脳内は週末のお呼ばれの事一色で、手土産には会社の贈答用によく使っている美味しいと評判の近くの洋菓子店の焼き菓子を買っておいた。
あとは自宅近くの花屋で当日に持って行くようにと花束を注文してある。
金曜の昼休み、浮かれて洋菓子店から可愛らしくラッピングされた焼き菓子を手に戻ったところを目撃した悪友達に、デートでもするのかと聞かれて正直に答えたら、うわぁ~…と生温かい目で見られたが、なんとでも言えとばかりにスルーしておいた。
そしていよいよ当日。
菓子の小箱を手に自宅を出て花屋で注文していた花を受け取り、いつもアーサーと待ち合わせる彼の自宅の最寄り駅へ。
地図はスマホに送ってもらっているので普通にアーサーの自宅マンションに向かう。
もうそこからは幸せまっしぐらだ。
3時少し前。
マンションについて外にあるチャイムを鳴らしてエントランスのドアを開けてもらって中に入る。
アーサーの部屋は5階建てのマンションの3階の角部屋で、ドアのチャイムを鳴らすと5分ほど早かったせいか、パタパタと軽い足音がして、少し慌てた様子でアーサーがドアを開けてくれた。
そこからがすでにやばい。
エプロン姿がありえないほど可愛い。
まるで新婚家庭で帰宅した夫になった気分で中に足を踏み入れると、これがまたありえないほど可愛らしい部屋。
パッチワークの敷物、レースのコースター、壁にかかってるタペストリも自作ならしい。
それどころかテーブルにかかってた見事なレース編みのテーブルクロスとかも全部自作。
お姫様の部屋のようだと思った。
というか…女子力が高すぎて女子が霞む。
ギルベルトの周りでこれだけ可愛らしい部屋に住んでいる女はいないと断言できる。
ああ、もうハッキリ言ってしまうなら、色々な兄弟姉妹の組み合わせの中で一番女性に夢を見ていると言われる男兄弟の長男であるギルベルトが夢見る理想の女性の部屋だ。
まあその部屋の主は少年で、知っている中で一番親しい女性である幼馴染の部屋など一面のグッズと薄い本で埋まっていたりするのが現実なのだが……
しかしながら癒される空間であるのは確かで、手土産の小さな薔薇の花束を嬉しそうにぎゅっと抱きしめる様子は彼女だったら間違いなく写真に撮って待ちうけにしているくらい愛くるしかったし、ハローウィンの季節だったのでかぼちゃをかたどった焼き菓子に目を輝かせる様も本当に可愛らしかった。
これも可愛らしい花模様のティーセットで淹れてくれた紅茶は絶品だったし、それだけではない。
――これ…良ければ…
と、綺麗にラッピングされた包みを渡されて中を見れば、小鳥さんの刺繍の入った可愛らしいハンカチ。
もちろんその刺繍もアーサー作だ。
もう色々が可愛らしすぎて、嫁に来るか?と言いたくなるような気分になってくる。
しかしまあ、初めて訪ねる部屋で長居は迷惑だろうと、2時間くらいの滞在で引き上げることにした。
そうして帰宅後、まずメール。
これは基本。
今日の礼と楽しかったことと、次は自分の家にも招きたい旨を告げる。
必要な事を読みやすく簡潔にまとめて送信。
これでおそらく10分もすれば返事が返ってくるだろう。
アーサーは自分からメールをしてくる事はあまりないが、こちらから送ればかなりマメに返してくれる子だ。
そう思ってコーヒーを飲みつつ待ってみるが来ない。
何故か来ない。
別に何か不快にさせたとかいう事はないよな…と、滞在中から送ったメールの内容まで思い出してみるが、特に思い当たらない。
一応電話もいれてみるが出ない。
…てことは……何かあったのかっ?!
