寮生は姫君がお好き20_そして夏の夜に城の扉はひらかれる

昼間はふんわりと優しい光景も、人気のない夜に来るとまた随分と不気味な感じがするものだ…と、22時、漆黒の仮面で顔の上半分を覆った黒のスーツ姿の錆兎に連れられて大聖堂前に着いた義勇はふるりと身震いした。


昨日……

確か予定では昼の1時に集合だったはずなのに、予定日の前々日に急に届いた時間が変更になった招待状。

黒地に金の飾りのカードは綺麗だがどこか薄暗く不気味な感じで、それだけで少し不安感を煽られたわけなのだが、さらに変更された時間と言うのが夜中である。


お世辞にも楽しくワクワクするようなものであろうはずもない。
それでもそれが副寮長の仕事だと言われれば行かないという選択肢もない。

しかたなしに義勇はカードと共に届けられた光沢のある白い箱へと手を伸ばした。


招待状には当日は贈った衣装を身に付けるようにとの指定があったのでそれだろうと思って箱を開けると、中から出て来たのは繊細なレースのヴェールと義勇の髪と同色のロングのウィッグ、それにクラシカルな雰囲気の真っ白なドレス。

錆兎の元へはまるで対のようにまっ黒なスーツと仮面が届けられた事は当日錆兎が迎えに来た時に知った。

普段ならカッコいいと見惚れるそれも、こういう状況だと顔が隠れている事に不安を覚える。

もちろん夜の闇が怖いなどと子供じみた事を思っているように思われたくなくて、そんな事は口に出来ないのではあるが…。


…というか、普段はそれほど夜が怖いというタイプでもない。
ただ、今回は何がと言うとわからないのだが、なんとなく不安な気がするのだ。

まあ、単に慣れない副寮長としてのイベントに緊張しているだけかもしれない…そう自分に言い聞かせて、義勇はて錆兎と共に真夜中に寮を出た。



日中は何の気なしに通る寮から学校方面へ向かう森の中の小道も、月明かりだけを頼りに歩くと随分と心細いまでに暗く静かだ。
隣を歩く錆兎がいなければ、とてもではないが大聖堂まで行く勇気は起きなかっただろう。

が、その錆兎も顔半分隠れているせいかどこかいつもと違って見えて、やはり完全には消えない心細さに、義勇は早く大聖堂に着いていつも賑やか過ぎるくらい賑やかな善逸達を見たいと思った。


だが、そんな義勇の期待はすぐに裏切られる事になる。

確か新1年生の寮長、副寮長の交流イベントなのだから自分達だけでなく金狼寮の2人も参加するはずなのに、その姿が見えない。

どうなっているのだろう…

シン…と静まり返る中、時折りガサガサと風に揺れる木々の葉の触れ合う音だけが響く。



「もしかして…寒いか?
俺のスーツと違ってドレスは地が薄そうだもんな」

それでもそんな義勇の震えに気づいて当然のように気遣ってくれる錆兎。

顔が隠れていて違う人のように感じていたが、その声も落ちついた様子も確かに慣れ親しんだ寮長で、当たり前なそれに少しホッとしながら、義勇が小さく首を横に振ると、おそらく義勇に貸してくれようとしていたのだろう。
上着を脱ごうとしていた手を止めた錆兎が小さく笑った。

「ああ、じゃああれか。
今回の諸々が少し不気味で怖いか。
……ま、夜中にこんな場所なんて肝試しみたいだもんな。
でも大丈夫。
義勇はなにも心配しないでいいし、気にしないでいい。
俺が全部気をつけるし避ける必要のある危険は避けるから。
言っただろう?全面的にフォローするって」


ああ…たった3歳しか違わないと言うのに、なんと頼もしい事か。
錆兎はそれをする自信があるのだろうし、実際できるのだろう。

そうだ。
錆兎がいれば何もかもが大丈夫なはずだ。


無意識に詰めていた息をホッと吐き出して、義勇が口を開きかけた時、その音は聞こえて来た。

そう…蹄と車輪が回る音。

聞き慣れないそれに顔を向けると、もうすぐそこまでクラシカルな事にこだわるのか馬車が近づいてきているのが見えた。

隣では錆兎もさすがに目を丸くしている。


「あ~…そう言えば当屋敷で宴をって書いてあったもんな。
場所は移動するんだな」
と言う呟きに、義勇も、ああそうだった…と思い出した。


それにしても迎えが馬車とは…と思わず口にすると、錆兎は

「俺が中1の時はヘリで山に連れていかれて山登り、去年は自家用ジェットで南の島で遠泳島めぐりだったらしいからな。
ま、馬車くらいは普通のうちなんだろう」
と、それでも呆れたように肩をすくめる。



