朝ご飯は大切です
アーサーの朝は貴族にしては早い。
大抵は貴族は夜遊びに興じ、朝は寝ている。
だがアーサーは剣術に長けた家系に生まれ、さらに稽古をかかさないため、一日は早朝の素振りから始まる。
貴族というよりは武士のような生活リズムである。
前日どれだけ就寝が遅かろうと酒を飲んでいようとそれは変わらない。
6時丁度にパチっと目をひらき、そのまますくっと起き上がる。
手水を終え、身支度を整え、稽古用の太刀を手に部屋を出た。
離れの庭に行きかけてふと足を止める。
せっかくだから…誰かと太刀あわせでもするか。
母屋に向かい、庭を覗くが誰もいない。
その足で広間を覗くと…さすがに膳は片付けられているが、酔いつぶれた数人がそのまま転がっている。
さて、どうする、と廊下に出ると、向こうの方からフェリシアーノがパタパタと走ってきた。
忙しそうだ。とても稽古の相手をするどころではないだろう。
そうだ。
「フェリシアーノ!」
声をかけると、初めてアーサーに気づいたようにフェリシアーノは足を止めた。
「おはよう!アーサー。早いねっ」
人懐こい笑顔をアーサーに向ける。
「おはよう。お前も早いな。ところで…トーニョの部屋はどこだ?」
「アントーニョ兄ちゃんの部屋?この廊下をまっすぐ行ってつきあたりを…」
手振りを交えて説明を始める。意外に館内は広いらしい。
場所を把握するとフェリシアーノに礼を言って急ぎ足でアントーニョの部屋に向かう。
「トーニョ~!剣の相手をしろ!」
母屋をつっきりアントーニョのいる離れの庭の垣根を飛び越え、縁側から部屋に入る。
「ア~サァ~…」
布団の中からモソモソと聞きなれた声が死にそうな声音でもれてくる。
「叫ばんといて…頭に響く…」
おそらく昨日アーサーがリヒテンの所へ行った後も飲み続けていたせいだろう。
どうやら二日酔い、というやつらしい。
「あれしきの酒でだらしがないぞ!ホラ!酔い覚ましに剣を交えよう!」
アーサーが引っぺがそうとする布団に必死にすがりつき
「無理やから!絶対に無理。親分大人やからね、お子様と違って無理のきかない歳なんやから!」
とアントーニョは半泣きで言う。
むぅ~っとするアーサー。
「一生寝込んでろ!」
と言い捨てると、きびすを返して、ピョン!と庭に飛び降りた。
「どいつもこいつも…!」
ぶちぶち怒りながら大またで母屋に戻りかけて、アントーニョの離れとはまた少し離れた所にある離れの方へ向かっているらしい小さな後姿に声をかける。
「お~い!リヒテン~」
呼ばれて振り向いたリヒテンは、すっかり打ち解けた様子で花のような笑顔をアーサーに向けた。
「おはようございます。アーサー様」
「おはよう!何をしてるんだ?」
アーサーもすっかり機嫌を直して、リヒテンにかけより、
(今日もリヒテンは可愛いなぁ…)
などと、内心思う。
まさか
(今日もアーサー様は可愛らしいですね)
と、リヒテンの方にも内心思われているとは夢にも思わないわけではあるが…。
そんなアーサーの内心はとにかくとして、リヒテンはアーサーの質問に答えて言う。
「せっかくお台所を用意して頂いた事ですし朝食を作ってみましたので…
召し上がって頂けないかと、ギルベルト様に。アーサー様もご一緒にいかがですか?」
「朝食を?リヒテンが、か?」
貴族の姫が料理をするなど聞いたことが無い。
驚いて聞き返すアーサーにリヒテンはこっくりうなづく。
「武家のお屋敷では時には奥方様でもお台所に立たれる事があると聞いておりましたのでお勉強して参りました。…お口にあうかは自信がないのですけれど…」
少しうつむき加減に両手を重ね合わせて口の前にやる仕草も可愛い。
「ああ、ぜひ!リヒテンが作った物ならきっと旨いだろう!」
「…ありがとうございます。」
と赤くなってうつむく姿もまた可愛い。
そんな会話を続けながら、離れの庭を囲む垣根の前につく。
「お~い!」
と、アントーニョの時のように叫んで飛び越えようとして、ふと思いとどまる。
ギルベルトは庭にいた。
まっすぐに姿勢を正して真剣を振り上げる。
朝の鍛錬の最中らしい。
ヒュン!と剣が風を切る音が静かな朝の庭に響き渡る。
鋭く綺麗な太刀筋だ…と、アーサーは思った。
型通り基本に忠実にまっすぐ、何度も何度も振り下ろされる剣。
天才軍師などと言われ、戦場をかけまわっているのだから、さぞかし奇抜に剣を使うのだろうと思っていたので、意外だった。
「なんだ、来てたのか」
しばらくその場で立ちすくんでいると、二人に気づいてギルベルトの方から声をかけてきた。
