あいつの行動の不思議
人間というのは恐怖よりも不安の方が耐えられないように出来ているのだ…と、アーサーは思う。
敵だとバレたらという不安…。
そう、いっそのこと本当にバレた方が楽なんじゃないだろうかと、ここ最近は思っている。
自分のたてた作戦で得られるはずの勝利をことごとく覆してくれた男…アントーニョは本当に屈指の軍人なのかと思うくらい人のいい男だった。
敵に目を付けられているらしい…
スパイをたくさん送り込んでこられているらしい…
そんなたぐいの話がまことしやかに噂されている中で、最近近づいてきたアーサーの事を怪しいとか思わないのだろうか…。
そもそも最初の暗殺者達の襲撃の時の態度から言っておかしい。
当たり前にアーサーを背にして戦っていたが、後ろからアーサーに撃たれたらとか考えなかったんだろうか…。
先日もアントーニョの弱みを握ろうと、外出中に部屋を漁ってみたのだが、普通にツルツルのフローリングの床に足を滑らせて後ろにあった本棚に思い切り倒れかかったら大量の本が落ちてきて気を失った。
その後ベッドで目を覚ました時、ひどく思いつめた顔でアントーニョがベッド脇の椅子に座っていたので、バレたかと思った。
いつも笑っている男から笑顔が消えると、改めて男が端正だが随分と精悍な…鋭い顔つきにも見える事も知った。
アーサーからは何も言えなかった。
ただただそのひどく真剣な顔を凝視することしか出来なかった。
しかしアントーニョの形の良い唇が開かれてこぼれ出たのは罵倒ではなかった。
大きな安堵のようなため息。
伸ばされてくる大きな温かい手。
それが優しくアーサーの髪を撫でる。
「どこか痛ない?苦しゅうないか?」
少し潤んだエメラルドが覗きこんでくる。
心配したんだ…と、その目が雄弁に物語っている。
「ほんま…堪忍な。肩身の狭い思いさせて堪忍。
でもお願いやから…ホンマにやめたって?
自分まだ病人なんやで?無理に色々しとったら良うならんやん。
アーティーに何かあったら親分どうしたらええのかわからんわ。」
今までにも何度も庇護する動物を拾ってきては大事に大事に可愛がって、寿命で亡くなるとまるで相手が人間のように悲しんで落ち込んでという事を繰り返してきたらしい。
優しい男だ。
おそらく自分も歴代の彼のその庇護者の中に含まれるものと認識されているのだろうか…。
こんな有能な軍人であるはずの男が本当に?
アーサーが敵国の人間である事に気づかずに?
もしかしたら油断させて逆にアーサーの方から情報を引き出そうとしているのでは?と最初の頃こそ少し疑ってはみたのだが、まるで真綿にくるむように自分の事を大事に大事に扱う彼に、だんだんその考えも薄れてきた。
結局身の内に入れた相手には極端に警戒心の薄れる性格なのだろう。
そう納得した。
その時も結局、アーサーが自分が不在中に自分の部屋を漁っていたとは思っても見なかったらしい。
ただ、周りにアントーニョの身分や金が目当てかスパイかもと言われて心を痛めて、少しでも役に立とうと掃除をしようとしたのだと思っているらしい。
なんでそこまで不自然なまでの信じ方をするのだろう。
まるで盲目的なまでに…。
あまりに信じようとする想いの強さを目の当たりにさせられて、それを裏切っていると知った時の顔を想像すると、なんだかひどくつらい。
そのくらいなら…アーサーは久々にキッチンに入って包丁を持ちだした。
ソファに座ってそれをジッとみる。
それは日々アーサーの食事を作るためにそれを使うアントーニョが手入れをしていて、料理用と言ってもとてもよく切れる。
これで急所を刺せば……。
なるべく苦しませず…一息に……
全く戦闘経験もない自分にそれができるんだろうか…。
アーサーは軽く目をつむった。
頭の中で刺す状況をイメージしてみる。
刺された時のアントーニョの目に浮かぶのはきっと驚きと悲しみの色…。
ズキンと痛む胸。
頬を伝う涙。
でも…殺らなければ…!
これ以上情が移る前に…移される前に…殺せなくなる前に…。
アーサーは自分の意志を再確認するようにグッと包丁を握る手に力を込めた。
その瞬間…
「ただいま~。今日な~、訓練早く終わってん。」
がちゃりと開くドア。
(……え?)
お互いがお互いを見て硬直した。
ドアの所で立ちすくむアントーニョと包丁を持ったままソファで呆然とするアーサー。
どうしよう…バレた…どうしよう…
グルグルとそんな言葉がアーサーの脳裏を回る。
「何やっとるんっ!!」
そのままずっと硬直していると体に衝撃が走った。
一瞬のち、ほとんどぶつかるように飛びかかられた事に気づく。
衝撃は体がソファにぶつかったためのものだ。
掴まれた腕から包丁が取り上げられた。
ああ…駄目だ。
このまま殺されるかも…。
一瞬反射的にぎゅっと目をつぶって、その後おそるおそる視線を向けると、その視線を塞ぐように後頭部を抱え込まれてそのまま胸元に押し付けられた。
ひどく早く強く脈打っているアントーニョの心臓の音が聞こえる。
「戻ってきて…良かったわ。…ほんま良かった……」
震える声は独り言のようだ。
「…あの……」
震える手で強く抱きしめられている間にアーサーも少し落ち着いてきて、おそるおそるそう声をかけると、
「堪忍っ!びっくりしてついやってもうたけど、乱暴してもうて…怪我してへん?!」
と、今度は少し力を緩めて確認するように、アーサーの肩や腕に手をやる。
「…別に……怪我とかはないけど……」
まだ少し警戒したままアーサーがそう言うと、アントーニョは
「そっか…良かったわ…」
とまた肩をなでおろした。
それからまたすぐハッしたように今度は
「心臓は?苦しゅうなってない?」
と、顔を覗き込む。
つくづく心配性な男だ。
何故包丁を構えてたかとか、そんな理由も聞かずにまずそれを取り上げた時に怪我をさせてないかを気にするなんて馬鹿げている。
こんなんじゃ自分が刺さなくても殺される日は近いんじゃないだろうか…。
頷いた拍子にホロリと頬に溢れるアーサーの涙を指で拭うと、アントーニョは
「もう二度とこんなことせんとって。
なあ…親分アーティーにもしものことあったらホンマ死ぬから。
生きていかれへん。」
と、またアーサーの頭を抱き寄せて胸に顔を埋めさせた。
「死ぬ前に…お前、怪しい奴内部に引き込んだって言われて捕まるぞ。」
自分を殺そうとしている人間から武器を取り上げる際に何かあったらなどと考えるなんて、こいつは本当に馬鹿な男だ…と思うのに涙は止まらなくて、アーサーはそのままぎゅっとアントーニョの背中に手を回した。
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