だから聞こえるはずのない声が聞こえる。
ああ、これは…心の声?
末の兄、ウィリアム兄さんの姿を借りた心の声なのか…。
と、半分寝ぼけた頭で思う。
ウィル兄さんはまだ優しい。
能動的にはいじめてこない。
もちろん他の兄さん達にいじめられてもかばってくれたりはしないのだけど…。
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だなんて言葉を聞いた事があるけど、嫌いより無関心の方が痛くないから好きだ…。
他の兄さんも嫌いより嫌いでいいから、ウィル兄さんみたいに無関心でいてくれればいいのに……
「チビちゃん?寝てるの?」
不意に声がリアルに耳に響いてくる。
と同時に腕を掴まれる感覚。
「う…うあああああ!!!!!!」
一瞬状況がつかめず、アーサーはパニックを起こして悲鳴をあげた。
「ちょ、うるさいよ、チビちゃん」
顔をしかめて片手で片耳をふさぎながらも、末兄ウィリアムの手はアーサーの腕をしっかりつかんだままだ。
夢じゃないっ。
しかしそれが現実だと半分認識できてもいないうちに、今度は黒豹のようなしなやかな影が一気に距離をつめてきてアーサーの前に立ちはだかる。そしてその手におさまっている白い刃がアーサーの腕をつかむウィリアムの手をとらえた。
ヒュン!と空を切る次の一太刀を避けると、薄く傷をつくった右手を左手でかばいつつウィリアムは慌てて一歩距離を取る。
「後方のルート方へ逃げておけっ!!」
一瞬で背筋が凍りつくような殺気をみなぎらせて剣をかまえているギルベルトがそう言ってアーサーを軽く後ろへおしやった。
ギルベルトはいつも馬鹿みたいにおどけてみせる楽しく優しい男で…こんなギルベルトは知らない。見た事がない。
いつの間にいた?どこまで状況を把握してる?バレた?
さらにパニックを起こして立ちつくすアーサー。
「さっさとこっちこいっ!」
と誰かがさきほどまでウィリアムが握っていた腕のあたりをひっぱった。
さらに予想もしていなかった方向からのアクションにたたらを踏む。
魔術師は基本的に突発的事態には弱いのだ。
しかしものごとには常に例外はいる。
ウィリアムがそうだった。
4兄弟の中では魔力が弱くて、魔法自体の威力はそう強くはないウィリアムは、だが、その分感覚が“普通の兵士”に近い。
アーサーを初めとする多くの魔術師が、前方に敵のいない所で、もしくは前方の敵を防いでくれる味方がいるのが前提で、ロッドと呼ばれる大杖を媒体としてある程度詠唱に時間をかけるのと対照的に、ウィリアムは片手で扱えるウォンドと呼ばれる小杖ですばやく魔法を使うという、威力は小さいものの隙の少ない戦闘スタイルを好む珍しいタイプの魔術師だ。
今もアーサーをかばうように一瞬立ち止まるギルベルトの隙をついて距離を取り、怪我をした右手にすばやく出した小型の杖を握ると、もう魔法の詠唱に入っている。
それだけはどれだけ動揺していても目に入ってくる魔法装備は、この時も当然アーサーの目に飛び込んできた。
ウィリアムは攻撃を増幅する赤石や防御を増幅する青石は一切身につけていない。
額のサークレット、両手のブレスレットと指輪、胸元、両足のアンクレットに至るまで全て速さをつかさどる白石。
スピードのみに重点を置いた装備な上に、ご丁寧に詠唱も素早い風系魔法だ。
魔法は威力は大きいものの詠唱時間がかかり隙が多いため、ソロの近接戦闘ではまず勝ち目はないと言われているが、ここまでスピードアップに特化すれば話は別だ。
よく知られる魔法攻撃のように複数人を一瞬で倒すほどの威力はないものの、対単体なら十分物理攻撃の相手に対応しうる殺傷力と速さを持つ。
そして…恐ろしい速さで完成する呪文に対応するすべは、まだ武器が届く間合いに入っていないギルベルトにはない。
さらに悪い事にはウィリアムの魔法が届く間合いには十分はいってしまっているため、ギルベルトの方は攻撃を避ける事もできない。まともに食らう。
それだけを一瞬で見てとったアーサーは眼を大きく見開いた。
死んじゃダメだ、死んじゃダメだ、死んじゃダメだ!!
人が良くて皆に好かれていて皆に必要とされていて皆にとって大切な王子。
そんなギルベルトと、そのギルベルトの善意につけこんでだましている、ただの嫌われものの魔術師一家の妾の子の自分。
どちらがこの世にとって必要かなんて、誰の目にも明らかだ。
魔術師である事がばれるとかそんな事はもう頭から消えていた。
誰よりもよく知っている自分自身限定で、数メートルくらいの短距離なら媒体を持たない状態でもなんとかできるはず…
心が悲鳴をあげるように紡いだ短い詠唱がきちんと発動した事がわかったのは、悲痛な目をしたギルベルトが一瞬うつったから。
胸の痛みなんかこのところずっと感じすぎてて、それが精神的なものなのか物理的な痛みによるものかなんてわからない。
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