錆兎がおかしくなった…と、実弥が聞いたのは午後の訓練が終わり、次の作戦の打ち合わせに入る前だった。
本来は錆兎が指揮をとるはずだったものだ。
しかしどうやらとてもではないがそんなものを任せられる状態じゃないらしいと、急遽別の参謀が会議室に顔を出した時点で、
――んじゃ、俺も今回パスするわ。そういう約束だしなぁ。
と、実弥も今回の作戦の不参加を告げて、会議室を抜けて来た。
そう、それは実弥が請われて軍に入った時の条件だ。
――東ライン軍に入りその傘下で戦うが、出撃は錆兎の指揮の元に限る。
実弥に限ってそんな特別待遇がまかり通っているのには理由がある。
覇王の子孫…。
そう、かつて東西ライン両軍を相手に中央地域の中立を勝ち取った覇王と呼ばれた男がいた。
機を見るのが上手く、腕力も強く、武器をとればどんな種類のモノでも巧く扱い、それこそ本当に一騎当千と呼ばれた軍事の天才。
英雄色を好むとばかりに行く先々で女を作り、そして子孫を残して行った…
それが実弥の祖父だった。
実弥からすれば勝手にあちこちで子を作って放置のろくでなしだったが、中央地帯で募った志願兵を率いて中央地域の独立を勝ち取り、中央政府の基礎を作った祖父は周りから見れば十分英雄で、放置された愛人やその子は各村々で大切に保護されて生活も保障されていた。
だから祖父の子である実弥の父親も祖母の元で何不自由なく育った…というか、何不自由なさすぎて実弥から見るとこれもかなりのろくでなしである。
祖父譲りで腕っぷしは強いが普通の村でそれを活用する機会などなく、無駄に乱暴な”英雄様の息子”に嫁がされた母はかなり苦労していたようだ。
だが不思議と夫婦仲は悪くはなかったのかなんなのか、実弥の下には弟妹が6人。
しかし父親は飲んだくれてロクに働きもせずにいたので、次第に村の皆も冷たくなっていき、その7人の子を養うのに母親は働きづめで、実弥とすぐ下の弟も同じく働いて生活の糧を得るのに勤しむようになる。
そのうち父親は横柄な態度で恨みを買ったのか、酒を飲んでご機嫌でフラフラしていたところを誰かに刺されて亡くなった。
が、閉鎖的な村の中でのことでもあり、鼻つまみ者が一人刺されて殺されても誰も気にしなかったし、犯人探しも行われることはなく、ただ、父親が居なくなった、というだけの事実を残して日常は流れていくことになる。
実弥達に関しても迷惑をかけてばかりの父親がいなくなったほうが村人の視線も優しくなったので、家族もあまり気にしていなかった。
ただ、一つ年下の弟と、自分達が大黒柱になって弟妹をしっかり守っていこうとだけ話し合ったくらいである。
父の酒代がなくなって生活は少しばかり楽になり、村人に苦情を言われることもなく、豊かとは言えないまでも平和な日常が続き、幸いにして覇王と呼ばれた祖父の才能を受け継いだらしい実弥は15の年には村の自警団に入れてもらっていくばくかの…この豊かとは言えない村ではそこそこの賃金までもらえるようになった。
初めての給与で7人の子を養うために着たきりすずめで働き通しだった母に新しい着物を一枚、弟妹達に町まで行って買ってきた甘い菓子を買ってやったのが、実弥の人生の中での一番の幸せな思い出である。
本当に…今思えば胸がかきむしられそうなくらい…ささやかすぎる幸せ。
しかし悲劇はその翌日に訪れた。
当時は中央地域もまだまだ不安定で、中央部と北部は完全に中央政府の勢力下にあったが、南部は国境沿いを東西の軍がうろちょろしていた。
それでも一応は中立地帯。
祖父が生きていた頃は攻め入ってくる事はなかったのだが、祖父が亡くなったあたりから、双方の軍が国境に軍隊を駐留させるようになっていた。
そして均衡が破られたのはある日の夕方の事だった。
西隣の村から早馬が来た。
馬上の男は背に多くの矢を受けていて、それだけで何か異常事態である事は見て取れた。
大人は急いで子ども達を自宅へと連れ帰り、実弥の家では気丈にも母が
「非常時なんだったらあなたはもう戦えるんだから自警団に行きなさいっ。
家は母ちゃんが守るから、実弥は村を守って!」
と、怯える弟妹をなだめながらそう促す。
「でも…」
と、それでも男手のいない家を心配する実弥に、今度は1歳年下の弟の玄弥が
「大丈夫!兄ちゃんが居ない間は俺が母ちゃんと皆を守るから。
そう約束したろ?」
と、背を押した。
「わかった。兄ちゃん行ってくるから、家のこと頼むな?」
と、唯一家の諸々を一緒に背負える弟にそう言うと、実弥は非常時の集合場所になる村長の家に急ぎ足を運ぶ。
本来は錆兎が指揮をとるはずだったものだ。
