ジュリエット殺人事件Ver錆義1_プロローグ

──お兄ちゃん、お願い!今度だけ!!

普段は気丈な妹が涙で目を赤く腫らしながら手を合わせてくる。
妹、禰豆子にとってはそれだけ重要なことらしい。

炭治郎からするとそんな程度で?と思わないでもないのだが、普段は我儘の一つも言わない妹の頼みだ、叶えてやりたいとは思う。

…ただし、それが自分の範囲で収まることであったなら、だ。

いくらなんでも他人様を巻き込んでまで叶えてやることはできない。
実に生真面目な長男は、そんな風に思っているわけなのである。


フェンシングとテニス、それにチェスの達人を引っ張ってきて欲しい。
それが禰豆子の頼みだった。
もうそのフレーズからして一般ピープルには縁がない気がする。

商店街でも評判の美味しいパン屋、竈門ベーカリー。
そこで長男の炭治郎のすぐ下の2番めの子、長女として生まれた禰豆子はどこまでも一般庶民だ。

それが何故そんな話を持ってきたかと言うと、彼女が友人に誘われて始めた教会主催の合唱団でちょっとした揉め事があったらしい。

合唱団は教会主催なので月謝も安く、しかし、都の音楽教育の重鎮のような先生が開いているものなのでレベルは高い。
そこの出身者はコンクールに優勝したりプロになっている人間も多数いるとのことだ。

それでも友人と一緒ということもあり、禰豆子は楽しく歌いに行っていたのだが、元々才能があったらしく、楽しげに歌っているうちにどうやら先生に認められて重要なパートを任せられることになったらしい。

すると当たり前だがそれを面白く思わない人間が出てきて、ずいぶんとひどいことを言われたそうだ。


「あたしのことはいいの!
でも家族のことまで馬鹿にされたことは絶対に許せない!」
というのも、優しい禰豆子らしいとは思う。

結局…卑しい貧乏人はこんなところに来ないで、貧乏人同士でつるんでろ。
お前の親兄弟は身の程を知って貧乏人の愚民コミュニティで生きてるんだろう。
というような意味の事を言われて、禰豆子もキレた。

それで裕福ではないが貧乏でもないし、付き合う相手だって立派な人ばかりだ!と言い返したら、じゃあどれだけデキる人間を連れてこられるか勝負をしろと言う話になったというのである。
意味不明だ。

だが禰豆子も頭に血が上ってその勝負を受けてしまったと言うから困ったものだ。

で、その勝負の内容というのが、例のフェンシング、チェス、テニスの出来る友人知人を集めてどちらの側が勝つかということになったらしい。

相手の女子高生に自慢げに
「特別に私の幼馴染にテニスコート付きの別荘を貸してもらえるように手配してあげるから、せめて勝てないまでも勝負に参加できる人員くらいは頑張って集めなさいね」
と言われた出来事が原因で、泣きながら帰ってきて言われたのが冒頭のセリフだ。

「お兄ちゃんのお友達、すごい人がいるって言ってたじゃない。
その人だったらそういう人知ってるかも」
エグエグと泣きながら言う妹に炭治郎は

「あのな、お前の喧嘩のために全然関係のない友人にそういう人を紹介してくれというのはダメだろう?」
と、少し困った顔でたしなめる。

「だってっ!やりかたもすごくひどいのよ!!
合唱団の中でチェスが強い先輩がいて先週すぐお願いしに行ってOKもらったのに、あの人わざわざその人をあとから引き抜いたの!
今日それを言われて今週末までになんか探せない!
さんざん自慢したんだから、そんな卑怯な真似しないで他から連れてくればいいじゃない!」

