狂愛――ラプンツェルの反乱前編_3

自覚の始まりは狂気の始まりを呼ぶ


…ああ、なるほどな。これが殺意言うものか……

物ごころついた頃には銃を握り、ローティーンの頃には依頼を受けて殺し屋をやっていたにも関わらず、カリエドは一般人にはもちろん、標的にさえ殺意と言うモノを感じた事がない。

ゆえに標的を前にしても殺気というものを発する事は無く、それがカリエドの仕事の成功率を格段にあげていたと言っても過言ではない。

不条理な扱いを受けようが、理不尽に罵られようが感じた事のない感情…。
カリエドはそれをたった今、知識ではなく経験で理解した。



幼児を連れ帰った翌日の朝の事である。
カリエドにいきなり殺気を向けられた相手もプロだ。
ギルベルト・バイルシュミット…。
何度かカリエドと組んで仕事をした事のある、やはり手練の男である。

いきなり冷え込んだ空気に、それまでは殺し屋とは思えぬ穏やかさで絵本を手に子どもと戯れていたギルベルトは、ぎょっとしたように子ども、アーサーをかばうように背に隠し、条件反射で上着の下の胸元のホルダーの中の銃に手をかけてカリエドの方を振り向いた。

「ちょ…おまっ……どうしたよっ?!
まさか俺様ターゲットに指定されたりしてねえよなっ?!」

半ば冗談交じりに…だが、半ば真剣にそういうギルベルトに、カリエドはなんとか笑みを浮かべて見せる。
まあ…それは成功したとは言えず、かなり引きつっていたのだが……。

「ん~、コーディネーターからはなんも依頼は来てへんで?」
「んじゃ、なんでそんな殺気びしばし撒き散らしてんだよっ?!
つか、俺様お前とは長いけど、お前が殺気だったのなんて初めて見たんだけど?」
「おん。親分もたった今、理屈じゃなくて感情的に殺意言うもん理解したわ。」
「なんでぇぇ~~?!!俺様なんかしたかっ?!!」
と叫ぶギルベルトの主張はもっともである。

彼は、感情の赴くままアーサーを連れ帰ったはいいが、当然幼児など育てるどころか近づいた事もないカリエドが、とりあえず何をしたらいいかわからず助けを求めたために、わざわざ幼児の生活に必要なモノ、あったら良さそうなものを携えて訪ねてきたのだ。
感謝されこそすれ、殺意を向けられる謂れはない。

理由も聞かず色々取り揃えてやってきて、どうやら起きぬけの幼児に食べやすい食事を作って持参した子ども用の食器で食べさせてやり、これも子ども用の小さな歯ブラシで歯を磨かせて着替えをさせたあと、本まで読んでやっていたのだ。
対幼児ヘルプとしては完璧ではないか。

生来カリエドほどではないにしても人間関係に希薄な輩の多いこの殺し屋の世界で、ギルベルトは幼い弟を守り養うために殺し屋稼業に手を染めたという変わり種だ。
標的相手にはもちろん感情を律してはいるが、基本情に厚いし、面倒見も良い。

そんなギルベルトの内面をいち早く察したのか、幼児、アーサーは、すぐギルベルトに懐いたようだった。

その様子にドクン…と、心臓が嫌な音をたてたのだ。

今朝まで…いや、ギルベルトが来るまでは、幼児の澄んだまんまるの瞳はカリエドだけを映し、その信頼は一途なまでにカリエドだけに向けられていたはずだった。
それが他に向けられている…その事が心臓が握りつぶされでもしているような不安感、嫌悪感を及ぼしている。

「ギルちゃん、とりあえず色々自分でも調べてみるわ。おおきに。」

と、ギルベルトの手から半ば強引に絵本を取り上げて、カリエドがその背を押して追い出すようにギルベルトを戸口へとうながすと、事情はよくはわからないが、とりあえずは相手は自分の庇護者ではなく、カリエドの庇護者であるという意識はきちんと持っている賢明なギルベルトは、

「おう、じゃ、何かあったら言えよ?」
と、大人しく追い出された。



こうして銀髪の友人が出ていくと同時にガチャリとドアの鍵を閉め、リビングへ戻ろうと振り向くと、足元に何かがいてぶつかりそうになり、カリエドは慌てて足を止めて視線を下に向ける。

「…とーにょ…あそぶ。」
と、見あげてくる、くるんと綺麗なカーブを描いた光色の睫毛に縁取られた淡いグリーンの瞳の中に、苛々もやもやが少し吸い込まれて行った。

「…親分と…遊びたいん?」
と突っ立ったまま聞くカリエドに、幼児はこっくんと大きくうなづく。
「そか。ほな遊んだろか。」
と、内心自分の方が幼児のように感情のコントロールが出来ずにいた事などおくびにも出さずに、カリエドはアーサーを抱き上げ、甘い匂いのする頬に口づけると、幼児はくすぐったがってきゃらきゃら笑う。

ああ…愛しい…
カリエドはその時初めてはっきりと自覚した。
それが狂気に満ちた未来を招くことを予想だにせずに…。





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