Seal-封印・番外_4

花嫁の誤解


――あかんわぁ…やっぱりホテル取らせよか……

ああ…やはりダメなのか…と、イギリスは絶望した。
500年前の中性的な頃ならとにかく、さすがに可愛いとかそういう言葉とは無縁になった今じゃもう無理なのだ。

これ以上の言葉を聞きたくない。
その一心だった。

とにかく離れようと飛び起きた瞬間、クラリと目眩がしたが構わず足に力を込めて立ち上がってはかろうとした逃走は、

「何やっとるん?!寝ときっ!!」
と、こちらも素早い動きで捕まえるスペインの手によって阻まれたのだった。




ゆらりゆらりと身体が揺れる。
この感覚には覚えがある。

はるか昔…まだ小国だった頃。
よく体調を崩して倒れるたび、または暖かい日差しに包まれてまどろむのが心地よくてそのまま眠ってしまった時、優しい腕がベッドまで抱きかかえて運んでくれた、そんな時の感触だった。

目を開けなくてもわかる太陽の香り…スペインの匂いだ。

500年前と違って自分ももう成人だから重くて悪いな、と、思いつつも、随分と離れていたこの優しい感触が消えてしまうのが惜しくて目を開けられない。

――イングラテラ…かわええ俺の花嫁さん…

独特のイントネーションで紡がれる優しい言葉にまるで羽に撫でられるような柔らかい一瞬の口付け。

迫害と戦乱に明け暮れたイギリスの一生の中で数少ない暖かい手に慈しまれていた頃の記憶…。

その優しい想い出に浸りたくてそのまま眠ったふりをしていると、ふんわりとお日様の匂いのするシーツの上に降ろされて、マフラーや帽子などが取り払われる。
次いでカーディガンが脱がされ、シャツのボタンに手がかかった時にピタっと手が止まった。

が、不思議に思ったのも一瞬で、プツリプツリと上から二つ外される。
そこでまた止まる手。

そして今度はいきなり側から太陽の気配がなくなった。
薄めを開けてみると、どうやら部屋から出て行ったらしい。
どうしたんだろう?と思うが、すぐ戻ってくるかも…と、寝たふりを続行。

が、すぐ戻ってくると思っていたスペインが戻ってきたのは数十分を経過した頃だった。

そして…側に立ち尽くしたまま言った言葉が、前述の

――あかんわぁ…やっぱりホテル取らせよか……

だったわけで……

これは…ボタン二つ外したあたりで、もう少年だった頃の昔と違って成人して可愛さなど皆無になった自分に対して葛藤した挙句の言葉なのだろうと、納得してしまったわけだった。

ここで泣くのはあまりにみっともない…と思いながらも、逃走も阻止されて暴れてるうちにこらえていた涙が溢れだし、挙句に泣きすぎて子どものようにむせて咳まで止まらない。

ああ…最悪だ……思い出さなければ良かった…と、イギリスは急に戻ってしまった記憶を恨んだのだった。




このままだとおそらく今も体調を崩しているのであろう大切な花嫁に休息を取らせてやるどころか襲ってしまう…そう考えてホテルを取ろうかとつぶやいた瞬間、いきなり飛び起きたイギリスは、いきなりグラリと前に倒れ掛かって、しかしすぐにベッドを飛び出そうとする。

「何やっとるん?!寝ときっ!!」

真っ青な顔、震える身体…やがて苦しそうに咳き込み始めたのに、スペインは自分も青くなった。

――やだ…やだぁっ…

抱え込む腕の力を緩めたら、弱っている身体で飛び出して行きそうなので、小さな抵抗を封じ込めるように抱きしめていると、顔を押し付けた胸元から、咳の合間に涙声が聞こえる。

まだ寝ぼけてるのだろうか…。
ここ数年のすました英国ではなく、まるであの頃のイングランドのように何かに怯えたように震え、悲しげに泣く様子に、スペインの胸中は憐憫と愛情でいっぱいになる。

「大丈夫…大丈夫やで?親分がちゃんと守っといたるから。
誰にもイングラテラが嫌な事なんてさせへんよ?」

可愛くて愛おしくて…なんとか慰めて安心させてやりたい。
そんな思いを込めてひどく咳き込む背をさすってやりながら、ソっとまたベッドに横たわらせる。

「しんどいか?医者呼ぶか?」
片手でイギリスの手をしっかり握って、もう片方の手で背中を擦り続けると、イングランドは涙でいっぱいの目でスペインを見上げた。

「医者なんか…要らない…。死んだっていい…」
咳の合間に拗ねたように言うその言葉に、500年前のあの時のあの言葉がフラッシュバックした…。

――…死んでもいいから…ここに…お前のところにいたい…

あの時もこの子はそう言った…。
そしてあの時…自分はこの子を死なせないために国に返して……

ズキズキと心臓が痛んだ。
あの選択は正しかったのか…今でもわからない。
でもこの子を死なせるなどという選択肢は今も昔もありえない。ありえないのだ。

「あの時とは違うで?
もしイングラテラが入院せんとならんかったら、親分も付いてったるからな。
もう絶対に一人にはさせへん。」

そう、今ならそれが出来ると思って言ったスペインにイギリスは、嘘つき、と、小さくつぶやいた。

「なん?嘘やないでっ?!ほんまどんな事しても休み取ってずっとついとるよ?」

「嘘だ…。だってもう俺の事そういう意味では好きじゃないんだろっ?
一緒にいたくないんだろっ?!」

信じられない言葉がイギリスの口から出て、スペインは唖然とした。

出会って以来、スペイン自身はイングランドと離れたいと思った事など一瞬足りともない。
いつだって側において抱え込んで…そう、ただ一緒に居られるだけで幸せだった。
失うことなど考えられなかった。
自分との結婚など知らないと言われ続けた500年の間ですら、だ。

