何が君の幸せ?
「ローマとは…付き合いは長いのか?」
そういえば何故リヒテンのような身分の高い貴族の娘がこのような場所にきたのか、全く聞いていなかった事にギルベルトは気づいた。
「そうでございますねぇ…ローマ様が初めて御所においでになった頃からですから、4年…になりますかしら。確かお兄様にご挨拶にいらした時ですね、初めてお会いしたのは。」
ローマが…御所で挨拶する相手…まさか??!!
多少の事で動じないギルベルトも、想像してさすがに青くなった。
「御所で大殿が挨拶する”お兄様”って…東宮…とか言わないよな?」
恐る恐る口にする。
しかしリヒテンは
「左様でございます。わたくしとは腹違いではございますが。」
と、あっさり認める。
「そうとすれば…リヒテンは内親王…という事になるが…?」
「一応そういう事にはなりますねぇ」
たいしたことでもないように言うリヒテンに、ギルベルトは息を飲んだ。
「あ、でも今上(今の帝)には男子が7人、女子はわたくしを含めて12人おりますし、わたくしの母は普通の人なので…わたくしは普通の娘です」
いや、父親がすでに普通じゃないだろ…と心の中でつっこむギルベルト。
「今上の娘だと…ギルベルト様はわたくしをお厭いになりますか?」
不意にリヒテンの声のトーンが下がる。
しゅん、と肩を落とした。
「わりぃ!少し驚いただけだ。別にそれでリヒテンを嫌うってことはねえ!」
「良かった。わたくしにはここの他に帰る場所はございませんし…」
ホッとしたような笑みを浮かべてリヒテンは話始めた。
リヒテンの母は身分の低い女性だった。今上にはすでに身分の高い正妻や多くの側室があり、その間に多くの男子女子をもうけている。
それでも今上の娘であるリヒテンは、リヒテンが生まれてまもなく生母が亡くなったため、宮中で暮らしていた。
もちろん生活に関してはなに不自由なく、ただ、多くの親王、内親王がいる中、特に誰にも気にされない、そんな環境で暮らしていた。
リヒテンが11歳になった頃だったか。
宮中に武士とやらが訪ねて来ているらしいと女房達が話しているのを聞いた。
武士という人種がいるのは話には知っていた。
見てみたい…と思ったのは、大人しい見かけと裏腹に意外に好奇心の強いリヒテンのほんの気紛れだった。
半ば物珍しい動物を見る感覚で、おつきの女房の目を盗んで部屋で兄を待つローマという男を庭の木の影からこっそり覗いてみた。
面白い格好をしている…と凝視する。
ところが気づかれていたらしい。まともに目があう。
手招きをされた。
高貴な身分の娘が御簾ごしでもなく、知らない者と対峙するなどとんでもない事なのだが…誰かが自分に興味を持っている。
それが何故か嬉しくて、周りに人がいない事を確認して部屋にすべりこむ。
「差し上げよう」
男が懐から出したのは小指の先ほどの色とりどりの可愛らしい丸っぽい塊。
「なんでございますか?」
と聞くリヒテンに
「口にしてみなさい」
とだけ言う。
リヒテンはそれを一つつまみ、ぽいっと口に入れてみる。
「甘い…」
にこぉっと笑みがこぼれるのをローマは満足げに見守った。
「俺はこれより京に居をかまえるローマと申すもの。
姫君の御名を伺っても差し支えないかな?」
「リヒテンシュタイン。」
何故あっさり教えてしまったのかはわからない。
ともあれ、これがローマとの出会いだった。
その日はメイドが戻ってくる気配を感じてあわててそのまま部屋に戻った。
しかし翌日から折りにつけてローマから何かと珍しい贈り物が届くようになった。
何故リヒテンになのか、周りは最初は疑問を持ったものの、リヒテン自身それほど興味をもたれる立場でもなかったので、田舎の変わり者のきまぐれだろう、とそのうち誰も気にとめなくなった。
リヒテン本人以外は…
次にローマに会ったのは3年後。
ローマは宮中にも普通に出入りできるほどの大大名になっていた。
挨拶にきたというローマと対面する。
メイドを下がらせて二人で話す、それができるほどローマの宮中での影響力は大きくなっていた。
メイドが退出すると、ローマは3年前のようにリヒテンに手招きをした。
リヒテンはためらいもなく御簾から出てローマの前に姿を現す。
「大きくなられたな、リヒテン様」
と言いつつ、懐から3年前と同じ菓子を出し、リヒテンに差し出す。
