契約軍人冨岡義勇の事情32_魔手

書斎を出るとそこはリビングで、そこから右側に錆兎の寝室、左側に義勇の寝室があり、書斎からリビングを超えると廊下。

廊下の左右にバスとトイレがある。
なのでまず書斎を出てリビングに出た錆兎は身を固くした。

薄暗い中に動く者の気配がする。
自分と義勇以外の人間がいるはずのない場所に…


うごめく気配が感じられる廊下側のドアの方に反射的に手にした銃を向ける
が、引き金を引く前に相手はあろうことか義勇の寝室の側に駆け込んだ。



しまったっ!!!

一気に体中から血の気が引いた。


やめてくれっ!!!
と、心の中で声にならない叫びをあげて錆兎はその影を追う。



そして駆け込んだ義勇の寝室。

月明かりを背にした侵入者は義勇のベッドの脇に立ち、ベッドに向けて銃を構えつつ、追ってきた錆兎に視線を向けていた。



失敗した…と思う。

たいてい狙われているのは錆兎で、自分が近づかなければ義勇自身に狙われる理由など何もないのだ。

今回だってわざわざ義勇の寝室へ行こうなどと思わず、書斎の方で物音でもさせて自分がそこに居る事を気づかせて誘いこめば少なくとも義勇を巻き込む事はなかったのに……

本当に義勇の事となると全てが上手くいかない。
普段正確すぎるくらい正確なはずの状況判断が全くできない。
そして絶望的な場面ばかりつくりだして、自分の身ならとにかく義勇の身を危険にさらすのだ。


幸いな事に相手は戦場に身を晒すタイプではなく暗殺等を生業とするアサシンタイプらしく、気配を見事に消している。

おかげで義勇はまだ夢の中だ。

出来れば目を覚まして恐ろしい思いをさせてあまり具合の良くない心臓にこれ以上負担をかける前に終わらせたい。



「…目的は俺だろう?」
声が自然と掠れる。

もう最悪自分は良い。

義勇の治療や今後の生活に必要な金は自分が死んだら遺産は全て義勇に行くように手配済みだし、自分の命であがなえるなら、あとの事は友人達にお任せだ。

実弥も宇髄も義勇のことを随分と気にかけてくれているようだし、自分が死んでもなんとかしてくれるだろう。

頼む…目を覚まさないでくれ…と心の中で祈りながら、錆兎は侵入者に向かって交渉を始めた。


「お前が取れる選択肢は二つだ。
俺が身柄を預かっているだけの一般人に危害を加えて成果もあげずに俺に殺されるか、人質を俺にチェンジして基地を脱出して成果をあげるか。
考えるまでもないよな?」

錆兎以外の人間にとっては東ライン軍きっての司令官で軍師で総帥の実兄である錆兎よりも病身の一般人である義勇の方が重いなんて事はないはずだ。

だけど…錆兎にとっては重いのだ。
自分なんかより…それこそこの世の何よりも重い。


頼む…早くしてくれ……ぎゆうが目を覚ます前に……

時間にしてそれは数秒だったと思うが、錆兎には随分長い時間がたったように思われた沈黙のあと、侵入者は嫌な方向に考えをめぐらしたらしい。


「…お前の提案に素直に乗るのは危険だな……。
戦場をかけ回る体術にも長けた司令官様の事だしな。
何を企んでいるのかわからん。
それなら…こいつを人質に司令官様に周りに道を開けさせて頂くと言うのが正しいだろう」



そうきたか……
予測出来ない事ではない事だが、錆兎は頭を抱えたくなった。

自分の日頃の行動が今になって疎ましい。
義勇を人質として連れ回させるなんて絶対にダメだ。

それだけはダメだ…


「そいつ…ぎゆうは重度の心臓病患者だ。
そんな風に連れ回したら逃げきる前に発作起こして死んじまうし、そもそもが途中で歩けなくなって抱えて歩く事になるぞ。
そのくらいなら…」

と、そこで錆兎は迷わず左手に持った銃で自分の右手を打ち抜いた。


焼けるような痛み…

しかし最悪の想像をした時の心臓にナイフを突き立てられて何度も抉られるような痛みに比べれば、耐えられないようなモノではない。

錆兎はそうしておいて片手と口を使って器用に止血をした。
そしてそれを終えるとポカンとする侵入者に向き直った。


「これでどうだ?
信用できないなら左も撃てば良い。
それでも足は使えるから連れ歩けはできるが、何か抵抗のような事をしようにも手は使えん」


これで…乗ってくれ…

もう他に思い浮かぶ手はない。
ぎゆうが目を覚ます前に…頼むから……


「一体何を企んでいる…」
そう言いつつ半信半疑になって来ているような侵入者の声に錆兎は言う。

「何も…。
ただの感情だ。
俺にだって感情的に大切なものくらいある。
自分の身なんてどうでも良いくらい大事なものだってあるんだ。
諦めようと思ったって諦められないほど、心が痛くなるほど、何と引き換えにしたって構わないくらい大切なものがあるんだ」



そう…幼い頃から全てを諦めてきた…。

幼児らしく愛され甘やかされる生活…
それを犠牲にして培ってきたはずだった跡取りの座…

それを追われて得たのは、質素で何もかも自分で行わなければならない代わりに他に縛られない気楽な生活…

そこからまたそれを取りあげられて弟に臣下として仕えてと、他人の都合を何もかも諦めて受け入れて来た。

そんな中で初めて出来たどうしても諦めきれないもの…



「本当に…俺にとっては唯一大事な相手だが、俺以外の人間にとってはただの病人だ。
だからやめてくれ。
お前だってプロだろう?
一般人を巻き込んだ挙句に成果がないよりは、大人しく俺を人質に逃げおおせた方が良くないか?」


……頼むから………そいつだけは巻き込むな…

相手が錆兎に個人的な恨みを持っているとかでなく、単に敵の司令官の暗殺…もしくは機密奪取だけなら、錆兎が身代わりになるという時点で異存はないはずである。

あとはもう……錆兎の言う事を侵入者が信じてくれるかどうかだけだ。



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