パイレーツ!前編_1

ここは随分と温かい。

アーサーは柔らかなまどろみの中、もうすっかり慣れてしまった人肌の心地よさに惹かれて、抱え込まれた褐色の裸体に顔を擦り寄せた。

相手が起きている時は絶対に出来ない…いや、本当は今だってそんな事をすべきではないのだ。

自分は大海の支配者のおもちゃに過ぎない。
相手が飽きたら即この心地良い場所から追い出されて元の場所に戻る事ももう叶わない身の上なのだから、慣れてはいけない。
そう思うと閉じたままの目からツ~と涙がこぼれ落ちた。

いけない…と思う。
相手が起きれば、その瞬間、追放を言い渡される可能性だってあるのだ。


――アントーニョ・フェルナンデス・カリエド――世界中に名を轟かす大海賊である。

彼がこうして寝ている時間だけが、アーサーにとっての完全な猶予期間だ。
それを自ら縮めるなんて愚行をおかしてはならない。
アーサーは嗚咽を堪えて唇を噛み締めた。

毎晩のように抱かれた後、気を失うように眠りに落ちて、目が覚めた朝はやはり毎日のようにこんな埒もない事を繰り返す。
目が覚めてからだいたい1時間…アーサーが泣き止んで落ち着いた頃をまるで見計らっているかのようにアントーニョが目を覚ますのも日常だ。



あの日…アントーニョの海賊団が街を襲った日……。

館に押し入ってきた彼らに怯え逃げ惑う使用人や家族をよそに、アーサーはその先頭に立つ男のエメラルドのような瞳に魅せられた。

両親はすでに亡くなり、自分を疎ましく思うだけの腹違いの兄達に囲まれて鬱々とした人生を、あのエメラルドに射抜かれて終える事ができるなら……。

それは随分と魅力的な考えに思えた。

その手にかかって息絶える使用人達が羨ましかった。
ずるい…と、理不尽な憤りを感じる。
そして気づけば海賊の前に飛び出ていた。


「俺が主だ。使用人達を殺すならまず俺を殺してくれ。」

そう言ったアーサーを前に、笑みさえ浮かべていたその海賊は驚きの表情を浮かべる。
大きく見開かれたエメラルドの瞳に自分が映された事でアーサーの心はひどく満足感に満たされた。

あとは…その大きな褐色の手に握った戦斧で切り捨ててくれればいい……そう思ったのに、その精悍な顔は驚きのあとにまた笑みを浮かべた。
無頼の輩…というにはあまりに美しい…しかし貴族達にはあまりない、男臭さを含んだ笑みだった。


――使用人の命助けたいん?
独特なイントネーションの言葉に、アーサーは迷った。
彼らの命を助けたいかと聞かれると、生きる事を望んでいる人間は死ぬより生きれば良いとは思うものの、じゃあ今自分が言った言葉が使用人達のために出てきたのかと問われれば答えは否だ。

そんな理由から言葉が咄嗟に出ないアーサーにアントーニョは笑ってたたみ掛けた。

「ええで。自分が親分のモンになるって言うなら他のモンは全員助けたってもええ。
その代わり自分はこれから親分のモンやから逃げようとかしたらあかん。
たとえそれが神様の許へやろうとな。」

言われている意味が一瞬わからなかった。
そしてそれを理解した時、今度こそアーサーは驚きのあまり倒れそうになった。
いや、実際その場に崩れ落ちそうになって、こともあろうにその提案をした相手に支えられた。

「ちょ、怪我とかせんといてや。
親分、自分のモンが傷つけられるとか我慢ならんねん。」

無言を了承と判断したらしい。アントーニョはそう言うと、

「みんな、撤収するでっ!!
危害加えてくるもん以外に対しては一切の攻撃行動はやめやっ!
今日はこれで引き上げんでっ!!!」

と、部下に号令を下し、ひょいっとアーサーを抱え上げて、そのまま踵を返した。

「お姫さん、自分の名前は?」

精悍さと甘さの入り混じった顔で見下されて一瞬呼吸が止まるかと思った。
そもそもこうやって抱き上げられている事自体がいまだ現実感がない。
目を見開いたまま硬直しているアーサーに、アントーニョは

