ザ・秘書その2登場…せず
こうしてアントーニョの新しい配下、アーサーは無事カリエドの武家屋敷に到着した。
「で?もう一人は?」
転げたアントーニョを助けおこし、馬を馬屋に連れて行かせたあと、ギルベルトはアーサーに問いかけた。
「さあ?聞いてないが。別に一緒に派遣されたわけではない。」
「そうか。」
ギルベルトは短く答え、手近な者にアーサーを部屋に案内させるように言いつけると、門の前で腕を組んだ。
宮中では全てがなあなあで進んでいくとは聞いている。
たぶん…刻限に関してもそうなのだろう。
アーサーは刻限きっちりにきた。
今にして思えばあの疾走ぶりも刻限に遅れぬようにという気遣いだったのだろう。
身のこなしからすると腕も確かな気がする。
ぶっきらぼうな言葉もまどろっこしい公家言葉を話される事を考えればむしろ好感が持てた。
ようは…アントーニョはどう感じたかわからないが、ギルベルト自身のアーサーの印象はそう悪くはなかった。
しかし、さて、自分の方のはというと…
時間がどんどん流れていく。昼過ぎにつく予定が、すでに夕刻になりつつある。
雅を自称する連中は仕方ない、と思いつつ、さすがに眉をひそめざるを得ない大遅刻である。
というか…本当に来るのだろうか。
城からおそらく徒歩でも30分もかからぬ距離で、何故4時間以上遅れる事ができるのか…謎な人種である。
「仕方ない、これ以上待つのもなんだ、こちらから出向いてくる」
5時を回ったあたりでギルベルトは愛馬にまたがった。
気づかず通りすぎては、と、ゆっくり門を出て城の方にむかう。
城までは他の武家屋敷が立ち並び、城を越えて反対方向には帝が住む御所がある。
そして城と御所の間には公家屋敷が立ち並んでいる。
さらに城を取り囲む武家屋敷をさらに取り囲むように商家や民家が並んでいる。
武家屋敷といえど夕方ともなれば城から戻る者、夕食の買い物等で市まで行きかう下男下女と、人通りも少なくは無い。が…
「ついちまったか…」
雑踏の中をゆったりと馬を歩かせつつ考え事をめぐらせているうちに城の外堀にたどり着く。
そういえば…とふと一人ごちる。
「何でくるかもどういうやつかも聞いてなかったか。」
ここにくるまでに牛車や輿と何度かすれ違った。その中にいた可能性もある。
そんなことにもきづかないほど、ここ一連の騒ぎで疲れきっていたらしい。
「入れ違いで着いてたら、南無さん、だな」
何を言われるかわからねえな…とやはり小声でつぶやき、溜息をつく。
30分ほどで日はすっかり落ち、あたりが暗闇に包まれ始める中、今度はカリエドの武家屋敷を目指し、さきほどより若干早い速度で馬を駆る。
人通りもすでになく、月明かりがかすかに走る自分の影をうつしている。
「何をやってんだかな、オレも。」
ふと橋のたもとで馬を止めて、馬を下りる。
帰りたくない…もういい加減たどり着いているであろう秘書とやらと顔を合わすのが憂鬱だ。
嫌な事を先延ばしにしてどうなるものではないとはわかっているのだが…
冷静沈着にして勇猛果敢、恐れる者なしと言われているギルベルトではあったが、実は苦手なタイプが少なくはない。
けなされようが、いぢられようが、馬鹿にされようが、人が好きなアントーニョとは対照的である。
豪胆で気にしていないようでいて、実は細かい事がきになりすぎる気を遣いすぎる性分なのだ。
ああめんどくせえ…とギルベルトは思う。
気が重い。
馬の手綱をひきつつ、ゆっくりゆっくり館への道をたどる。
シン…と静まりかえる通りは風がことさら冷たく感じる。
(…!?)