「それはやりかたがひどいな…」
「でしょ、だからっ!」

「でもそのことと、全く関係のない友人の友人まで巻き込んでいいかどうかは別問題だ。
こんな馬鹿げた勝負は受けませんと言っておいで」

「無理っ!お願いっ!今回だけ」
「ダメだ。この話はおしまいだ」

可哀想だとは思うが、そもそもがそんな馬鹿げた勝負を受けてしまう禰豆子も悪い。

よもやそんな幼稚な喧嘩に友人までならとにかくとして、その知人レベルの人間を巻き込ませてくれとは言えない。
ということで、炭治郎はそれを断って話はそれで終わったはずだったのだが…真っ直ぐな長男は詰めが甘かった。




「もしもし?あ、禰豆子ちゃん。珍しいね、どうしたの?
…へ?フェンシングとテニスとチェス?
いいよぉ~。俺が友達に頼んであげる。
任せて!すっごい顔広い友達がいるから」

お兄ちゃんはダメだ。
一度断ったらテコでも動かない。

誰よりもそんな兄の性格を知る妹が次に依頼先として選んだのは、よく行き来をするため炭治郎だけではなくその兄弟姉妹ともすっかり仲良くなった男…我妻善逸。
もちろん互いに連絡先も交換している。

そんな兄の親友は禰豆子からの要請に理由も聞かずに軽く了承したわけだが、そのあとに理由を聞いて激怒。

「ちょ、それ最低!うちの禰豆子ちゃんになんてひどいことを!!
任せてっ!ぜぇぇ~ったいに勝てる人材を用意してって頼んであげるからねっ!!」
と言ってくれる。

兄に知れたら大激怒だろうな…とは思うものの、善逸はすでに禰豆子の知人でもあるのだ。
飽くまで禰豆子が禰豆子の知人に依頼したのだから、いいだろう。

自分までならとにかく、家族まで侮辱した挙げ句、禰豆子が先に依頼をして受けてくれた相手を横取りするような卑怯な真似をした相手はどうしても許せない。

…ごめんね、お兄ちゃん、今回だけ…と心のなかで兄に詫びながらも、禰豆子は善逸の連絡を待つことにした。



こうして親友の妹の依頼を受けた善逸が依頼をする相手は当然、日本一賢い学校の会長様である。

普段は炭治郎などに比べると少し敷居が高く感じるその番号だが、今は善逸にとっては緊急事態だ。
迷わずアドレス帳にある名前をタップする。
そうしてコール音2つほどで出た友人にいきなりなんだけど…と、全てを話した。



『なるほど。事情はわかった…』

善逸が勢いでのまま電話をかけて、が~っと怒って、最後に助っ人を探してもらえるように依頼をするまで、ずっと黙って話を聞いていた錆兎はそう言って一瞬考え込み…そして小さく息を吐き出した。

『これ…炭治郎はNGだと言ったんだよな?
助っ人を見つけてやるのは構わないが、妹と炭治郎の兄弟関係、そしてお前と炭治郎の友人関係は大丈夫なのか…?』

と、そこで投げかけられる非常に冷静な問い。
そこで沸騰していた頭が冷めて、善逸は一気に青ざめる。

確かに…炭治郎は優しいが頑固なところがあるし、真面目で他人に迷惑をかけることを非常に嫌うので、これがバレたら揉めるんじゃないだろうか…。

「…あ、う…うん。…揉めるかも…」
と、急に弱気になりつつも、それでも
「でもさ、禰豆子ちゃんだって自分のことならそこまで怒ったりしなかったんだよっ!
これまでだってすごく嫌なことばかり言われてたらしいし。
それでも堪えてた我慢強い子なの!
その子がさ、炭治郎や家族のこと馬鹿にされて限界きちゃったんだ。
俺だってさ、色々馬鹿にされ慣れてるし自分のことだったら結構流せると思うけど、やっぱりじいちゃんとかのことさ、バカにされたらキレると思うんだよっ。
だから…だから……」
と、もう自分でもなんと言っていいかわからなくなってついつい涙声になる。

すると電話の向こうでまた小さなため息が聞こえた。

しかしそれに続く言葉は
『勝負の人員は俺が用意するし、炭治郎には俺から揉めないように言っておくけどな、炭治郎がダメだって言った事を強行したことになるんだから、ちゃんと謝っておけよ?
炭治郎の妹にも言っておけ。
あいつは頑固だからな。揉めると長いぞ』
ということで、もう本当に今に始まったことではないが錆兎様々だ。

