とある居候の話
「イヴァンさん、お話はなんだったんですか?」
手首のところまである家事用のエプロン…いわゆる割烹着を着て頭には三角布。
どこの家政婦かと勘違いされそうだが、トーリスは軍のエリート医師の助手である。
無医村から医術を教わるためになけなしの財産を手に都会へ出てきたのだが、都会の小悪党にあっさり全てを騙し取られて凍死しかけていた所をイヴァンに拾われた。
「拾ったからには僕のものだよね」
とにこやかに言われて、それからなし崩し的に家事やら留守番やら雑用を一手にやらされている。
それでもイヴァンは自分の留守中に資料の文献や本などが置いてある書斎に鍵をかけるような事はしなかったし、トーリスがそれで独学で医術を学ぶ事を禁じはしなかった。
そのうち時には雑用係兼助手として手術に立ち会わせたりもしだしたし、あのまま学ぶ資料も機会もない無医村にいた頃を考えれば、十分目的は果たせている。
もとより“子ども”という年をはるか過ぎてしまった金銭的な余裕もないトーリスにしてみればどうせ医療を教わる学校に入ることもできないのだ。
これはかなり運が良い方だと自分では日々思っていた。
そんなわけで軍の上層部の人間に呼び出されたイヴァンが帰ってくるまでいつものように掃除に勤しんでいたのだが、戻ってくるなり実験室兼書斎にこもるイヴァンにお茶を片手に声をかけてみた。
どうぞ、と、マグカップを差し出すと、イヴァンは礼と共にそれを受け取って、トーリスを振り返ってにこやかに言った。
「ねえトーリス、カーペンター大佐ってさ、死んだほうがいいよねぇ…」
「え?ええ??」
思わずそれまでカップを載せていたトレイを取り落とすトーリス。
それにも驚くこと無く
「気をつけてよ。カップ僕が持っていたから良かったものの…」
と、なんでもないことのようにイヴァンはいつもの笑みを浮かべながら言う。
「いえ、あのっ…それ…冗談……ですよね?」
イヴァンはそういう冗談をいうタイプではない…が、一応一縷の望みを託していうが、イヴァンは子どものように首をゆっくり横に振ると、コクンと首を少し傾けて言った。
「ううん。本気だよぉ。あの人さ、僕の計画を邪魔しようとしてるんだもん。」
「いやいやいや、だからって…軍の実力者ですよ?いくらイヴァンさんでも…」
「大丈夫だよ♪わからないようにサクっと死んでもらえば♪」
まるで楽しい遊びの計画でも話すかのようにとんでもない殺人計画を話されて、トーリスは青くなった。
さすがに給料は出ないが、生活に必要な物は買わせてもらえて、ただで住み込みで実地で勉強をできる…そう、恵まれた環境である。
この家主のとんでもない性癖がなければ……。
そう言えば最近、カーペンター大佐の身内の難しい手術を請け負う代わりに、一応軍の作戦本部所属の大佐の秘蔵っ子の体内にGPS埋め込んで敵地に送り出すなんて事やってのけたよなぁ…と、トーリスはため息をついた。
昨日の協力者でも今日、利害の不一致を見れば簡単に踏み潰す…それが彼の家主、イヴァンなのだ。
正直道義的にはどうかと思わなくはないのだが、トーリスにとっては大佐は全く知らない人で、そこまで感情移入することもない。
だが、実はいつも自分のためではなく、自分の唯一の友達だと思っている敵軍の医師のためにと動いているイヴァンがその友人と和解もできずに自滅してしまうのは、トーリス的には非常に心が痛い。
出来ればそんな事態を避けたくて一応言ってみる。
「さすがに大佐クラスに手を出すのは危ないんじゃないですか?」
聞いてはもらえないだろうな…と思っていたが、やはり聞いてはもらえない。
「だってさ、せっかく全てが上手くいきかけてるんだよ?
唯一彼が死んでくれれば良い形で事実が造れるのに、助けてあげるなんてサービスする気はないよ?」
そう言ってパサリと投げてよこすのは、一冊の雑誌。
敵軍の広報部が基地内でのみ販売しているはずのそれを何故イヴァンが持っているのかはわからないが、
「失礼しますね」
と、一応許可を得て、トーリスはそれをパラパラとめくってみた。
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