「親分は…知っとるかもしれへんけど、アントーニョ・フェルナンデス・カリエド。
この7つの海を統べる大海賊団の親分やで。
お姫さんはこれから親分の城、海賊船エルドラド号にご招待や。」
と、誇らしげに言う。

それが世界的に有名な大海賊、アントーニョ・フェルナンデス・カリエドとの出会いだった。




確かにエルドラド号は本人が誇るように、黒地のあちこちに金色の模様の入ったシックだがどこかきらびやかな船で、海賊船というイメージとはかけ離れた立派な船だ。

そこのとりわけ豪奢な一室…船長の寝室の大の男でも3人は余裕で眠れるだろうというような大きなベッドの上にアーサーは降ろされた。

何をすればいいのか、何をされるのかもわからないまま、ぼーっとしていると、いきなり押し倒されて口付けられる。
驚いて押し返そうとするアーサーの両手をアントーニョは片手で軽々と拘束し、

「親分のモンでいる間は自分の家のある街は襲わんといてやる。
だから…大人しく親分のモンになり?」
と、色を含んだ艶っぽい声でアーサーの耳元で低く囁いた。

なに?なんで?
嫌とかそういう事より、まさか?という気持ちが先に立った。
自分みたいなちんちくりんな男の子どもを相手にしなくても、これだけ美しく力も富もある人間ならいくらでも美女を侍らし放題じゃないのか?
いくら考えても自分が押し倒されている意味がわからない。

もしかしてちょっとした好奇心で男を抱いてみたかったとかそういう理由なのだろうか?
それでどう扱っても良い相手である自分を連れてきた?
どちらにしてもアーサーに拒否権などあるはずもない。
どうして良いかもわからずにただ身を固くしていると、存外に優しい手が愛撫を施して始める。

不思議と嫌悪感はなかった。

初めて他者に触れられるあちこちが何故か気持よくて、一応脅されて連れて来られたのにとか、相手が男であるのにとか、本来思うような事は全て頭からふっとんでしまう。

おそらくこんなに優しく他者に触れられた記憶がなかったせいだろうか…。

未熟で経験のない身体が巧みな愛撫に翻弄されたというのもあるが、それよりなにより、例えその時だけかもしれなくても、愛情を持っているように触れられるのが心地よかったのだ。

しかしそれがアーサーのようにつまらない人間への愛情からくるものであるなどと、自惚れるつもりは毛頭ない。

どうせ一時的なもので、手に入れられたら即飽きられ疎まれるのだ。
と、どうせ飽きられるならと唇を噛み締めて襲い来る歓喜に震えそうになるのに堪えた。

その日はそのまま優しく激しく抱かれたあと意識を失って、気がつけばアントーニョに抱きしめられたまま眠っていた。

こうしてしかし一度抱かれて飽きられるかと思えば、意外な事にアントーニョは飽きなかったらしく、毎晩のようにアーサーを抱いて、そのまま朝まで隣で眠るというのを繰り返している。
まあここがアントーニョ自身の寝室なわけだから、ここで眠るのは当たり前なのかもしれないが…。




「お姫さん、朝早いなぁ。おはようさん。」

寝起きは良いらしく、いつも目を開けた瞬間には意識がしっかりしているらしい。
寝ぼけた様子も見せず、半身起こしてチュッと軽く口づけてベッドから出るのが日常だ。

大きな手で柔らかくアーサーの髪をなでたあと、自らの手で食事を持ってきて共に朝食を摂る。
昼も居る時は同様に摂るし、夜は早かったり遅かったりはするが、やはり一緒に摂る。

そこに他の人間が入る事はない。
というか、アーサーはこの部屋に連れて来られて1ヶ月になるが、他の人間と接した事はなかった。


連れて来られて1ヶ月。
アーサの日常の全ては、バス・トイレ付きのこの寝室と続きのリビング、そして有名な大海賊であるはずの、このアントーニョ・フェルナンデス・カリエドだけだった。




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