しかしどうやらとてもではないがそんなものを任せられる状態じゃないらしいと、急遽別の参謀が会議室に顔を出した時点で、
――んじゃ、俺も今回パスするわ。そういう約束だしなぁ。
と、実弥も今回の作戦の不参加を告げて、会議室を抜けて来た。
そう、それは実弥が請われて軍に入った時の条件だ。
――東ライン軍に入りその傘下で戦うが、出撃は錆兎の指揮の元に限る。
実弥に限ってそんな特別待遇がまかり通っているのには理由がある。
覇王の子孫…。
そう、かつて東西ライン両軍を相手に中央地域の中立を勝ち取った覇王と呼ばれた男がいた。
機を見るのが上手く、腕力も強く、武器をとればどんな種類のモノでも巧く扱い、それこそ本当に一騎当千と呼ばれた軍事の天才。
英雄色を好むとばかりに行く先々で女を作り、そして子孫を残して行った…
それが実弥の祖父だった。
実弥からすれば勝手にあちこちで子を作って放置のろくでなしだったが、中央地帯で募った志願兵を率いて中央地域の独立を勝ち取り、中央政府の基礎を作った祖父は周りから見れば十分英雄で、放置された愛人やその子は各村々で大切に保護されて生活も保障されていた。
だから祖父の子である実弥の父親も祖母の元で何不自由なく育った…というか、何不自由なさすぎて実弥から見るとこれもかなりのろくでなしである。
祖父譲りで腕っぷしは強いが普通の村でそれを活用する機会などなく、無駄に乱暴な”英雄様の息子”に嫁がされた母はかなり苦労していたようだ。
だが不思議と夫婦仲は悪くはなかったのかなんなのか、実弥の下には弟妹が6人。
しかし父親は飲んだくれてロクに働きもせずにいたので、次第に村の皆も冷たくなっていき、その7人の子を養うのに母親は働きづめで、実弥とすぐ下の弟も同じく働いて生活の糧を得るのに勤しむようになる。
そのうち父親は横柄な態度で恨みを買ったのか、酒を飲んでご機嫌でフラフラしていたところを誰かに刺されて亡くなった。
が、閉鎖的な村の中でのことでもあり、鼻つまみ者が一人刺されて殺されても誰も気にしなかったし、犯人探しも行われることはなく、ただ、父親が居なくなった、というだけの事実を残して日常は流れていくことになる。
実弥達に関しても迷惑をかけてばかりの父親がいなくなったほうが村人の視線も優しくなったので、家族もあまり気にしていなかった。
ただ、一つ年下の弟と、自分達が大黒柱になって弟妹をしっかり守っていこうとだけ話し合ったくらいである。
父の酒代がなくなって生活は少しばかり楽になり、村人に苦情を言われることもなく、豊かとは言えないまでも平和な日常が続き、幸いにして覇王と呼ばれた祖父の才能を受け継いだらしい実弥は15の年には村の自警団に入れてもらっていくばくかの…この豊かとは言えない村ではそこそこの賃金までもらえるようになった。
初めての給与で7人の子を養うために着たきりすずめで働き通しだった母に新しい着物を一枚、弟妹達に町まで行って買ってきた甘い菓子を買ってやったのが、実弥の人生の中での一番の幸せな思い出である。
本当に…今思えば胸がかきむしられそうなくらい…ささやかすぎる幸せ。
しかし悲劇はその翌日に訪れた。
当時は中央地域もまだまだ不安定で、中央部と北部は完全に中央政府の勢力下にあったが、南部は国境沿いを東西の軍がうろちょろしていた。
それでも一応は中立地帯。
祖父が生きていた頃は攻め入ってくる事はなかったのだが、祖父が亡くなったあたりから、双方の軍が国境に軍隊を駐留させるようになっていた。
そして均衡が破られたのはある日の夕方の事だった。
西隣の村から早馬が来た。
馬上の男は背に多くの矢を受けていて、それだけで何か異常事態である事は見て取れた。
大人は急いで子ども達を自宅へと連れ帰り、実弥の家では気丈にも母が
「非常時なんだったらあなたはもう戦えるんだから自警団に行きなさいっ。
家は母ちゃんが守るから、実弥は村を守って!」
と、怯える弟妹をなだめながらそう促す。
「でも…」
と、それでも男手のいない家を心配する実弥に、今度は1歳年下の弟の玄弥が
「大丈夫!兄ちゃんが居ない間は俺が母ちゃんと皆を守るから。
そう約束したろ?」
と、背を押した。
「わかった。兄ちゃん行ってくるから、家のこと頼むな?」
と、唯一家の諸々を一緒に背負える弟にそう言うと、実弥は非常時の集合場所になる村長の家に急ぎ足を運ぶ。
…それが生きている家族との最後の別れになるとは思いもせずに……
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