ダンデライオン_3章_3

「イングランド、おいでや~。」

ひょいひょいと手招きをする少女。
南部ネーデルランド、別名ベルギー。

イングランドがスペインと一緒にいるようになってさらに数百年の月日が流れ、ようやく異教徒を撃退して落ち着いた頃、保護国としてスペインの城に滞在するようになった兄妹の妹の方だ。

人懐っこい性格で、被支配国とは思えないほど明るく、名目上は同じ立場を取っているイングランドともすぐ打ち解けた。

来た時期はあとでも、外見年齢はどうやら彼女の方が上で、17歳くらいな少女と、14歳くらいのイングランドはまるで姉と弟のようで見ていて微笑ましい。

あの壮絶な時代にスペインを生かすため容赦の無い戦略を立ててきたイングランドだったが、初めてくらい出来た女性の家族にはどうにも弱い。

「うち、お兄ちゃんしかおらんかったから、弟欲しかったんや~」
と、言われれば余計に頭が上がらなくなっていく。

それはそれで困ったものではあるが、楽しくもあり、イングランド的には賑やかになった城の中でそれなりに和やかに過ごしていたつもりなのだが、最近少し気になることがある。

それはもちろんスペインの事である。



もともとは弱り切ったスペインをたまたま見つけて助けたのが縁で、乞われてここまで付いてきた事もあって、スペインはいつでもイングランドに優しかったし、愛情を向けてくれていた。

イングランドが本来なら怒らせるような事を言ってもやっても、困った顔をすることはあっても、決して怒りをぶつけたり、不快感を露わにすることなど、今まで全くなかったのだが、最近、ふとした折に、スペインの厳しい視線を感じる。

直接何か言われたわけではないのだが、気配に敏いイングランドにはスペインが不快感を持ってこちらを見ている事をひしひしと感じるのだ。

そしてさらに注意してみると、それはいつもイングランドがベルギーと一緒にいる時に向けられるものだと気づいた。

何故…と言うまでもないだろう。

ベルギーは本当に可愛らしい少女だ。
明るくて優しくて…自分とは全然違う。
男なら誰しも惹かれる要素をふんだんに持っている。


そこでイングランドは今まで感じた事のない不安を初めて感じた。
自分はもしかして邪魔なのだろうか……。

確かに昔、出会った頃のスペインは一人ぼっちだった。
国民には気味悪がられ、旧友であるフランスには疎まれて、心がひどく弱っていた。

だからたまたま手を差し伸べた自分に執着したのだ。

でも今はスペインは一人じゃない。

あの頃と違って大国になって、国民にも好かれて保護国だっていっぱいいる。
自分と違って可愛らしい国はいっぱいある。


あの頃…スペインがまだ不安定でともすれば消えかねないような時代…。
毎回毎回スペインが戦いに赴くたび不安だった。

昔、初めて自分に愛情を与えてくれた大国ですら、ある日ふらっと出て行ったきり、消えてしまったのだ。
吹けば飛ぶような状態だったスペインが消えて戻って来ないなんて事があってもおかしくはない。

だから必死だった。
最初は自分が一緒に付いていこうかと思ったのだが、スペインがそれを頑なに嫌がったために、それでも強行して嫌われたくなくて、別の方法を模索した。

一体自分に何が出来るのだろうか…。
それを探すため、図書室にこもり、あるいはあちこちを回っているのであろう商人達に話を聞いてまわった。

そこで思いついたのが献策という方法だったのだが、弱者が強者を抑えてのし上がるには、とうていキレイ事、正攻法だけではやっていけない。

裏で色々えげつない画策をすることも提言してきた。

それで今日スペインが消えずに生き残っているのだから、あの頃のその選択を後悔はしていない。

ただ、そんなえげつない考えを思いつくような自分の汚さはスペインは熟知しているだろうし、ただただ可愛らしく善良で優しいベルギーのようにはもう好かれる事はない…それが悲しかった。

