俺たちに明日は…ある?──アーサー、外の世界に足を踏み出す


「やばい!身支度に時間をかけすぎたか!」
ボヌフォワ邸に向かう前夜、ほとんど眠れないままアーサーは朝を迎えた。

上にはローマが強引に話を通して、アーサーはとりあえずローマの預かりとして、その実フランシスの所に向かう手はずになっていた。

何もかも順調に行っている。行っているのだが、アーサー自身はいつになく緊張をしてあれでもない、これでもないと身支度に時間をかけるうち、すっかり刻限まで時間がなくなってしまった。

ギルベルトと並ぶどころではない。初日から刻限に遅れるようでは家臣失格である。

「はいっ!」
駿馬の腹を思い切り蹴り上げ、馬を疾走させる。

見慣れたローマの城の横を一目も振らず、一目散にかけぬける。
まにあったか!
息を整える間もなく、アーサーは馬から飛び降りた。

そして手近な男に手綱を渡して周りを見回す。

「アーサーだ。」
と名乗った後、ふと一人のあきらかに他の者とは違うオーラをまとった武将に目を留める。


(これが噂の…)

すらりと引き締まった体躯で身のこなしにいっぺんの隙もない。

顔立ちは人目をひくほどに整っているが、その眼光の鋭さから近寄りがたい印象を与える。

その人物は土農の出身と聞いていたが、王族と言っても不自然に感じない威厳と品位が備わっていた。

なるほど、これが天才軍師をも惹きつける武将なのか。
自分の主になるであろう武将を前にして、アーサーは柄にもなく言葉を失った。

名家で知られる家系の跡取りとして育てられた自分が気後れしている事実に驚くと共に、何故か不思議な満足感を感じながら、アーサーは緊張を押し隠して言葉を搾り出した。


「貴公がフランシス・ボヌフォワか。今日より世話になる」

他人の下につくのは初めてだ。なのに思いのほか屈辱感を感じない。
むしろ神聖な気持ちだった。

(ローマ、確かに世界は広い…お前の言う事に間違いはなかった)

やや離れた城にいるであろうローマに思いをはせ、感慨にひたっているアーサーの横で、なんとも耳障りな声が耳に届いた。

「あのね~。坊ちゃんだれ?
失礼でしょ。オレ!オレがフランシスなんだけど?!
世話になる相手にいきなり馬の世話させる?
ていうか、坊ちゃんホントなんなのよ?
お兄さん、今日は大殿から新しい家臣を遣わして頂くんで、忙しい…」



(え・・・?)

振り返るとさきほど馬の手綱を渡した男が叫んでいる。

チャラチャラと伸ばした髪、精悍さのかけらもないどこか軽薄な雰囲気で、どう見ても武将には見えない。

これが…フランシス・ボヌフォワ?

…ス~っと一気に夢が冷めていく。

そりゃあ必ずしも見かけだけで判断できるわけではない。
しかしこれはないだろうとアーサーは思った。

唖然としつつも思考の邪魔をする声がうるさくて、何やら言っている男のみぞおちに反射的に拳をうちこむ。

「ホントにお前がそうなのか?」

コクリと小首をかしげて表面上は平静を装って聞きながらも、頭の中では混乱した思考がグルグル回っている。
そんなアーサーを救ったのはさきほどの武将だった。


「お前がどう思おうと、とりあえずお前の上司だ。いきなりみぞおちはやめておけ」

怒るわけでもなく、恐れるわけでもなく、ごくごく落ち着いた声でそういって、フランシスが落とした手綱を拾うと、後ろの若い者にそれを渡す。
その落ち着いた態度にアーサーも平静を取り戻した。


それに対しては

「そうだったな、すまなかった。下男のような男にいきなりまくしたてられたのでつい」
と、アーサーなりに素直に詫びをいれる。

それからその武将にもう一人くる予定らしい部下の事を2,3聞かれたが、それについては何もきいていなかったので、アーサーが何も知らない事を告げると、その武将はそうか、と短く答えて、馬を馬屋につないで戻ってきた若者にアーサーを部屋に案内させるように命じた。




「お前は?」
館の中を部屋に向かう途中、アーサーが案内の少年に声をかけた。

つややかな黒い髪に大きな濃い茶色の目。
にこりと微笑む様はどこかホッとする。

「私は菊、本田菊と申します。
預けられた寺がいくさで焼け落ちて行き先がなくなっていたところを、たまたま大殿から救助活動に遣わされていたフランシスさんに拾われて、今はフランシスさんの元で槍を奮ってます」

そう言う若者はまだ少年と言ってもいいくらいの印象を受ける。
元服したてくらいだろうか。
そんな少年が、すでに戦場の第一線で活躍しているのか。

「要は…大将直属の部下ということか?」
「そうとも言いますねぇ」
菊はあっさりと言い放った。

「そうともって…なんでそんな奴が馬番なんてやってるんだ?」
アーサーは驚いていう。

「なんでって…ここではみんな普段はそれぞれ仕事持ってるんですよ。
大殿の所に参内するのはフランシスさんとギルベルトさんくらいですから」
菊は当たり前のようにいった。

「馬の世話も基礎体力はつくし、良い鍛錬になりますよ~。」



(これが…外の世界なのか)

自分がいた世界とはあまりに違う世界。
ローマが見せたがっていた世界とはこういうものなのか…

菊はさらに
「フランシスさんですら暇だと日々厨房に入り浸って料理してたりしますからねぇ。
美味しいんですよ~、フランシスさんのご飯」
と、その味を思い出したかのように幸せそうな顔で、実にありえないような話をしてきた。

でもまあ…さきほどの男を思い出すと、戦場で武器を振るっているよりは、まだ鍋を振っている方が似合う気がする。

「威厳もクソもないな」
笑うアーサーにつられたように菊も笑う。


「まあ、迫力という意味ではそうかもしれませんが皆なんのかんのでフランシスさんが好きですし、人望はある方なんですよ。
ギルベルトさんみたいな優秀な方でも、その下で戦いたいと思うくらいには

「人望なぁ
疑わしげなアーサーの表情に、菊は
「ギルベルトさんは…見るからに優秀な武将って感じですしね」
と、苦笑した。

「あ、ちなみに、アーサーさんが最初にフランシスさんと間違えたのがギルベルトさんです」

(やっぱりそうだったか)

まあ…ギルベルトに関しては最初に持っていたイメージは裏切られなかったわけだ。

しかし肝心の主君があれでは…
ため息をつくアーサーに、菊はにっこり笑って言った。

「大丈夫。長く一緒にいれば絶対にフランシスさんの良さがわかってきますよ。
はい、部屋につきました。
一応一通り生活できるものは揃っていると思いますが、何かありましたら私に言って
下さい。
あと下人とか必要なら、ご要望の通りに手配しますので、それも私にどうぞ」

食事になったら呼びにきますね、それまでごゆっくり、と言い置いて、菊は去っていった。



部屋は自宅に比べたら質素なものだった。

だが心機一転新しい生活を始めるんだと決意していたアーサーには、まったく気にならない。
アーサー自身、自宅から持参したものは、必要最低限の物だけだ。

その中にはローマから与えられた医術や兵法の書なども含まれていた。そのほかは愛用の竹刀、太刀の数々。

家具なども必要最低限しか持ち込まなかったので、広さは充分ある部屋はガランとしていて殺風景な印象すらうける。

それはまさに今の自分のようだとも思う。
あれほど窮屈だったものを色々捨ててきたら、残ったものは意外に少なかった。
これからここで新しい生活続けていけば、この殺風景な空間も埋まっていくのだろうか。



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