アーサーは割合とうっかりしている方で、視覚的な物はしばしば見過ごしたりするのだが、その分鼻は良い方だ。
なのでその匂いからくる不快感に意識を取り戻し、何か湿っぽいシーツの上に寝かされている事に気付いたあたりでハッとする。
一瞬、自分が貧血で倒れたので兄がどこかへ運んでくれたのだろうか…と思うが、身じろぎをすると手が後ろで縛られている事に気づいて、おかしいと思う。
ひどく嫌な予感におそるおそる目を開けば、どうやら自分が寝かされている粗末な薄汚れたベッドの正面にある椅子に行儀悪く足を組んだ状態で座っているニキビ面の男と目があった。
アーサーが意識を取り戻した事に気づくと、どこか蛇を思わせるような得体のしれない男がにやりと笑みを浮かべる。
「…さて…どうすっか…」
と呟いたのはアーサーに聞かせるためなのか、単に独り言なのか…。
少し身を浮かせるようにして、男が椅子を引きずって近づいてくるのに、アーサーはジリジリとベッドの上で後退した。
しかしすぐ壁に突き当たる。
そんなアーサーの反応に、男は笑って言った。
「ま、そう怯えんなよ。
俺は本名は…ま、いっか。ゲーム内ではイヴで通ってる。」
男のその言葉にアーサーは目を見開く。
これが…イヴ??
ゲームは飽くまで招待された12人しか知らないモノなのだから、嘘ではないのだろう。
だが、それにしても、あの可愛い女性のキャラクタの中身が本当にこんな男なのか…。
ゲーム慣れしていないアーサーにとっては意外すぎる事実に、どう反応して良いかわからない。
ただただ目を丸くしているアーサーをおかしそうに見下ろしつつ、イヴは半身起こして背を壁にへばりつかせているアーサーの顎に手をかけ、上を向かせた。
「お前…本当にゲームのキャラのまんまだな。
あのツラだから女かと思ってたんだが…。」
煙草の匂いと汗臭い体臭…その気持ち悪さにアーサーの全身に鳥肌がたつ
何かねっとりとした視線で体中を舐めるように見られて、アーサーは恐怖にすくみあがった。
そう…アーサーはこういう視線をよく知っている…。
考えたくはないが、よく電車などでアーサーの身体を撫でまわして来る痴漢達と同じ視線だ。
「あ…に、兄さんは?」
とにかく会話をして男の気を反らさなければ…というのと、実際に気になっていたと言う事で、こわばる口を叱咤してなんとか言葉を吐きだせば、男は少し固まって、それからいきなりおかしくて仕方がないとばかりに笑いだした。
「お前さ、兄貴が誰だか知ってるか?」
グイっと近づいてきて視線を合わせて言うイヴに、アーサーはさらに壁にへばりつきながらもフルフルと首を横に振る。
それに実におかしそうに笑いながら、イヴは驚くべき事実を告げて来た。
「アゾットだよ。」
「…え……?」
「アゾット。俺の元相棒だ。」
脳内で情報が認識できない。
アゾットって…あのゲーム内のプリーストの?
アントーニョがイヴと共に最近一緒にパーティを組んでいた、あの?
兄があのアゾットだとしたら、自分がゲーム内のアーサーと言う事は当然知っていた?
何故それを言わなかった?
いや、それより何より…“元”相棒?
