄関で一度だけ後ろを振り返った。

しかしこみ上げてくる思いが溢れ出て動けなくなる前に…と、自分を叱咤して玄関の扉を開けて廊下に出ると、ドアを閉める。

バタン…と閉まったドア。
それはまるで義勇の人生の中の幸せを永遠に封じ込める音のように思えた。





0 件のコメント :

コメントを投稿