自分だってきっとスペインの立場なら、自分の横にベルギーのように愛らしい配偶者が欲しくなるだろうし、他の男が…ましてや自分のように心根の汚い人間がその側にいるのを快く思わないだろう…。



物心ついた頃…ローマがちょくちょくイングランドを訪れていた時期はおよそ500年。

――ちょっくら出かけてくらぁ。また来るからな。

大きな手で頭を撫でながらそう言って海の向こうへ帰って行くローマを、もう二度と会えないとは知らずいつものように見送って、じっと一人で帰りを待ち続けて数百年もたって、もう帰っては来ないのだ…と、さすがに察した頃、まるでローマの生まれ変わりのように現れたローマをそのまま若くしたような少年、それがスペインだった。

太陽のような笑顔も褐色の肌も、そして温かい手も、ずいぶんと昔失ってしまった家族のようだった男とよく似ていた。

だから一緒に来てくれと言われるまでもなく、今度は連れて行ってくれと言うつもりだったのだ。

――また来るから…

そんな言葉を残して消えられたまま、来ない相手を待ち続けるのはもう嫌だったのだ。


ところがイングランドから言い出すまでもなく、スペインは一緒に来いと言ってくれた。
嬉しかった。

それからもう数百年もの間一緒に時を過ごした。
ローマといた時代よりずっと長い時を……。


(…でも…もう潮時なのかもな…)


来ない相手を待ち続けるのは嫌だ…自分は確かにあの時そう思った。
でも…じゃあはっきり別れを告げられたかったのかと思うと、それはやっぱり耐えられないと思う。

相手は来たくても来れないのだ…そんな風に微妙に現実をごまかしながら、相手をひっそり思い続けるのがいいかもしれない。

要らない…そうはっきり言われるのはやっぱりつらいし怖いのだ。

――国に帰ろう……

スペインは追っては来ないだろう。
いつもベルギーといる邪魔な自分がいなくなれば、人間達のようにベルギーを妻として迎えるのかもしれない。

でも…それはイングランドが勝手に決めた事でスペインの意思ではないから…迎えに来ないのはどこにいるのかわからないからだ…と、思えなくはない。

そう…相手から拒絶されたのではないのだ…そう思える。


それには自分は国内の一部では有名人だし出て行く所を見られて行き先をスペインに知らてはならない。




(…非常に不本意だけど…しかたねえ……)

イングランドは決意して自室に戻ると、一枚のドレスを手にとった。

それはベルギーがふざけて『色違いのお揃いやで~』と、自分のと同じデザインの色違いで縫って渡してきた淡いグリーンのドレスで……不幸にしてなのか幸いにしてなのか、まだ少年期を抜け切らない華奢な体格のイングランドが着ると、少女と言っても余裕で通る。

ベルギーはご丁寧にもイングランドの髪と同じ色のウィッグまで付けてくれたので、ドレスを着てそれを付ければ、可愛らしい少女の誕生だ。

こうしてイングランドはそ~っと窓から庭へ出て、そこに咲き誇る花々の妖精さんにお願いしてこっそり城外へと脱出した。

人ならぬモノが通る道を通って外に出て振り向いた先にあるのは、二人が最初に暮らした城というにはあまりにも小さく、館…というのが関の山だった小さな城ではなく、荘厳にそびえ立つ大きな城。

城と同じく…もうあの頃とはスペインも変わってしまったのだ…。
自分に一緒にいて欲しいと懇願したあの頃のスペインはもういない……。

ツキンと胸が痛むのには気づかないふりで、イングランドは振り切るように港に向けて走りだした。

元に戻っただけなのだ。

また来るな、と、言葉を残して消えたローマを待ち続けたように、今度はおそらくはもう会うこともないスペインが、一緒にきたって、と、また笑顔で迎えに来るのを待ち続ける日々に……。

イングランドの頬を涙と雨が濡らしていく。
それでも足をとめることなく、イングランドは港へ向けて走り続けた。


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