ストーカーとは何をされるかではなく、誰にされるかである_はじまり

ガタン…ガタンと音がする。
揺れる電車。

学校までは電車で1本。
乗車時間は30分ほどで長くはないが、都心に向かういわゆる登り電車なため、混雑がすごい上、まず座れない。


よく満員電車の比喩で使われるすし詰めという言葉を造ったのは絶対に関西人だ。
スシはスシでもちらしや握りではなく、これはまぎれもなく押し寿司だ…と、義勇は日々思う。

高校に入って3年目。
そんなスシ詰めの電車にもいい加減慣れはしたものの、たまに辛い。
特に今日のように体調が宜しくない時は……。


親は小学生の頃に亡くなって、これまで育ててくれた姉が結婚した半年前から1人暮らし。
元々あまり体力には自信がない上、料理の腕も少々もにょもにょで、さらに姉が結婚して夫の転勤で地方暮らしになってしまってからは自分のためにだけ食事を用意するのもおっくうになった。

姉がいる時は必ずどちらかが朝昼晩作ってた食事も1人だと作る気がせず、かといって買いに行く気力もない。
食べないでいいや…とウーロン茶だけ飲んで一日過ごすとかそんな日もあって、色々がボロボロだったせいだろうか…
最近体調が宜しくない。
よく貧血を起こす。

今も満員電車に揺られながら、少し右半身に痺れが走る。
あ…これは来るな……と、何度か経験したそれに、義勇はまずい…と思った。
だんだん周りの空気が迫ってきて圧迫されるような感覚に襲われる。

…気持ち悪い……
吐く事はないのだが、吐き気を覚えて目を軽く閉じた。

本格的な貧血の前触れに、義勇は焦る。
165cmと高3にしては小柄なので、周りにいる多くのサラリーマンに埋もれて呼吸すらままならず、このまま倒れたら踏みつけられるのでは…と、額に脂汗を掻きながら思う。

だめだ…まずい……
本格的に世界が揺れ始めて限界がきた。

膝から崩れ落ちる……
が、その直前にいきなり支えられる身体。

「気分悪かったら、俺につかまっておけ」
と、上から降ってくる声。

誰なのかなど確認する余裕はない。
とにかくここで倒れても困るので、なんとか
「…ありがとうございます……」
とだけ言って、引き寄せられた肩口に額を預けると、石鹸の良い匂いがした。


そうして電車が駅につく。
もちろん自分が降りる駅ではないが、そんな事は言ってはいられない。

――いったん降りような?
と言ってくれる声に頷いて、肩を貸してもらって電車を降りた。
とたんに新鮮な空気が周りに満ちるのがわかるが、圧迫感は収まらない。
足の力ももどらない。

とにかく座りたい…と思っていたら、

――ちょっと座っておけ。
と、ベンチに腰掛けさせられる。

そうして相手が離れていく気配。

ああ…親切な人だったな…と思うと同時に、礼もロクに言えなかったのを心苦しく思った。
こんな時間帯だ。
相手だって通勤で忙しいだろうに、義勇を助けるために電車を一本乗り過ごす事になったのだろうし、ギリギリの時間で遅刻したりとかしなければいいな…と、本当に申し訳なく思う。

まあ、もう確認しようがない相手の事は、とにかくとして、さて、自分はどうするか…。
すぐには動けない。
しばらく休んでいたら遅刻は確定だが、まあ普段は真面目に行っているから出席日数は問題ない。

そんな事を考えていたら、前方に人の気配。
偶然そこに立っているにしては近い距離だと思っていたら、相手は目の前にしゃがんで少し下から義勇に視線を合わせるように見上げて来た。

「大丈夫か?これ、今買ってきたからちょっと飲め」
差し出されたのはミネラルウォータのペットボトル。
もしかしてさっき助けてくれた相手か?
あ…お金……と、鞄を探ろうとしたら、小さなため息と共に空いている方の手でそれを止められた。

「このくらいは別に良いから。
体調を崩したお子様のために買ってきたもので金を取ろうとか思ってはいない。
素直にもらって飲んでおけ」
と言われて、普段ならもう少し色々考えたのかとは思うが、とにかく気分が悪かったので礼だけ言ってそれを受け取ると、冷たい水を飲みほした。

そこでだいぶ思考がクリアになってくる。
それまでは気分が悪すぎてロクに相手を見ていなかったが、目の前にいるのは目の覚めるようなイケメンだ。

おそらくサラリーマンなのだろう。
きちんとスーツを着こなしているのだが、そのスーツの上からでもどことなく筋肉質でスタイルが良い事が伺える体躯。
珍しい宍色の髪に、右の口元から頬にかけて傷痕のようなものがあるがそれ込みでも男らしく精悍な整った顔立ち。
そして何より印象的なのが、強い意志を窺わせるキリッとした藤色の瞳。
少し吊り目がちなその綺麗に澄んだ目が気遣わしげに義勇を見つめていた。

それに気付いた時に思ったのは、どうしよう…だ。
いや、何がと言われても困るのだが、動揺した。

「…熱…出て来たのか?」
と、義勇よりは大きな少し骨ばった手が額に触れてきて、つい動揺しすぎてすくみあがったら、
「あ…悪い」
と、すぐその手は離れて行った。

貧血の感覚はいつのまにかなりを潜め、今はただただ恥ずかしい。
こんなイケメンが駅でしゃがみこんでいるのだ。
周り…特に女性達がざわざわとざわめきながら、こちらを見ている気がする。
いや、気がするではなく、実際に見ているのだろう。

…か?
…おい、電話番号わかるか?

