ファントム殺人事件 第三幕_2

クリスティーヌはファントムの狂気を目撃す


むせ返るような花の匂い…
どこからともなく音楽が聞こえる…。

偏頭痛のような頭の痛みに少し顔をしかめながら、うっすら目を開けると、一面の黄色い花…。

どうやら金雀枝の花がばらまかれていて、それが地面を黄色く染めているようだ。

手足はしばられているらしく動かない。
唯一動かせる頭を動かして見回すと遊具の数々。
どうやらここは公園らしい。

どこかでアントーニョの声が聞こえる。
携帯電話がそう遠くない場所に転がっているのだろう。
アーサーは自由にならない身体で声の方へとはっていった。

そして黄色い花に埋もれた携帯をみつける。

そこに一つだけ付いているトマトのストラップはアントーニョがゲーセンで取って半ば強引につけられたもので、外してなければおそらくアントーニョの携帯にも同じモノが付いているはずだ。
その赤く丸いトマトを見ていると幸せだった記憶が蘇って、自然と涙が頬を伝った。

スン、と、小さく鼻をすすると、それまで狂ったように自分の名を呼び続けていたアントーニョはそれに気づいたようだ。

『あーちゃんっ!あーちゃん、大丈夫かっ?!!!無事なんかっ?!!』
まるで大事なモノを心配するような必死な声音…。

『あーちゃんっ!!!返事したってっ!!!お願いやっ!!!!』

ああ…大事じゃないわけじゃないな…例え身代わりだったとしても情は残っているだろう…。
一番…唯一でなくなっただけだ…。

半ば投げやり気味にそんな事を考えて、アーサーはコトンと花びらの上に頭を下ろした。

思えば随分贅沢になったものだ…。
アントーニョと出会う前のアーサーは、普通に接してくれる友人と言えば故早川和樹しかなく - それも内心自分を嫌っていて陥れようとしていたと彼が亡くなった後に知ったわけだが - 休日ともなれば誰とも話さず一日を終えることなど珍しくはないくらいだった。

それに比べれば今は例え恋人というくくりじゃなくなってもアントーニョも友人としてくらいは接してくれるだろうし、もしロヴィーノが嫌がるということでアントーニョが離れていっても、少なくともギルベルトやフランは友人関係を続けてくれるだろう。

それに帰宅後どうしても寂しかったら、香達を呼べば即駆けつけてくれるはずだ。

昔を思えば本当に交友関係には恵まれているはずなのに、アントーニョ一人いないだけで以前より寂しい。
ぽっかり開いた心の穴はズキズキと痛んで血の涙を流し続ける。

いったい自分の身に何が起こっているのだとか、そんなこともどうでもいいくらい、すべてが色あせて絶望的に思えた。

そんな風にぼ~っとしていると、何故かハラハラと上から黄色い塊が振って来た。
金雀枝の花びらのようだ。

そこでアーサーが上を向くと、丁度目の前の滑り台の上に黒いマントに白い仮面の男が立っているのが見える。
暗い闇に浮かび上がるその表情が読めない不気味な仮面の方も、地面に転がっているアーサーを見下ろしていた。

- ファントム…悲しく哀れな恋に生きる怪人 -

それは昔読んだオペラ座の怪人の挿絵のファントムそのものだ。
そしてそのファントムの腕の中には自分と同じ年頃の女の子が抱かれている。
首には縄。
そしてその縄の片方はスペリ台の側面の手すりにくくりつけられていた。

そこでようやく思考を覆っていた靄が晴れた。

(まさか…だよな?)
ひやりと冷たい汗がアーサーの額を伝う。

そんなアーサーの前でファントムはゆっくりと歩を進め…

(…まさか…まさか…!!)

「やめろ…やめろぉぉ!!!!」
アーサーが叫ぶのとほぼ同時だった。

ザン!!!
ファントムの腕から投げ出された少女は、声もなく滑り台の手すりから釣り下がった。

「うわあぁあぁぁ!!!!」
まるで現実感のない…しかし紛れもない現実に思わずアーサーは悲鳴をあげた。

『あーちゃんっっ?!!!何があったんっ?!!!大丈夫かっ?!!!返事したってっっ!!!!!』

アントーニョの切羽詰まったような声もまるで遠くの出来事のように現実感がない。

これは…夢……なのか?
呆然と目を見開くアーサーの前にゆっくりとファントムが降りてくる。
黄色い花びらを踏みしめて足音もなく近づいてきたファントムは、ソッとアーサーの前に跪いた。

表情の読めない仮面の中からファントムがアーサーを見下ろした。

「…ファントム……俺も殺すのか?」

自分以外の少女が殺された時にはひどく早くなった鼓動も、自分の時には驚くほど平静だ。

死に対する恐怖はなかった。
それよりも安堵の気持ちが全身を包み込んでいる。

今ならまだ間に合う…
つらい現実に向き合わずに幸せだった思い出だけを胸に人生の幕を閉じられる…。
今幕を閉じられたなら、まだハッピーエンドだ……。

『あーちゃんっ、あかんっっ!!!!親分行くからっ!!!すぐ助けに行ったるからっ!!!諦めたらあかんっ!!!諦めんといてっっ!!!!!』

すぐ側の携帯から聞こえるアントーニョの悲痛な叫びが、心地良い鎮魂曲に聞こえる。

伸びてくる白い手袋をした指先……
このまま死ねるなら…ああ、本当に幸せかもしれない…。

アーサーは穏やかな気分で微笑んで、静かにその目を閉じた。



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