政略結婚で始まる愛の話_11_逃亡

こうして正妻が義勇の…ではないが、慎一の味方についた。
そして父親が帰宅する時は他の2人の息子たちとともに、自分の部屋に呼んでくれる。

父親はというと、母と息子3人のタッグを組まれるとなかなか強くは出れない。
息子たちだけなら自分の管理下の人間だが、母親は会社にとって大切な取引先の娘だ。
心を傷つけることはさんざんしてきたが、彼女の身体を傷つけることがあれば、実家が黙ってはいない。

会社の中での絶対権力者ではあるが、他との兼ね合いがある社会では必ずしも全て思い通りにできるわけではないのだ。

こうしてジリジリとしている父親を遠目に、それでもやや平和とも言える4年間。
しかし引き下がったように見えた父親は諦めたわけではなかったらしい。


それは2人の兄たちがそれぞれ高校と大学に行っているときのこと。

義勇は登下校や学校にいる間が危険だということで、家庭教師について勉強をして、大学入学のための資格試験を取っていたので、兄たちが学校に行っている間は正妻と2人きりだ。

正妻は長兄が説得して以来、ぎこちない善意を義勇に向けてくれていて、互いにきまずいものの2人きりでもなんとか大丈夫な程度には友好的な関係が続いている。

そんなある日のこと。
その日は昼食後なんとなく眠かった。
正面のソファで刺繍をしている正妻を前に同じく刺繍をしていたが、あまりの眠さに布に針をさしてテーブルに置いたところまでは覚えている。

が、その後の記憶がない。

そう言えば直前、正面の正妻の刺繍の手もいつの間にか止まって、舟を漕いでいた気がする。
とにかくそこで義勇の記憶は一旦完全に途切れて、次に意識が戻ったのは、それからずいぶんと時間がたっていて、なんと長兄の車の中だった。


ものすごい勢いで走っている車。
ぐいん!!と、強いGを感じて目が覚めて、横を見ると次兄。

義勇が目を覚ましたのに気づくと、次兄は義勇の頭をくしゃりとなで、
「あ~、目ぇ覚ましたか。説明はあとな。
今しゃべると舌を噛む」
と、厳しい顔で窓の外を見ている。
義勇はそれに頷くと、改めて状況を把握しようとあたりをみまわした。

運転しているのは長兄。
普段は冷静な長兄らしくない荒っぽい運転。
後ろや横を気にしている次兄の表情は厳しい。
つまりは何かに追われているのだろう。
下手をすればどこかにぶつかりそうな狭い路地を、走る車の間を、なにかを振り切るようにすり抜け、ひた走る。

シートベルトをしていても左右に激しく揺れる身体。
次兄は窓の上方にある手すりに片手で掴まりながら、時折義勇の身体をもう片方の手で支えてくれる。
確かにこれで何か話したら確実に舌を噛む。

そんななか、義勇は自分が何か手術着のようなものを着ていることに気づいた。
そこで初めてなにが起こったのか…と考えてみれば、なんとなく予想が出来すぎてしまってゾッとする。

特に痛みもなければ傷もないようなので、正確にはなにが起こったか…ではなく、なにが起こるところだったか…なのだとは思うが…


そんなふうに逃げに逃げて、1,2時間はたっただろうか…
結局車はとある建物へと逃げ込むように滑り込んだ。

車が近づくと自動で門が開き、走り抜けると門が閉まる。

セキュリティがかなりしっかりしていそうな場所だが、どこだろう?と思っていると、
「ここ、おふくろの実家だ」
と、正面玄関に車を止めて、大きく安堵の息を吐き出しながら長兄が言った。

「とりあえず…早急に手は打つつもりだが、それまではここにかくまってもらうことになった」


そこで車を降りて初めて、義勇はひどく身体が重くて立てないことに気づく。
すると兄弟の中でも一番体格が良く力持ちな次兄が、ひょいっと軽々と義勇をかかえあげて歩き出した。