ガタッと椅子から立ち上がってカップを置くと、ギルベルトは今脱いだばかりの上着を羽織って財布と携帯だけ持って自宅を出た。
そのまま大通りに出てタクシーを捕まえる。
考えすぎなら良いんだが…と思いつつ、一路さきほど訪ねたマンションへ。
チャイムを押したが案の定返事がない。
さすがに何かあったのでは…と、悪いとは思いつつドアノブに手をかけると鍵が開いていた。
これはもう非常事態なのではないか…と、中に入ってみるとキッチン一面に白いモノが飛び散っていて、床に片手鍋持ったアーサーが倒れていた。
もう何があったのかわからないが、とにかく驚いた。
救急車を呼んだ方が良いのか…と思いつつも近づいて行ってアーサーを助け起こしたら、なんだか目が虚ろだがかろうじて意識があったようなので、
「どうしたんだ?!大丈夫かっ?!」と聞いたら、小さな声で「…貧血……」と呟く。
どうやら牛乳を鍋で温めようとしてる途中でたおれてしまったらしい。
よく貧血になるとは聞いていたので、とりあえず鍋を手から取りあげて、まずアーサーをベッドに運んだあと、キッチンを片付け、その後もう一度寝室に戻って様子を見る。
熱などはなさそうなので、本当に単純に貧血を起こしただけのようだ。
そう言えば1人暮らしの不摂生からよく貧血は起こすのだと聞いていたので、今もそうだったのかもしれない。
血の気のない顔を見てそんな事を思いながら、見た目に反して柔らかいぴょんぴょん跳ねた小麦色の髪をソッと撫でた。
すると、確かに眠っているはずなのに、ふにゃりと微笑んで手に擦り寄ってくる。
…なんなんだ…この可愛い生き物はっ!!!
と思わず片手で顔を覆って絶句するギルベルト。
…ギルちゃん…stkr……
脳内で生温かい視線の悪友達が浮かんだが無理矢理追い払い、今後のやるべきことを考える。
まず食事だ。
きちんとした食事と睡眠。
これを摂らせてやらないと何度でも倒れる。
マンションのすぐ隣がコンビニだったので、ギルベルトは大急ぎで野菜など色々を買ってマンションに戻り、とりあえず消化に良いようにと野菜をたっぷり入れたポタージュを作ってアーサーが目覚めるのを待つ。
…ん……
小さな声と共に開いた目。
「…大丈夫か?
一応貧血だって言ってたから寝かせたけど、どっか苦しいなら救急車呼ぶぞ?」
と、額にかかった前髪を少し払ってやりながら言うと、ぽや~っとしていた目がびっくりしたようにギルベルトを見た。
「…ああ、メールも電話も反応なかったから、何かあったのかと思って来ちまった。
勝手にあがって悪かったな」
と言うと、固まった。
…あ…引かれたか……
と、ギルベルトもさすがに思った。
メールの返事が来ないからと言って自宅に押し掛けた挙句、たとえ鍵が開いていたからと言って勝手に入って、あまつさえ勝手に食事までと言うのは自分でもさすがにやりすぎたと思う。
…なん…で……
呆然と目を見開いたまま動く唇…
小さくかすれた声に、引かれたどころか怯えられたかと、ギルベルトは焦って
「ごめんな?
俺様、母親居ねえ家庭で弟育てて来たせいか、どうも心配性でおせっかいでな。
悪友どもにも大概にしておけって注意されるんだけど……
でも強要するつもりはねえし、気をつけるから。
今回だけは消化良いスープ作っといたから嫌いじゃなければ食べてくれ。
それ温めたらちゃんと帰るから…」
そう言って軽く頭を撫でて立ち上がろうとしたら、グイッとシャツの端を掴まれた。
…や…やだっ…行っちゃやだ…っ
いきなりえぐえぐ泣きながらぎゅっと倒れるように抱きついてくる身体を慌てて抱きしめて、今度はギルベルトの方が目を丸くする。
「お、おい?どうしたっ?!