縁側においてあったタオルで汗をぬぐいながら近づいてくる。
「鍛錬の邪魔をしたか。すまなかった。」
「いや、そろそろ終えようと思ってたところだ。何か用だったか?」
「あ…あの…」
下を向いて口ごもるリヒテンの代わりにアーサーが答える。
「リヒテンが朝食を用意してくれたらしい。一緒にどうかと思って誘いにきた。」
「そうか。もらおう。」
と答えて、ギルベルトはアーサーの方に視線をやり、握られた木刀に目を留める。
「ふむ…」
と一瞬考え込み、自分も木刀を取りにいった。
「朝飯の後、少し剣をあわせてみるか?」
ギルベルトの言葉に一瞬ポカン、とするアーサー。
「い、良いのか?」
次の瞬間嬉しそうな声をあげる。
その子供のような無邪気な反応にギルベルトも小さく笑う。
「ああ、お前の力も見ておきたいしな。戦に出る時にどう使えるかを知っておきたい」
戦…という言葉に、アーサーの心はさらにわきたつ。
五百の手勢で五千の敵軍を撃破する軍団。
どう使えるか、という事は、ギルベルトは自分をその中に組み込んでくれる心積もりらしい。
このためにわざわざカリエド軍に来たと言っても過言ではない。
知らず知らずのうちに顔から笑みがこぼれてきた。
一方ギルベルトは(初々しいなぁ…)などと、その様子を半ばあきれつつ半ば微笑ましく思う。
だが、戦も良い時ばかりではない。
時に痛い敗北にも出会い、時に痛い死にも出会う。
そして…夢を見すぎて張り切りすぎる若者は、時として死を急ぐ事も多い。
下手に後方においても命令を無視して暴走しかねないし、力量を見極めた上で慎重に配置しなければならない。
新たに兵がはいるたび、その配置には頭を悩ませるのだが、今回のようにまだ若い子供だと特に気が重くなる。
(軍師というのも因果な商売だな…)
ギルベルトは心密かに思うのだった。
そんな事を考えつつ、アーサー達の離れの食膳の間に足を踏み入れる。
膳は昨夜と同様に御簾をあげて桜がよく見えるようにした縁側におかれていたが、日の光の下で見る桜は夜見るものとはまた違った趣がある。
漆塗りの椀の蓋を取ると、良い匂いがただよってきた。
さぞや雅なものがでてくるのだろうと思ったが…中には出汁のよくきいた豆腐の味噌汁。
「ほっとするな。」
一口すすって、思わずつぶやく。
ほんのりと甘い卵焼きも、どこか優しい感じのする一品である。
大根おろしの添えられた焼き魚に、ほうれん草のゴマ和え。
どれもこれも疲れた心と体に染み渡っていくような味だ。
「お口に合いました?」
アーサーと二人、すっかり綺麗に平らげると、食後の茶の入った湯のみを手にリヒテンが小首をかしげる。
「ああ、うまかった~!」
アーサーは満足げに即答。
ギルベルトも
「こんなに旨い朝飯を食ったのは久々だ…。」
と素直な感想を述べる。
「それは…ようございました。」
それぞれに湯のみを渡しながらリヒテンがホワっとした笑みを浮かべた。
ギルベルトは普段は朝食は自室で湯漬けでもかきこむか、広間で男たちの喧騒の中、やはりかきこむように取る。
こんなになごやかに、素朴ながらも手をかけた朝食をとるのは、どのくらいぶりだろう。
いわゆる庶民の家庭の味…というやつか。
「さて、と、腹も満たした事だし、一戦交えよう!」
茶をゆっくり飲む暇もなく、アーサーの元気な声が響く。
やれやれ…ギルベルトは重い腰をあげ、木刀を手に取った。
そして木刀を手に向かい合う二人。
いよいよだ!力のあるところを見せなければ。
アーサーは小さく息を整えて刀を構えた。
「参る。」
勢い込んで打ち込もうとしたところを、いきなりすごい勢いで返された。
「うぉ…」
アーサーはあわてて退いた。そこにまた容赦ない突きがくる。また避けると、避けた先にまた攻撃が…
(な…なんだ、これは!)
さきほど見た鍛錬中のまっすぐな型がウソのような変幻自在な攻撃に反撃に転じる間もない。
実戦の剣術だ、と教えてくれたローマの攻撃など比べ物にならない。
これが最前線の剣術なのか。
幼い頃から剣術家の跡取りとして剣術秘技を会得したはずの自分が避けて避けて避けて…攻撃を受けないようにするのが手一杯な事に愕然とする。
そうしてしばらく防戦一方の手合わせを続けた後、ギルベルトがふいに攻撃の手を止めた。
「ギルベルト?」
乱れた息を整えつつ、アーサーがいぶかしげに声をかけると、ギルベルトは一歩後ろに退いて、静かに刀を構えなおした。
「こちらからの攻撃はしない。そちらから打ち込んでこい。太刀筋がみたい」
ギルベルトの言葉にアーサーはぎゅっと刀を握りなおした。
(今度こそ!)
