天使を地上に繋ぎ止める方法
今この瞬間にも天に…神の身許に帰ってしまうかもしれない…。
アーサーの心臓には異物が埋め込まれているため身体が拒絶反応を起こして死んでしまう確率が非常に高く、しかしアーサーの衰弱しきった身体ではそれを嫡出する手術には耐えられない……そんなジレンマ。
いっそ気が狂ってしまえれば楽だが、どんなに辛かろうとアーサーを守るためには正気を失うわけにはいかない。
身を消したアーサーをなんとか連れ戻し、衰弱しきった身体をとりあえず回復させるために治療を続ける。
白く…悲しいほど細い腕には点滴の管、その他体中に薬品やらなんやらの管が取り付けられ、酸素マスクの下で弱い呼吸を繰り返しているアーサーを目の前にして、アントーニョは泣き喚きたい気分にかられた。
自分が大事にしているものは皆自分を置いて行ってしまう…。
取り残される……つらい……いやだっ。
(もし…もしアーティー助けてくれはるなら、俺はもう何があっても薬とか飲まへんからっ。どんな身体つらなっても飲まへんから、願い聞いたって)
戦災孤児のアントーニョを拾って育ててくれた教会の神父さんからもらった十字架。
ローマに拾われて軍人になって稼ぐまで、唯一の財産だったそれをしっかり握りしめて、アントーニョは一心に神に祈った。
神が本当にいるなら自分はこんな薄汚れた町の片隅でほとんど中身など入っていない薄いスープをすすっていたりしない…そう思って、願掛けなどしたことはなかった。
が、可能性が少しでもあるのなら、アーサーが少しでも命を永らえる事ができるなら、どんな小さな可能性にもすがりたかった。
そんな状態で丸一日目を覚ます事なく眠り続けたアーサーがようやく目を覚ました時は、安堵のあまりアントーニョの方が気を失いそうになった。
それをなんとか堪えて
「アーティー…痛ない?辛ない?親分の事わかるか?」
と聞いてみるが、まだぼ~っとしているようで、反応が薄い。
ひどく頼りない目で自分を見上げる天使の愛らしさと痛々しさ。
何故この子は自分がこの子を失って大丈夫だなどと思えるのだろう。
「アーティー、あかん…。これはあかんで?
自分ほんま病気なんやから、こんな無理しとったら死んでまう…。
お願いや…。もうこんな真似二度とせんといて。」
今こうやって命を繋いでいるのは奇跡だ。
もし例の医者がアーサーにGPSをつけたりするような輩じゃなかったとしたら…極々普通の善良な医師がアーサーの手術を担当していたら、確実に今回の事でアーサーは命を落としていた。
それを想像しただけで体中の血が凍りついて、カチカチになった心臓が割れて粉々に壊れそうになるのに…。
乱暴に触れたら折れてしまいそうな細い手をおそるおそる取ると、自らの額に押し当てて、まだ血の通っている温かさがある事を実感する。
しかし次の瞬間…
握った手に不自然に力が入って、慌てて顔をあげると苦しそうに眉を寄せるアーサー。
周りの機械がピーピー緊急事態を告げる。
「アーティーっ!!アーティーっ、どないしたんやっ?!!!」
反射的にナースコールを押すとギルベルトが駆け込んでくる。
「アーティーィッ!!!嫌やっ!!いかんといてっ!!!!」
「トーニョ兄ちゃん、落ち着いてっ!!」
フェリシアーノに引き離されそうになって、アントーニョはそれを突き飛ばした。
「アーティーっ!!アーティーッッ!!!!」
離されたら連れて行かれてしまう…そんな錯覚に陥ってパニックを起こしかけたが、
「黙れっ!!死なせたくなければ、向こうの部屋で大人しくしてろっ!!!」
と、ギルベルトの厳しい声にハッと我に返った。
そうだ…自分は医者じゃない……殺すことはできても救う事などできやしないのだ…。
「堪忍……堪忍な、フェリちゃん……。」
謝罪をして突き飛ばしたフェリシアーノを助け起こすと、フェリシアーノは
「ううん。大丈夫だよ、トーニョ兄ちゃん。
俺も…きっとアーサーも大丈夫だから、居間で待っててくれる?