「ずっと聞きたかったのです、これはなんという物です?」
それを一つつまんで聞くリヒテンに
「おお、言っておりませんでしたな。金平糖と言う菓子です。」
「面白い名前でございますね」
リヒテンは金平糖を口にして、また
「甘い」
と微笑んだ。
「おお、その微笑だ」
それを見てローマは手を打った。
「この3年間その微笑を夢見ておりました。姫宮のその微笑は見る者にやすらぎを与え、幸せにする微笑じゃ」
「そのような事…誰も申しませぬ。誰もわたくしなど必要とは致しませぬゆえ…」
ローマの言葉にさっと顔を赤くしてうつむくリヒテン。
「幸も不幸も感じぬ公家連中にはわからんのでしょうな。私達のように常に生と死のはざまに生きる者にとっては、時にその微笑が己をぎりぎりのところで生の側にとどめる励みになる。」
自分が誰かの励みになる、そんな事を言われたのは初めてだった。
常に誰にも気にされず、ましてや必要とされることなど一生ないものだと思っていた。
「時に姫宮は貴族以外の者は取るに足りないとお厭いか?」
突然のローマの問いにリヒテンは戸惑う。
「正直に言って下さって結構」
と、さらにうながすローマの言葉に少し考え込む。
「外の世界を存じませんし…ただ、少なくともローマ様の事は取るに足らない者と思ってはおりません。貴族の血を引いていてもわたくしが他の者より優れているとも到底思えませんし…」
下を向くリヒテンに、ローマは首を振った。
「いやいや、この世に姫宮に代わる者はおりません。それはこのローマが保証しよう。
実は今回は姫宮に無茶なお願いをしに参ったのです」
「…わたくしに?」
リヒテンが不思議に思って首をかしげると、ローマは大きくうなづいた。
「本当は私の側にいて頂きたいと言いたいところではあるが…実は私はいずれこの日の国を一つにしたいと願っております。
そのために欠かせない人材がおるのだが…これが休む事を知らぬ男でこのままではいづれ、潰れるだろうと思われる。ゆえにぜひこの男の側でこの男を助けてやって頂きたい。
恐れ多くも内親王様にあまりに無理な願いとは思う。
だが、国家統一のためには絶対に欠かせない人物なのだ。このローマ、この通り、伏してお願いする」
ローマは言って、深く頭を下げた。
「それまでは誰にも必要とされた事はございませんでしたし…
そこまで熱心に言っていただけるのが嬉しくて…この身が少しでもお役に立てるなら、と。
さすがに御所では無理なので、右大臣家に身をおいて、それから1年色々学んで参りました」
リヒテンはそう締めくくった。
ローマが自分のために頭を下げた、というのにも驚いたが、それだけの事でそのようなやんごとない身分の文字通りの姫がこんな所でこんな事をしているのにはさらに驚いた。
ギルベルトがそれを口にすると、リヒテンはにっこりとギルベルトを見上げた。
「申しました通りリヒテンは生母の身分が高くございませぬので…宮中ではそれほど重要な身でもございません。お気になさらないで下さいませ」
「大殿に心から感謝したのはこれが初めてだな…。」
もしローマがいなければこんな風にリヒテンの顔を見る事も声を聞く事すらありえなかったのだ。
ギルベルトのつぶやきに、リヒテンは小さく笑った。
「ギルベルト様はローマ様がお好きではありませぬか?」
「好き嫌いじゃなくて…煩わしいというか…勧誘がしつこい」
もうその一言につきる、とギルベルトは言い放つ。
暇さえあれば直参になれ直参になれと何かの一つ覚えのように、それこそアントーニョがいようと平気で言ってくる。
これだけ断り続けているのだから、いい加減あきらめろと思うのだが、もう挨拶代わりのように勧誘の言葉を繰り返すのだ。
「アーサーもだが、リヒテンもよくあんな無茶なオヤジの勧誘で口説かれたな。
それとも女相手だと違うのか…」
ギルベルトの言葉に
「確かにこちらへ伺ったのはローマ様のお誘いではございますが…」
と、リヒテンは口をひらく。
「ギルベルト様やアーサー様、アントーニョさんやカリエド軍の皆さんと一緒にいるのは宮中にいるよりずっと楽しいです。」
リヒテンはにっこりと無邪気な笑みを浮かべた。
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