「う、うん!!ありがとう、錆兎っ!!ほんっとうにありがとねっ」

善逸がスマホにすがりつくように言うと、

『はいはい。じゃあ俺はこれから炭治郎に電話するから切るぞ』
と、最後に苦笑交じりに言って、頼れる勇者様は通話を打ち切った。



そして数分後…

──お前の妹に頼まれた善逸から頼まれたんだけどな…

普段は何もないのに電話をかけてきたりとかはあまりしない錆兎から電話が来た時点で嫌な予感はした。
特に妹、禰豆子と彼について色々話したあとだけに…

それでも普段からよく互いの家を行き来するレベルで遊んでいる善逸と違って、錆兎は禰豆子と直接の接点がないだけに大丈夫と油断していた。

そう、その善逸から回り回って…ということは十分あり得たのである。



「ごめん!うちの禰豆子が迷惑なこといい出して、本当にごめん!!
忘れてください!!」
禰豆子や善逸への怒りを感じる前に、炭治郎はただただ焦った。

自分の妹の喧嘩に妹に会ったことすらない錆兎の、さらに妹どころか炭治郎自身にすら会ったことがないであろう人脈を使ってくれなどと言うのはありえない。
電話で見えてはいないのだが、思わずスマホを持ったまま何度もお辞儀をしてしまう。

しかし錆兎は不快に思った様子もなく、電話の向こうで

『自分のことは許せても家族のことは許せないって、良い妹じゃないか。
あまり叱ってやるなよ?
俺は別に嫌なら断れば良い話だし、依頼されることに対して不快とかはない。
ただお前がダメだという話を勝手に進めたことに関してはお前と妹や善逸の間での謝罪は必要だぞと善逸には言っておいたから、そのうち謝ってくると思う。
その時は謝罪を受け入れてやってくれ』
と、穏やかな様子で言う。

「わかりました。騒がしてしまって本当に申し訳ありませんでした。
色々ありがとう、錆兎」

それでもそんなところまで話を持っていってしまった挙げ句にこうして気を使わせていることに関しては申し訳なくて、謝罪と気遣いに対する礼を言う炭治郎だが、そこで返ってくる驚くべき返事…

「まあ…隣で全部聞いていた義勇が可哀想だから協力してやれと言うし、俺も女同士の口喧嘩には興味はないが一度引き受けておいて寝返った卑怯者のチェス要員には非常に不快感を覚えてるんで、最高の人員を用意してやる。
とりあえずテニスは文武両道を旨として身体能力も高いことで知られる海陽学園とその関係校が年に1度合同開催する球技大会のテニスの部の去年の個人優勝者、フェンシングは中学時代だが全国少年フェンシング大会フルーレ個人戦での優勝者、そしてチェスは国際チェス連盟に認定されたグランドマスターのタイトル保持者を連れて行ってやるから、妹にそう伝えてやれ」

え?ええっ?!!!!!!
何?何を言ってるんだ???

もうその言葉の羅列に混乱する炭治郎。

「だ、ダメですっ!そんなすごい方々に全く見知らぬ俺の妹の意地のために足を運んでもらうのは、さすがに申し訳ないっ!!」

海陽生徒会長の本気の人間関係はもうチートすぎる。
子どもの喧嘩に国家権力を駆使して完全武装の自衛隊を投入するようなものだ。

と、今度は他人様というのをおいておいて、その大人げのなさに炭治郎はストップをかけたわけなのだが、さらに驚く会長様のお返事。

『心の底から安心しろ。全く見知らぬ人間じゃない。全部俺だ

「さびとぉぉぉおおーーー!!!!」

国家権力じゃなかった…。
存在自体がチートなおとぎ話の伝説の勇者様だったか…
炭治郎は頭を抱えながらそう思った。



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