長兄は慣れた様子で中にいる使用人達と言葉を交わし、次兄はあたりまえにどこかを目指して進む長兄のあとを黙ってついていく。

そうして長兄が立派な絨毯の敷き詰められた廊下を黙々と進み、とある重厚なドアの前に立つと、使用人がうやうやしくドアをあけた。

そこはどうやらリビングで、そこでは正妻と末の兄が待っていた。


3人の姿をみとめると、安堵して泣き出す正妻。
それを慰めるのは末の兄の仕事らしい。

次兄は義勇をソファに降ろして自分もその隣に座り、長兄がその正面に座った。
ひどく疲れた様子の長兄の眉間には深いシワが刻まれている。

…ちくしょうめが…っ……
と、おそらくは独り言なのだろう。
ため息とともに小さなつぶやきが漏れた。

「あ~、なんかな、オヤジの馬鹿、ここ数年、諦めて大人しくしてんなぁと思ってたら、諦めてなかったみたいなんだわ。
たぶん使用人の1人買収してお前とおふくろの食事に睡眠薬盛ってお前を誘拐したわけなんだけどな。
兄貴がお前にGPSつけてたもんで、自宅から移動してることに気づいて俺と和樹に連絡。
で、まず家は安全じゃねえかもってことで、先におふくろをここに避難させたあと、お前の場所を特定。
会社のラボの一つだったんだけどな。
場所が場所だけに不穏な気しかしねえし、兄貴が現場のあちこちで作った伝手を使ってなんとか救出。
なぜ誘拐して拉致した場所がラボなのかは…まあ、考えねえほうが平和かもな」
隣でやはりため息混じりの次兄の恐ろしい告白。

唖然とする義勇に、今度は長兄が
「ってわけでな、自宅はダメだ。
オヤジが手を出せる場所はまずい。
俺が会社の実権握るまではって思ってたが、そんな時間はねえな。
オヤジはオヤジでお前が成長しきる前になんとかって思ってる気がする。
それでな、この世でたぶん一番オヤジが手を回せない場所がここ、おふくろの実家ってわけだ。
でもこっちも代替わりしてオフクロの兄貴が継いでるから、一時的ってことで了承もらってるが、ずっといられるわけでもねえ。
オフクロ自身も肩身狭いしな。
…ってことで、オヤジが手を出せなさそうな緊急避難先を早急に探してやる。
飽くまで身の安全をはかるための場所だから、待遇とかは期待すんな。
そこでとにかくでかくなれ。
元々は息子だった時点で蔦子を連想できないと思って見向きもしなかった親父のことだ、もう母親の面影なんてかけらもなくなりゃさっさと諦めんだろ」
と、今後の予定を話してくれた。

ここが最大の修羅場。
これ以上たいへんな事態なんて絶対に起こりえないだろうと、義勇もさすがに思った。



こうして正妻の実家で暮らすこと1年ほど。

正妻の兄に代替わりしたといっても、そこは実の妹と甥っ子たちということで、彼ら対しては気遣わしげな空気が感じられるが、義勇自身に対してはたいそう複雑な視線が向けられていて、正直居心地がよろしいとはいい難いが、もともと冷ややかな目で見られることには慣れている。

今までよりも困ったなと思うのは、兄たちや、なにより義勇の母や義勇の存在でかなり傷ついてきたのであろう正妻にさらに負担をかけてしまっていることだろうか。

それでも自宅に居る時よりも実家に帰って正妻はさらにお育ちの良いお嬢様に戻ったらしく、義勇に対してあれこれと気遣ってくれる。

「息子たちはね、全然こういうの一緒にやってくれなかったから…。
義勇が一緒に刺繍やレース編みをやってくれて楽しいわ」
と、微笑む正妻は、少女のように可愛らしい。

もともとは自宅で一緒に過ごす事が多くなった彼女と少しでも共通の話題ができればと始めた手芸やティディベア収集などは、今では自分も本当にハマってしまって、父親の事がなければ、このまま次兄の妹代わり、正妻の娘代わりでも良いような気がしてきたくらいである。

本当にこんな気立ての良いきれいな女性がいて他の女にうつつを抜かしていた父は本当にバカ野郎だと義勇は思った。


そんな少し気まずくも平和な一年が過ぎ、やや渋い顔で長兄が持ってきた避難先の話は、8歳ほど年上の大財閥の総帥の長子との同性婚だった。


「とりあえずオヤジよりはましだと思う。
仕事先や社内での評判は上々。
仕事もできりゃあ人柄も悪くねえ。
若いしな。
向こうはどうやら後妻の息子に跡継がせたくて前妻の腹の長子にガキを産ませたくねえってことで探してる縁談らしいから、それさえクリアしてればそれなりに平和にいい生活ができそうだ。
まあ、機嫌損ねて追い出されない程度に自由に生活させてもらえ。
完全に成長しきるだろう20歳程度まで、4年くらいの我慢だ。
ソレ過ぎたら追い出されても衣食住くらいはなんとか用意してやる。
気楽に行って来い」

そう言って長兄は書面を一枚ぴっと投げてよこした。

「向こうの希望で顔見せも式もなし。
てことで、婚姻届書いておけ。
お前のサインと証人にオフクロと俺のサインをいれたら、先方に届けて契約終了。
1週間後にはあっちの家に引っ越しだから荷物をまとめておけよ」

本当に紙切れ一枚の結婚。
しかしこの紙が自分の命綱になるのだ。

この5年間の修羅場を思うと、もうこれ以上大変なことは起こりようがないだろう。
本当に起こらないといいな…

そんなことを祈るように思いつつ、義勇は愛用の万年筆で丁寧に書類にサインをした。



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