気を取り直して繰り出した渾身の攻撃が、あっさりと跳ね返される。
再度打ち込むと手首を木刀で叩かれて、アーサーはあっさり刀を取り落とした。
「終了!」
「ギルベルト!まだっ…!」
アーサーの言葉は
「大方はわかった。オレも仕事だ。忙しい」
とギルベルトにさえぎられる。
(見限られたのか…)
そのまま庭を離れ、母屋の方に消えていくギルベルトを見送って、アーサーは力なくその場でがっくり膝をついた。
「トーニョ、そろそろ起きたか?」
ギルベルトはその足でアントーニョの離れに向かった。
「頼むわ~ギルちゃん。もう少し寝かせてぇな。」
「んじゃ、体は寝てても良い。頭だけ起きてろ」
ギルベルトは布団をかぶっているアントーニョの枕元にどかっと座る。
「アーサーな、あれ、次の今河戦で、お前の部隊に組み込む事にしたからな」
勝手に水差しから水をくみ、喉をうるおしつつ言うギルベルトの言葉に
「本気で戦に連れてく気なん?!」
とアントーニョは驚いて布団から顔を出した。
「本気も本気。あれはな、逸材かもしれねえぞ。」
ギルベルトは続ける。
「今手合わせをしてきたんだが…オレの剣をことごとくかわしやがった。」
「ほんまか?!」
「ウソついてもしかたないだろ。こちらも子供相手に思わず向きになって本気で攻撃しかけちまったんだが、それでかすりもしないんだからな。
そのまま太刀筋みるのもきついから、いったん改めて打ち込ませてみたんだが、体格は細いくせに剣が重い。まともに受けたら手がビリビリ痺れたぞ。
何回か受けるつもりだったんだが、その後の仕事に差し支えてもあれなんで、2回で切り上げてきた。
ローマもたいしたのを送りこんできたもんだ。近々本気で日の国制圧に乗り出すつもりかもしれねえな。」
アントーニョは右手をさすりながら言うギルベルトをまじまじと見上げた。
「ギルちゃんにそこまで言わせるなんて…末恐ろしいな。」
アントーニョの言葉にギルベルトはニヤッとアントーニョに目をむける。
「だな。せいぜい上手くつきあって、敵に回すなよ。数年後にはサシの勝負で負けるかもしれねえぞ」
「笑い事やないわ。そりゃあ。」
アントーニョはおもいきり眉をひそめた。
「ところで…」
アントーニョははっと気づいたように身を起こした。
「ん?」
「ギルちゃん、自分思い切り完膚なきまでにやってきたんやんな?」
「ああ、手加減なんぞする余裕なかったからな。手を抜くとこっちがやばかったし。」
「ちゃんとフォロー…いれてきたんやろな?」
「いれてない。」
と、ギルベルトはきっぱり。
「お~い!ギルちゃん!!可哀相に!相手子供やで!まだ!」
布団から飛び出して、ワタワタと飛び出して行こうとするアントーニョの着物の裾をギルベルトはガシっとつかんだ。
「まあ落ち着けよ。大丈夫。ローマがよこしたくらいの奴だ。もうちょっと待て」
「そんなん言うたって…ほんま子供なんやで?まだ」
「お前は子供なめてんぞ。子供の方がタフなんだからな」
ギルベルトはそう言うと、にやりと笑った。
完膚無きまでにたたきのめされて途方に暮れるアーサー。
まだまだ自分が未熟だとわかったのはいいが、どうすれば…と考え込む。
鍛錬してギルベルトに並ぶ武将になって再戦を…とは思うもののギルベルトはこれ以上相手をしてくれそうにない。
稽古をつけてもらえそうな人物と言えば…
そうだ!
アーサーは木刀を掴んでそのままの勢いでアントーニョの離れに足を向ける。
ギルベルトと同等くらいの実力で…寝てる時間があるくらいなら暇なのだろう。
ボコボコにしても起こして稽古をつけさせる!
「トーニョ~!!」
アントーニョの離れの庭にかけこむと、木刀を手に大声で叫んだ。
庭先で元気な叫び声が聞こえると、ギルベルトはクックと笑いをもらした。
「やっぱり来たか。結構立ち直り早いな。」
「ギルちゃん~…自分もしかしてこうなるの見越してフォローいれずに出てきてるん?」
嫌~な顔をするアントーニョに
「それもある。」
とあっさり認めるギルベルト。
「オレは退散しておく。まあ…頑張れ」
言い置いて庭からわからないように廊下に出る。
アーサーはどうも周りの噂のせいだろうか、アントーニョよりも自分に傾倒気味なのは薄々感じていた。
剣技を鍛えてやるのは良いが…それで余計にアントーニョとの距離ができるのは宜しくない。
自分に突き放されたらアントーニョを頼る他ないだろうし、そこで落ち込んで諦めるなら、それまでの人間だ。
まあ…よみ通り立ち直ってきたわけだし、これでめでたしめでたしだ。
と、こんな事を考えながら、ひとまずほっとしてギルベルトはアントーニョの離れを後にした。
Before <<< >>> Next
0 件のコメント :
コメントを投稿