大丈夫、大丈夫だから落ちつけ。
アルトが居て欲しいってんなら、ちゃんとここにいるから。な?」
と、その上で宥めるように背中を撫でてやると、アーサーはそのまま泣いて泣いて…やがて泣き疲れて落ちついてきたのか、すん、すんと鼻をすすりながら、…ごめん…と、おずおずと手を放した。
放したいから…というより、掴んでいるのは悪いと思っているようなその様子に、ギルベルトは敢えてアーサーを抱きしめたまま
「アルトって俺様好みの抱き心地なんだよな。腕ん中にすっぽり入っちまう」
と、ゆっくり頭を撫でてやると、こつんと黄色い小さな頭が肩口に預けられる。
そこで
「体調悪い時って1人は心細いよな」
と、そこでそれが当たり前の事のように言ってやると、それで許容されていると感じたのだろう。
またオズオズとギルベルトのシャツを掴んできた。
病気の時くらい思い切り甘えても構わないのに飽くまで遠慮がちな様子に憐憫の情がわいて来て、しばらく頭を撫でていたが、ハッと気付いた。
食事をさせなければ…
「あ、今日はアルトが嫌じゃなければ俺様ここ泊まるから。
とりあえず飯食っとけ。持ってくる」
と、キッチンへ行ってスープを温め直して持ってきた。
「ゆっくりで良いからな?なるべく食えよ?」
と、それをパンと一緒に差し出してやると、可愛らしいほどゆっくりゆっくり口に運んで行く。
そうしてなんとか全部胃におさめ終わって少し落ちついたのだろう。
すごく恐縮しながら、それでも家族の事、出て行ってしまった従兄弟の事など、ぽつりぽつりと自分の事を話し始めた。
家族は実母は亡くなっていて父は再婚相手の女性と海外在住。
兄達は年が離れていて、こちらもそれぞれ独り身だったり家族を持っていたりはするが、全員海外在住な事。
自分だけ年が離れていたので兄弟の中でどこか距離があって、唯一年齢が近い年下の従兄弟とは仲が良く、従兄弟が高校に通い始めたのを機にルームシェアを始めたが、世話を焼きすぎてうっとおしがられて出て行かれてしまったとのことなど…。
それを全部聞き終わって、正直なんてもったいない…と思った。
仕事から疲れて帰ってきて、あんな可愛らしいエプロン姿で出迎えられたら、自分ならすごく嬉しいと思う。
ギルベルトは割と1人暮らしが長く、必要な家事は当然自分でこなせるが、だから1人で良いかと言うとまた別だ。
たまには彼女がいた時代もあったが基本的には惰性やノリでつきあったりはしない主義なので、自宅に帰ればたいてい1人。
何をしなくても帰宅時に灯りがついていたり、おかえり、ただいまの言葉を普通に交わしていた実家暮らしが懐かしくならないかと言うとそうでもない。
家にいてくれれば誰でも良いわけでは決してないが、かといって誰もいない家が嬉しいかと言うとそういうわけでは断じてないのである。
…うーん…高校生かぁ………
これが社会人ならルームシェアを申し出るところだが、高校生相手だと悪友の言葉ではないが犯罪だ。
とりあえず…しばらくは必要な間はなるべく居てやって、高校卒業したら考えるか……
と、その日はとりあえず何かあっても嫌なので泊まらせてもらう事にして、朝食、昼食までは一緒に摂り、夕食は温めれば良いものだけ作り置いて翌日は会社なので帰宅した。
そして自宅についてメールを入れて…その後シャワーを浴びて寝る前に、それを思いついたのは本当に偶然だった。
アーサーの家に泊まってたまたま固定電話の番号を知ったので、おやすみコールでもかけてみようかと電話をしてみたのだが話し中。
ずいぶん長話だなぁと思いつつ、何度かかけなおし、ようやく繋がったら第一声が涙声での
『いい加減にしろよっ!ばかぁ!!』
……で、正直泣きそうになった。
いや、最近これだけ胸に突き刺さった言葉はなかったのではないだろうか。
確かにしつこかったか…
もしかしてさすがに面倒に思われたか?
そう思ってズキズキ痛む胸を押さえつつ
「悪い…。
ちょっと元気かなとか思ってかけちまったんだけど……」
などと、自分でも言い訳がましいなと思いながらそう言うと、電話の向こうで息を飲む気配。
そしてまた泣き声。
『ご、ごめっ!!!違う!!違うんだっ!!
さっきからいつもかかってくる変態電話かかってきててそれかと思ってっ…
ギル、違うからっ!!!』
号泣しながらのその言葉に、ギルベルトは着たばかりのパジャマを脱いで服に着替えた。
アーサーは高校生なのでさすがに声変わりはしていて、ギルベルトは可愛らしいなとは思うが、それでも女の声ではない。
それでも変態電話とかがかかってくるとしたら、それはもう、アーサーの容姿を知っている奴からなのだろう。
と言う事は…変態に身元がばれていると言う事なのでは?
それでなくても変質者や痴漢に遭いやすいアーサーの事だ。
非常に危険なんじゃないかと思うと居ても経っても居られずに、ギルベルトは夜の通りに出てタクシーを拾った。
そうして再びアーサーのマンションへ向かったのである。
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