なるほど。

義勇は中等部からの編入で普通の家庭の出だからいちいち驚いてしまうが、考えてみればこの学校は小等部までは郊外に広大な敷地の中に建つ校舎まで、ほとんどの生徒が自宅から自家用機で通っていたというのだから、このくらいは確かに驚くに値しないのだろう。
そんな事を考えているうちに馬車は静かに聖堂前に止まった。



――ひっ……

止まった馬車に視線を向けた義勇は思わず小さく息をのんで添える程度に手を置いていた錆兎の腕にしがみつく。


――…お待たせしました……お乗り下さい…

御者台から飛び降りたのは片眼に眼帯をしたせむし男。

まるで映画の中から出て来たようなその男はしゃがれた声でそう言うと、馬車のドアを開いて2人を中へと促した。


真っ黒な馬に真っ黒な馬車。
中の座席は真紅のベルベット。

怯えたような義勇に愛想笑いのつもりなのだろう、せむしの御者は不揃いな黄色い歯を見せて笑いかけるが、それが余計に恐ろしくて、思わず足がすくんでしまう。

ドクン…ドクンと自分の心臓が早鐘をうっているのがわかる。
それはまるで地獄へ向かう不吉な乗り物のように思えた。


――…どう、いたしました…?……お乗りになりませんので…?

月明かりの中で浮かぶ笑みはどことなく不気味で、そんな笑みと共にかけられるしゃがれた声に、思わず錆兎の腕に縋りつく義勇だが、錆兎はというと普段と変わらぬ落ち付いた…むしろ少しふざけたような声音で

「今年はなんだか色々凝っているな。
ま、交流イベントは毎回、姫君にいかにストレスや負担を与えないように課題をクリアするかという寮長の耐久レースだから、姫さんは楽にしてていいぞ?」
と、義勇の緊張をほぐすように笑って、義勇を馬車へとエスコートする。


この不気味に見える諸々自体が主催者が雰囲気作りのために凝らした趣向なのだと、暗にそんな風に言われているようで、義勇は過剰に怖がっているような自分が恥ずかしくなって頬を赤く染めると、差し出された錆兎の手を取って馬車に乗ったのだった。


2人が乗り込むと馬車の扉が閉められた。

何故かこの馬車には窓がない。
だから外と繋ぐ唯一の文字通り入口であり出口である扉が閉められてしまえば、そこは室内を照らすランプの灯りだけが頼りの薄暗い閉鎖空間だ。

「なんだかミステリー列車みたいだな」
と楽しげに笑いかけてくれる錆兎がいなければ、たとえ走っていたとしても今すぐドアを開けて飛び降りてしまっていたかもしれない。


ゴトゴトと音をたてて進む馬車。
どちらに向かっているのかはわからない。

まあよしんば風景が見えていたとしても、学校の敷地というにはあまりに広大な敷地内の森をどちらの方向に進んでいるかなど、おそらくわからないだろう。

こうしてどのくらい走ったのだろうか。

「夜だしな。眠いだろう?
少し寝ておけよ」
という錆兎の言葉に最初は眠れるわけなんかないと思っていた義勇だったが、頭をいつものように錆兎の胸元に引き寄せられ、背をぽん、ぽん、とリズミカルに叩かれているうち、反射的に眠ってしまったらしい。