そう訴えると、イギリスは、だって…とジワリとまた目に涙を浮かべた。

――さっき…ホテル取らせるって言った…。昔と違って可愛さなんて欠片もなくなったから…嫌になったんだろ…

それだけ言ってフトンをかぶるイギリスに、正直、アホかい…と思った。

いや、誤解されるような発言をしたのは自分だが、どこが可愛さがなくなったって?
少し成長して可愛さに色気まで出てきて、色々大変だと言うのに……。

「…自分……ほんま自覚ないんやなぁ……」
もうがっくりと肩を落として言うスペイン。

「ぜんっぜん、わかっとらんわ。可愛さのうなってたら親分こんなに悩まへんわ。」

本当に…鈍いところも変わってない。
そういうところも可愛いと思うのは惚れた弱みなのだろうが……。


「もう成人した男に可愛さなんてあるわけないだろ…」

フトンの中から目元だけだして言うイギリスに、それ言うなら、そういうのやめぃ、と、思う。

この可愛さで23歳とかありえへんわっ!
ほんま自分は世界一かわええ23歳かっ!!
23歳って年齢なめとるんちゃう?!
世界中のちゃんと成人した23歳に謝りっ!!
もう頭の中で色々がくるくる回る。

「あのな…親分が車取りにいったほんの10分にも満たん間に男にナンパされてた子の言う事やないで?」

スペインが言うのに、イギリスは
「ナンパ?なんのことだ?」
と、きょとんと目を丸くする。

「なんのことやないわ。もしかして半分意識飛んどったん?
昼間に若い男に腕掴まれて連れてかれそうになっとったやん。」

「あ、あれはそんなんじゃないぞっ。
俺が気分悪いのかと思って、送ってくれるって……」

「あほかいっ!!そんなん嘘に決まっとるやんっ!
車乗ったらホテルに直行されとるでっ?!
なんで自分そんな危機意識薄いねんっ!!」

「可愛いレディならとにかく、俺みたいに成人すぎた男をホテルに連れ込んでどうすんだよっ!!」

「襲うに決まっとるやんっ!!」

「そんな気になるわけないだろっ!!」

「なるわっ!!そんなおっきなお目目のかわええ顔しとって、そんな真っ白な肌の細い体して、親分パジャマ着替えさせる事も途中で挫折してトイレ駆け込んでもうたわっ!!」

「へ??」

丸い目がさらにまんまるくなる。

「ほんま自分なんもわかってへんっ!!
初めて会うた時から親分がどんだけ自分大事やったかっ。
どんだけ惚れてて、失くすのがどんだけ怖かったかっ。
熱出して寝こむの見るたび、何度代わってやりたい思うたかわかっとらんっ。
自分死なせたらどないしよって幾晩も眠れんで悩んで悩んで悩んで、身を切られるような思いで自分の身体が治るまでと思うて自分のこと国に帰す決意したんも…。
忘れられても500年以上諦めきれへんで、友人としての関係を新しく作ってもうたら、結婚の事なかったていう言い分受け入れたみたいで嫌で、フランスが自分と仲良うしとるん嫉妬で気が狂いそうな思いで見てたんもっ!!
500年、親分の恋人は記憶の中の花嫁と自分自身の右手だけやでっ?!
それなのに、そこまでかわええ最愛の奥さん相手に欲情せんわけないやろがっ!!
そこまで枯れてへんわっ!!
自分の体調ようないみたいやのに、このままやったら抱き潰して腹上死ならぬ腹下死させてまう自信あるから、それせんためにホテルなんやっわかったかっ!!」

スペインは一気に言い切った。
なかなか恥ずかしいことも言っている自覚はあるが、もうこの限りなく自己評価の低い鈍感な愛妻にはここまで言わないとわかってもらえない。

「500年前も言うたけど……死なせたないねん……。
自分ホンマに失くしたら親分気が狂ってまう…。」

一気に言われたことを脳内で噛み砕いていた愛妻は、理解した瞬間、ぼわっと顔を真赤に染めた。

そして小さく小さく…

――そのくらいじゃ死なないと思うけど……

と、爆弾を落とす。

その次にちゃんと言うつもりだった――心配される程度には気持ちが残っているのは嬉しくないわけじゃない…という言葉は、その瞬間理性のキレて覆いかぶさってきたスペインの唇に飲み込まれた。

鈍感や不用意による行動や発言は我が身を滅ぼす事もある…幸せな不幸に見舞われた花嫁は、のちにそれを悟るのであった。



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