木々の影から不意に自然とは異質な気配を感じて、ギルベルトは刀の柄に手をかけた。
愛馬の手綱を手近な木につなぎとめ、刀に手をかけたまま気配の方へゆっくりにじりよる。
ローマが統治を始めて以来、一般市民への乱暴狼藉は厳罰に処されるので京の治安は他とは比べようもないほど良くなった。
それでも夜の闇の中、完全な安全が保たれるというわけではない。
スゥっと足を踏み出した瞬間、川べりの桜の木の陰で気配が動いた。
そして木の影からひょこりと顔を出したのは、なんとも可愛らしい少女。
咲き誇る桜の花の匂いに混じって香る梅花の香。そこそこ身分の高い娘らしい。
「良家の子女が供の者もつけずに出歩く時間じゃねえけど…?」
声をかけるが返事はない。
「自宅まで送るから出てこいよ…」
再度声をかけると出るか出まいか躊躇している様子が見受けられる。
この時間に知らぬ者に声をかけられればある意味躊躇するのもしかたのない事か。
「俺はギルベルト・バイルシュミット。ローマ・カエサルの部下のアントーニョ・ヘルナンデス・カリエドの部下だ。カエサル軍は子女への乱暴狼藉は死罪だからな。安心してでてこい。」
ギルベルトが名乗ったとたん、娘が固まった。
「…ええー?!」
慌てて転げ出てきて、さらに転びかける娘をギルベルトは慌てて支えた。
「どうした?いきなり。」
「申し訳ございません!」
小さな体をさらに小さくして叫ぶ娘を支えつつギルベルトはゆっくり次の反応を待つ。
「わ…わたくし、道…わからなくなって…色々歩いてたら余計にわからなくてなって…」
おろおろしながら、娘は視線をさまよわせ、やがてようやくギルベルトの顔を見上げた。
「わたくしローマ伯父さまから遣わされましたリヒテンシュタイン・ツヴィンクリと申します。リヒもしくはリヒテンとでも及び下さい。」
「へ?」
女なんて聞いてない…と、放心するギルベルトに気付かず話を続けるリヒテンシュタイン。
「…で、全く右も左もわからなくなって途方にくれてしまって、初めてのお屋敷をお訪ねするにはあまりに失礼な時間と思い、日を改めようかと思った時にこうしてギルベルト様にお会いしたのでございますが…ギルベルト様?」
反応のないギルベルトをリヒテンシュタインは不思議そうに見上げる。
「ああ、なんでもない。少し考え事だ。」
その声に我に返り、ギルベルトはあわてて答える。
反応があったのに安心してか、リヒテンシュタインはさらに言葉を続ける。
「ところで…ギルベルト様はこのような時間に何故あのような場所に?何か他に御用がおありだったのではありませんか?」
力の抜ける質問である。
「…を探しに行ってた…」
「…はい?」
「お前があまりに来ないから、お前を探しに行ってたんだ!」
あまりに馬鹿馬鹿しい結末に眉間を押さえて言う。
一瞬の沈黙。
(やばっ…泣かれる!)
どう聞いても責めてるようにしか聞こえないのでは…ギルベルトが焦って目をやると、リヒテンシュタインはぽかん、とした表情で小首をちょこっとかしげた。
「主のギルベルト様自ら探しにきてくださったのございますか?」
ま…まあ結果的にそうはなるが…
「ありがとうございます。嬉しゅうございます。」
パアッっと桜が咲いたような笑顔。
な…なんなんだ、この激しく楽天的にしてストレートな反応は?!
「と…とにかく、そうとわかったら館へ行くぞ!」
リヒテンシュタインから視線をそらして、慌ててそう言う。
顔がかすかに赤い…ように見えるのは気のせい、という事にしておこう。
夜の闇の中、当然気づく者もいない事でもあるし。
ギルベルト・バイルシュミットの受難(?)もまた、今まさに始まろうとしていた…。
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