フランシス兄ちゃんも呼んでおくからさ。」
と慰めるような笑みを浮かべて、アントーニョを居間へとうながした。
「少しは落ち着けば?」
アントーニョが居間に出た時にはすでにフランシスがソファで雑誌を読んでいた。
そして、その後ずっとイライラと居間を往復するアントーニョに呆れたように、フランシスはとうとう雑誌を置いて
「お茶入れてあげるから。」
と、キッチンへと消えて行く。
落ち着けと言われて落ち着けるわけではないが、確かに何かあった時に即動けるように無駄な体力を使うべきではない。
アントーニョは少し落ち着こうと今までフランシスが腰をかけていたソファに座って、フランシスが置いていった雑誌を手にとった。
情報を扱う仕事のフランシスは暇さえあれば各種雑誌を覗いている。
今回はウェディング特集らしい。
綺麗な薔薇のアーチを背に微笑む花嫁が表紙で、ふと初めてアーサーを見かけた日の事を思い出した。
あの日…薔薇の中で綺麗な笑みを浮かべていた…。
思えば、その繊細で儚くて美しい様子に一目で惹かれたのかもしれない。
こんな風に繊細なレースのヴェールをかぶせたら似合うだろうな…と思ったら悲しくなった。
あの日薔薇の中で微笑んでいたあの子は、今無粋な軍事基地の中で華奢な体中に薬品の管をつけられて死にかけている。
天使のようなのは外見だけではない。
その心根もあんなに優しく美しいのに…基地内に後ろ盾がいない…それだけで理不尽に傷つけられ、命を失ってしまうんだろうか…。
「あ~、そのモデルさん、可愛いよね。」
紅茶の乗ったトレイを手に戻ってきたフランシスがにこやかに言うのにイラっときた。
「自分の目、腐っとるんちゃう?アーティーのが可愛えに決まっとるやん。
ばら園の中で笑っとるあの子みたら、他に目なんか行かへんわっ」
といってやると、フランシスは
「そこでなんで天使ちゃんの話になんのよ。お前の頭ン中それしかないの?」
と、呆れたため息と共にティーカップを差し出してくる。
「当たり前やん。
で?なに、この液体?!」
それを受け取って一口飲んで嫌そうに顔をしかめるアントーニョにフランシスはきょとんと
「え?え??紅茶だけど??」
と、一口自分のカップの中身を口に含む。
「うん。紅茶だよ?」
改めてそう言うフランシスに、アントーニョは
「何言うとるん?紅茶ってこんな味ちゃうわ。
アーティーが淹れてくれる紅茶と同じ茶葉使っとるくせに、なんでこんなまずいん?」
と不機嫌に口をとがらせ、フランシスは再び溜息を付く。
料理が壊滅的なアーサーも紅茶を淹れるのだけは天才的に上手だ。
確かにあれほど上手ではないが、これだって十分美味しく淹れられているはずだ。
しかしそう言ったところで不機嫌なアントーニョからさらに不機嫌な言葉が返ってくるのは目に見えているので、その言葉は飲み込んでおく。
フランシスから反応が返って来ないことに気づくと、アントーニョはまた不機嫌に雑誌に目を落とした。
このモデルよりも自分の可愛いアーサーの方が絶対に薔薇もヴェールも似合うと思う。
こんな風に薔薇に囲まれた庭で幸せそうに笑うアーサーが見たい。
この花嫁のように……花嫁の…ように?!
「そうやっ!そうすればええやんっ!!」
いきなりガタっと立ち上がったアントーニョに、うあ!!とフランシスは飛び退いた。
「なんなのよ、今度は急に。」
「身元が必要なんやったら結婚して作ったらええんやんっ!!」
さも良いことを思いついたっ!とばかりに目をキラキラさせるアントーニョに、フランシスは頭がクラクラした。
「え~っと?」
意味がわからず聞き返してみると、よりによってアントーニョに可哀想なオツムの人間を見るような目で見られた。
いや、お兄さんの反応は普通だからねっ!と心の中で言い訳しながらも、黙って言葉を待っていると、アントーニョは
「わからへんて…どんだけ頭悪いねん」
と、さらに止めをさしながら、それでも機嫌よく続けた。
「せやから、アーティーが親分のお嫁さんになれば身元聞かれても親分のお嫁さんて答えられるやんっ!それで全部解決やんっ!」
もう悪友ながらアントーニョの脳内は宇宙だと思う。
こんな可哀想なオツムのやつが軍でも屈指のエリートって、大丈夫なのか?!
そうは思うものの、自分の身の安全のために、やはりため息と共にその言葉は空気を読んで飲み込んでおく。
そもそも…身元=敵軍の関係者ではないのか?という事だから、いくら結婚したからといってその前の身分が消えるわけではないというか…むしろもし相手が敵軍関係者だったとしたら、下手をすればスパイのハニートラップにモロかかったという形になるのでは?
まあ…今回は本当にスパイではなかったようだが…問題になっているのは事実ではなく、噂の問題なわけだから、そういう理屈だよね、やっぱり…と、思ったが、これも命が惜しいので黙っておく。
どちらにしても命がけで進言したところで、もう頭の中に“結婚”という二文字しかなくなっているアントーニョに何を言っても無駄な気がする。
せめて…いきなりの展開にアーサーが驚かないように、こいつはこういう思い込みだけで生きている奴なのだと先に教えておいてやろう…と、フランシスは遠い目をして思う。
その後…アーサーになるべくショックを与えないように状況を柔らかく説明するという大役をギルベルトから任され、フランシスはアントーニョの恨みがましい視線に送られながら、アーサーの部屋へと入っていった。
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