――着いたみたいだぞ?姫さん…

頭の上で静かにかけられる声に眠い目をこすれば、少し離れたところでギィィ…という何か軋むような音。


――到着いたしました……
との相変わらずしゃがれたどこか不気味な声と共に開かれる馬車の扉。


錆兎に手を取られて外に出てみて、それが館…というよりは小さな城のような建物をぐるっと囲む掘にかけられた跳ね橋があがった音だとわかった。



あたり一面薄暗い森。

その中にある古城は前述の通り外側を堀で囲まれていて、まるで来訪者を拒絶するような茨がその内側に広がっている。

そんな中で馬車を降りると城までまっすぐに続く石畳の左右には今時珍しく松明の灯り…。


――どうぞこちらに……。すでに何人かの方々が到着してお待ちです…

その道の端に立っていたのはタキシードを着た仮面の男。

低い…低い声…。
肌や声の感じからすると初老くらいだろうか…
恭しく義勇達に礼をすると、先に立って城の入り口まで誘導する。


足音もなく進む男の後ろを石畳に足音を響かせて続く錆兎。

その規則正しい靴音だけがこの非現実じみた空間で唯一、当たり前に平和な日常への道しるべのように思えて、義勇は錆兎の腕にしがみつく手に少し力を込めた。

錆兎は義勇のそんな小さな変化にも気づいて、なだめるように笑いかける。

3歳の年の差…それが自身もこんな状況に置かれている時に自分だけではなく連れの下級生にさえ気遣える余裕を生むのだろうか…そんな風に漠然とした不安感を追い払うように義勇は考えた。


そうして改めて正面を見ると、重々しい鉄の扉。
近づくとそれにも何やら悪魔のようなものをかたどった細工がしてある事がわかる。

本当にどこまで不気味な趣向を追求するつもりなのだろうか…と、錆兎が隣に寄りそってくれている事で若干生まれて来た余裕の中で少し腹立たしくなってきた。

が、そんなわずかな余裕もすぐに消えた。


先導する男がその前に辿りついて足を止めると、扉の細工の悪魔の目の部分に埋め込んである金色の石がまるで意志のあるもののようにギラリと光りながら動く。

その不意打ちに義勇は悲鳴をあげそうになって慌てて飲み込んだ。

しかしながら、先導する男は全く驚く様子がないのは当然としても、隣の錆兎もピクリともしない。

ただ、やはり隣ですくみあがった義勇を気遣うように
(…今年は体力じゃなくて精神力に訴える趣向みたいだな)
と、小声で言ってポンポンと頭を撫でてきた。


重厚な扉から一歩館内に足を踏み入れると、すぐ後ろで誰もいないのにギギィ~……と錆び着いた蝶番がきしむような音をたてて閉まるドア。

それにもビクッとすくみあがる義勇の背にギルがやはりなだめるように手を回した。


室内はやはり壁にかかった松明の灯りで照らされていて、エントランスの左右には古びた甲冑が並び、中央を進むと大きなドア。
そのドアの左右には2階へとあがる階段が伸びている。

先導する初老の男はドアには向かわず階段に足を向けて、そこで初めて立ち止まって義勇達を振り返った。

そこで錆兎も足を止めるので、当然義勇も足を止める。


ぎぃ…と何かがきしむ音がして、振り返った男は一瞬そちらにまるで冷やかに咎めるような視線を向けたが、すぐ義勇達に視線を戻した。


「まだお二人ほどゲストが到着しておりませんので、お二人には控室にてお待ち頂きます」
と、伝えると、男はまた前を向いて今度こそ階段をのぼっていく。

男の視線がなくなったところで義勇はチラリと後ろを振り返ってみた。
さきほど音がした方を……


入口から左右の壁に4体ずつ並んだ甲冑。

斧…槍…盾…大剣
それぞれ武器を持った甲冑達は今にも動き出しそうに見える。
そして…他にはそんな金属がきしむような音を出しそうな物は一切ない。


冷やり…と背中を冷たい汗が伝った。

考え過ぎだ。
怖い、怖いと思っているから、そんな風に思えるのだ。

そう思い直して前を向き直ると、義勇も錆兎に手を取られたまま階段に足をかける。


…が、

ゆらり…と松明の灯りに映し出される影が揺れた気がした。

……っ?!

驚いて振り向くが振り向いた先はなんら変わった様子もなく、今度こそ気のせいだったかと小さく息を吐き出す義勇に、

――義勇、怖がり過ぎだろう。ま、そんなとこも可愛いけどな――

と、小さな笑いが降ってきて、義勇も考え過ぎだったかとようやく肩の力を抜いた。


こうして2人が男に連れられて階段をのぼりきったあとの事である。
シン…と静まり返ったエントランスで甲冑の目の部分がピカリとかすかに光った…。

ギギィ…とまるで意志を持つ人間のように甲冑の顔が階段を向き、ピカリ、ピカリ、ピカリ…ちょうど3回。

そしてまたゆっくりと正面に戻る。


しかしそこにはすでに人は無く、当然その事に気づく者は誰ひとりとしていない…。



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