無意識にぎゅっと目をつぶったまま膝の上で拳を握りしめていた義勇に、相手はさきほどから話かけていたらしい。
それに気づいて義勇は慌てて目をあけた。

「え?電話…番号?」
と、かろうじて聞き取れた言葉を繰り返すと、相手は反応があったことにホッとしたようだ。

「そうそう、お前学生だろう?
どうやっても遅刻だろうし、学校の番号わかるなら遅れるって連絡だけはいれておけよ」
と、自分の携帯を差し出してくれるが、
「あ、大丈夫です。
自分の携帯持ってますし、番号は…生徒手帳にあるので…」
と、義勇は今度こそ自分の鞄をさぐって携帯を取り出した。


こうして義勇が学校に電話をかけている間、相手も会社に電話をかけていたらしい。

「あ~、すまないっ。大丈夫、システムの方は今日中に何とかできるから。
ああ、すまないな。じゃあ、午後には行くから」

電話が終わった義勇が聞き取れたのはそれだけだが、どうやら相手も会社を遅刻する事になったらしい。

通話を終えて電話をしまった相手に、義勇は青くなって頭を下げた。

「す…すみませんっ!
あなたまで遅刻させてしまって……」
と身をすくめる義勇の頭を、相手はクシャクシャと撫でて
「気にするな。
あれを放置したら自分がずっと気になってしょうがないと思って勝手にやったことだから、お前のせいではない。
体調が悪い時くらい大人に甘えておけ」
と、笑った。

整ってはいるが少しきつい印象を受ける顔立ちのせいで近寄りがたい印象を与えかねない感じがする男性だが、笑うととても気さくで親しみやすい雰囲気になる。

「俺は錆兎。鱗滝錆兎だ。
一応これ名刺な。怪しい者ではないから安心してくれ」
という言葉と共に渡される名刺。

…ワールド商事システム課課長鱗滝錆兎。
義勇も聞いた事のある会社だ。
そこの課長?若く見えるが結構年齢がいっているのだろうか…

「ん?どうした?」
「錆兎さん…若く見えますけど、課長って……」
「あー、俺、今25な。
役職は…まあ実力主義の会社だからな。
努力をすればそれだけ評価をしてもらえる」

…うん…神は二物を与えないというのは嘘だった。
イケメンで頭良くて仕事出来てコミュ力高そうで?
なんだそりゃ……

ため息しか出ない。
まあ…世の中には色々な人間がいるということで…
それよりもう一つ聞き捨てならない事を言われた気がする。

「あと…俺、子どもというほどの年じゃないと思います。高校生ですし」
「へ??」

あ…出来るイケメンて間抜けヅラでもイケメンだ…と、ぽかーんと呆ける錆兎を見て義勇は現実逃避のように思った。

うん…まあ体格があまり良くないせいか、よく幼く思われるけど……

「えっと…3年…だから3本ラインなのかと思ってたんだが……」
と言いつつ錆兎がチラリと見るのはブレザーの胸元の3本線の入った小さなバッジだ。
「ええ、そうです。
だから高校3年生ですけど…」
「まじかーーー!!!!」

そんなに驚かなくても…と思うくらい驚かれて義勇は複雑な気分にはなったが、相手は恩人だ。
怒ってはいけない。

「冨岡義勇。高校3年生です」
と、名刺はないが生徒手帳を見せると、錆兎は目を丸くして、次に
「すまないっ!やけに細いし中学生かと思ってた」
と、悪びれた様子もなく、またクシャクシャと頭を撫でまわした。

もうあっけらかんとしすぎてて怒る気も失せる。
というか、本来はパーソナルスペースが広すぎる人見知りの義勇相手でも全く緊張させないのが凄いと思う。

最終的に一通り驚いて笑って騒いで、
「まあ、俺からしたら子どもなのは変わらないけどな」
というところに落ちついたらしい。

明るい彼につられて膨れて拗ねて笑って…いつのまにか回復していた体調をみてとったのか、
「じゃ、学校まで送るな」
と、錆兎は当たり前にそう言って立ち上がった。

え?ええ??

「何言ってるんですか、鱗滝さんも会社ですよね。
俺もう大丈夫ですから…」
差し出された手を掴むと強い力で立たせてくれる相手に驚いてそう言うと、
「んー会社の方には午後から行くって連絡を入れたから大丈夫。気にするな」
と、錆兎は笑って言う。
が、さすがに学校までは悪い。

「俺の学校この沿線で駅から10分だから大丈夫です」
と、固辞すると、錆兎はちょっと考えて、
「じゃ、最寄駅までだな。俺の会社はその先だし」
と、そこはあっさり引いてくれた。


そして学校最寄駅。
当たり前に一緒に降りる錆兎。

「ちょっとさっきの名刺貸してくれ」
と言われて渡すと、その裏にさらさらと万年筆で書かれる数字。

「これ、俺の携帯だから。
気分悪くなったりしたらすぐかけろよ?
戻って来てやるからな?」
と言ってまた渡される名刺。

「…ありがとうございます」
と礼を言う義勇に、

「あと仕事ではないんだから、敬語は禁止な。
さんも要らない。名字は家族全員鱗滝だしな。錆兎でいい」
と言うので
「ありがとう、錆兎」
と、言うと、
「おう、気をつけて行けよ、義勇」
と、錆兎も義勇を当たり前に名で呼ぶと、小さく手を振って次の電車に飛び乗って行った。

それが錆兎との出会いだった。




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