裏切りの夜
「ソッチに行ったぞっ!!逃がすなっ!!」
バタバタと追手の足音が通りすぎるのを確認すると、アントーニョはフラリと開いた空き家のドアから中に転がり込んだ。
「あ~こんなにお月さん綺麗やのになぁ…」
アントーニョがドアを背にへたり込んで、一室しかない部屋の奥にある窓から見える空に目をむけると綺麗な満月。
こんな最悪な夜の最悪な気分でもまだ綺麗なモノを綺麗と感じる事ができるのか…と、自分の精神の図太さに感心した。
アントーニョは某国の士官だ。
普通は彼のように生まれのよろしくない、もっと言うならば白い肌に薄い色の髪を持たない人種が軍で出世することなどまずない。
しかし幼い頃から握っていた剣の扱いの巧みさで有名になったアントーニョは、軍部で権力を二分している有力者である将軍の目に止まり、取り立てられ、片腕として働き続けて今に至る。
そんな偉大な権力を有する将軍でもやはりアントーニョのような者を表立って使うことには色々差し障りがあるらしい。
偏見をはねのける事が出来ない己を恥じ入りながら、それでも人の目につく場所に出ないという条件の元に士官待遇で働かせてくれていた将軍にアントーニョは感謝していたし、彼を尊敬もしていた。
今日…さきほどまでは……。
つい二時間程前、この国の王が跡取りである第一子と共に殺害された。
そしてアントーニョを取り立てた将軍の甥である王の第二王子が新たに王になることになった。
将軍はもちろん、その周りの人間も大出世だ。
ただ一人…その犯人とされているアントーニョを除いては……。
濡れ衣を着せられた事よりも、最後まで騙されていた事にショックを受けた。
将軍の甥はアントーニョもよく知っていて、幼い頃はよく遊んでやったものだ。
孤児で物心ついた頃から一人だったアントーニョにとっては実の弟のようなものだったと言っても過言ではない。
可愛かった。愛おしかった。
だから別に良かったのだ。
もしあの子がそれで幸せになれるのなら、自分は喜んで捨て駒にでもなんでもなっただろう。
あの子のために殺してくれと頼まれたなら、きっと本当に王と第一王子を殺すことも厭わなかっただろう。
なのに…なぜ言ってくれなかった?
あの子のために犠牲になってくれ…その一言さえ言ってもらえない…信頼されてない…そんな自分が惨めで悲しかった。
こうして何もかも失って、何故自分が逃げ出したのかわからない。
もう捕まって処刑されてもいいんじゃないか…そんな思いが脳裏をよぎる。
「もう…ええやないか……」
フラリと立ち上がった拍子に目にとまった小さなテーブルの上の一冊の本。
なにげなく拍子を開くと、最初のページには短い詩…
まあるい月の出る晩に白銀の蝋燭(ロウソク)黄色の薔薇。
白銀の表紙を開いては、祈りの言葉はただ一つ。
“時の縁を断ち切って白銀の道をつなげたい”
祈りの言葉を捧げたら、二度と戻れぬ本の中。
「時の縁を断ち切ってか…。ハハ、そりゃええわ。
この時間に、もう俺の居場所なんてあらへんし。」
くしゃりと前髪を掴んで泣き笑いを浮かべたアントーニョは、本の横に白銀のロウソクが転がっていて、おあつらえ向きに窓のすぐ側に黄色い薔薇が咲いている事に気づいた。
ほとんど無意識に窓に近づくと、腕を伸ばしてポキリ、ポキリと薔薇を折る。
手は薔薇の棘で傷つき、紅い血に染まったが、それも気にせずアントーニョは薔薇を手折り続けた。
ポタリポタリと流れた血が床に落ちて幾分乾き始めた頃、アントーニョはようやく薔薇を手折るのをやめて、ローソクの周りに薔薇をばらまいた。
ちらりと窓の外にもう一度目をやると、やはり綺麗な満月が浮かぶ。
あの子は…もう眠っただろうか…。
幼い頃はあの子の部屋でこんな綺麗な月を見ながら、子守唄を歌ってやったものだ…。
一瞬そんな昔の優しい記憶に思いを馳せ、すぐ我に返ってアントーニョは苦笑して小さく首を横に振った。
もう全ては過去の事なのだ。
そして血濡れた震える手でロウソクに火を付け、本のページを開き、ゆっくりとその言葉を唱えた。
“時の縁を断ち切って白銀の道をつなげたい”
その言葉と共に現れたまばゆい光が一瞬の後に消えた後には、もう男の姿はなく、ただ血にまみれた大量の黄色い薔薇だけが残されていた。
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