「…今は…違うのか?」
混乱のあまりかなりはしょった問いかけだったが、イヴには通じたようだ。
ちらりと部屋のドアの方をみやって、また視線をアーサーに戻して続ける。
「俺はな、稼げりゃいい。だから邪魔者をちゃっちゃと殺って、魔王倒して一億もらえりゃ良かったんだ。
そのためには回復役のあいつは役にたつしな。
一方であいつは腹違いの弟、つまりお前を陥れたがってて、本当はお前の仲間3人片付けてお前に罪なすりつける予定だったのが、トーニョがこっち来ちまった。
俺はトーニョに魔王のトドメさされんのまずいし、とりあえずトーニョ殺ろうぜって言ってたんだけど、あいつは別に一億どうでも良いけど取りたいなら取らしてやるから、先にお前をボロボロにしろって話で…。
ま、早い話が俺にお前レイプしろとか言いだしやがった。
まあ殺せっつ~んなら良いんだけどよ、男犯せとかマジ勘弁だって言ったら、そうしねえなら、俺が他の奴ら殺したのばらすってな。
自分は手ぇ下してねえし、俺だけ監獄送りだとか言いやがるから、ついカッとなって、まあ決裂したってわけよ。」
「…決裂……」
「おうよ。てことでだ、俺はあいつの代わりの救急箱を手に入れなきゃなんねえわけだが…」
と、そこでイヴがズイっと身を乗り出してきた。
…ひっ…と、後ろに下がろうにも背が壁にあたってすくみあがるアーサーの腕をイヴは掴んで引き寄せる。
「…そう怯えんなよ。
ま、あいつには野郎なんて相手にできっかよってキレたけどよ…実際こう会ってみれば出来なくはねえっつ~か…お前くれえの顔してっと案外いけるな…」
ぺろりと舌舐めずりをするイヴにアーサーの顔からさーっと血の気が引いた。
色々が衝撃的すぎて頭がついていかない。
気にかけてくれていた、好意を持っていてくれたと思っていた兄が実は自分を嫌悪していた…男に襲わせようとするくらい嫌っていた……
それだけでもうショックで心臓が爆発しそうなのに、さらに目の前のこのイヴを名乗る見知らぬ男は明らかに性的な目で自分を見ているらしい。
もうわけがわからない…怖い…気持ち悪い…悲しい…色々な負の感情がグルグル回る。
「てことでな、男にレイプされた写真なんてばら撒かれるくれえなら、ゲーム内で協力する方がずっと良いよな?」
ビリリっっ!!!とイヴに掴まれた前開きのシャツが破ける音がして、ボタンが吹き飛んだあたりで、緊張が極限に達して意識が飛びかけるが、ボスン!と乱暴にベッドに押しつけられた感触に、即また意識が戻る。
「いやだあぁあああーーー!!!!」
と、慌てて抵抗するが、手は後ろ手に縛られている上、自分より遥かに体格の良い男にのしかかられたら、どうしようもない。
むしろそんなささやかにしてか細い抵抗が、男の嗜虐心と欲情を煽ったようだ。
「マジ、胸ねえのも男っつ~より女のガキ犯してるみてえで、なかなかそそるな…」
と、ギラギラした目でイヴがハーハーと息を荒くする。
「乳首とかたってっし。無理やりされて感じてんのかよっ」
と、恐怖のあまり固く尖った乳首を太い指でぐりぐりと押しつぶされて、吐き気がこみ上げて、アーサーは横を向いて吐きかけた…そのとき…
バリバリッとものすごい音がしてドアが文字通り破られた。
そのままガン!!!と、蝶つがいが取れたドアが横に放り出される。
…トーニョっっ
この世に魔王というモノがいるなら、まさに今ドアがあった場所に立っている男だろう。
そんな世にも恐ろしい形相で殺気を振りまくアントーニョを認識した瞬間、身体の上の男が声もなく吹っ飛んだ。
本当に宙を飛んで、壁に叩きつけられている。
「っ!…アーティっ!!遅うなって堪忍っ。大丈夫、もう大丈夫やで」
ふわりとアントーニョの匂いのする上着に包まれて、まるで現実感のないままアントーニョの腕の中に抱き寄せられる。
そこでようやく色々頭が回り始めた。
兄が…自分を嫌っていた…憎んでいた…殺人犯の男に襲わせようとしていた…。
それまでは状況が刻々と急展開していき、目の前の危機のために落ち着いて認識する事が出来なかった事実が、脳内に刻まれて行く。
結局…自分は望まれてはいない存在だったのだ……
居ない方が良い人間だったのだ……
周りの音も声も頭に入って来ない。
ただそんな事実だけがアーサーの心の内を満たしていった。
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