アーサーはスーツケースを手に母屋を抜けると、指示通り左の道を通って露天方面へと急ぐ。
重いスーツケースを持って走る事10分。電話がなる。
『そのまま露天についたら、外の風よけ小屋にロープが置いてあるからそれを持って真ん中の道を戻れ』
「わかった」
返事をしてまた走る。
その後アーサーは露天について風よけ小屋のロープを取ると、今度は真ん中の道を急いだ。
そして走る事10分。また電話が鳴る。
『吊り橋についたらスーツケースの把手にロープを通して、ゆっくり崖下に降ろして下の川までついたらロープを抜け。その後ロープは処分して構わん。』
「わかった」
崖下の川に流して下流で受け取るという事か…。
その為に水に浮く設計になっているルイヴィトンのスーツケースなんだな、と、アーサーは納得した。
現在11:10分。吊り橋までおそらく急げば5分くらいだ。
作業で5分くらいか…、それで11:20分。
ということは、タイムリミットまで40分ある。
吊り橋から走れば母屋まで5分くらいだ。
余裕で間に合う。
アーサーは走った。
なんのかんの言ってスーツケースは総重量8kgくらいはあるのだろうか…。
それを抱えてもう数十分も足場の悪い道を走り回っている。
護身術を習っていて瞬発力はあっても、日常的に何かやってるわけではないので、さすがにきつい。
むしろこういう役はアントーニョの方が合っているのかもしれないが、自分が指名された以上、こなすしかない。
アーサーはそれでもなんとか吊り橋にたどりついた…はずだった。
「なんだ、これは……」
呆然とへたり込むアーサー。
それもそのはず。
昨日4人一緒に帰った時には確かにあった吊り橋が壊れている。
一瞬放心したが、急いでロープをスーツケースの把手に通して崖から降ろす。
ここまで走って15分かかった…ということは…露天に戻って15分。
そこから別ルートで走れば20分。かかる時間は35分。
10分以内にこの作業を終えれば間に合うはず。
アーサーは急いで…しかし慎重にスーツケースを降ろすと、ロープを引き上げてとりあえず崖の前に置く。
今は少しでも身軽になるため持ってはいけないが、あとで取りに戻れば証拠品になるかもしれない。
作業に予測通り5分かかった。
途中手がすりむけて血がにじんだが、スーツケースがない分少しは早く走れないだろうか…。
とりあえず走り始めて5分。アーサーは異変に気付いた。
進行方向で煙が上がっている。
まさか…
もう少しだけ走って目を凝らすと、遠くの道が燃えているのが伺える。
風下の露天のあたりから付けた火が燃え広がっているっぽい。
今いる場所は風向きが途中で微妙に風上になるのでこちらまでは火はこないと思うが、このままでは露天に戻れない。
すでに吊り橋のガケを出てから14分経過。あと27分…。
そのとき携帯が鳴った。犯人からだ。
『ご苦労だった。今身代金は確かに受け取った。本来は宿についてからという約束だったが、か弱い身でここまで早く指示をこなした健闘をたたえて、女装ひげ男は返してやろう。』
か弱い身で悪かったな…と、ぜーぜー息を切らせながらアーサーは思う。
これがアントーニョだったら…こんな馬鹿にした言い方はされなかったのだろうと思うと悔しい。
アーサーが唇をかみしめていると、犯人はさらに続ける。
『とりあえず…そのままでは戻れないだろうから助けを呼べ。それとも炎に飛び込んでみるか?』
あと…23分…
「まだ20分以上ある…12時に母屋に電話しろ!その時にフロントの電話に出なければそこで初めて失敗って事だっ!」
息があがっていてろくに出ない声でそういうと、
『レディの健闘に敬意を表して一人返すのだから、無理はしないほうがいい。まあ…フロントには一応私から事情を連絡しておこう。』
そこで電話は切れた。
それから5分後、警察の和田から連絡が入るが、アーサーは今現在の位置は安全なため、手出しをしないように念を押す。
(落ち着け…何か手はあるはずだ…)
アーサーは考えを巡らせた。遠目でも火が強い事は見て取れる。
おおよそだが露天まで1km強くらいが燃えている気がする。
火の勢いは強く、燃え尽きるのを待っていたら時間切れだ。
水で消せるレベルでもない。
第一水なんてこの真ん中の道にはない。
右側の道なら小川があったが……
(それだっ!)
アーサーはクルリと反転した。
崖の方へ戻る事2分。
あの日…帰り道にのぼった木までくる。
アーサーは迷わず木をよじのぼった。
さらに一番高い位置から崖の上によじのぼる。
あと…13分。
息が切れる。
携帯がなる。
「はいっ」
走りながら出る。
『カークランドさん…二次被害につながるようでしたら…』
心配する和田の言葉に
「中央の道は脱出したっ!今母屋に向かって走ってるからあとにしてくれっ!」
と、アーサーは言うと、返事を待たずに携帯を切る。
崖をよじ登った時にまた酷使した怪我をしている掌からは血がにじみズキズキ痛むが気にしている余裕はない。
こちらの道からどのくらいかかるのかわからない。
とにかく走る。
あと…6分。母屋が見えて来た。
警察がズラリと勢揃いしている。
その中に見慣れた人影も混じってる。
アントーニョがかけよってくるが、それをアーサーは振り払った。
「自力で…たどりつかないと」
あと3分…ヨロヨロと母屋に辿り着いて、膝をついた。
手が赤くにじんでる。
「医者を呼んだって!」
かけよるアントーニョをアーサーはまた制する。
「まだ…電話でないと…」
ゼーゼー息を吐き出しながら、アーサーは言った。
そして12時…みんなが注目する中、フロントの電話が鳴り響く。
オンフックで出るアーサー。
「自力で…辿り着いたぞ。約束守れよ…」
アーサーは荒い息で言うが、それに対しての犯人の言葉…
『全く…お見事としかいいようがない。申し訳ないが大の男でも達成できないだろうものを君が達成できると思ってなかったので、一人しか返す手段を考えてなかった。もう一人については後日連絡する。』
「ふざけんなっ!今すぐ返せっ!!」
怒鳴るアーサーに犯人は
『警察がウロウロする中人質を返すのはこちらとしてもかなりのリスクを伴う作業だ。察して欲しい。
とりあえず当初の予定通り髭男はもう返した。使用されていない離れでお休み頂いているので確認して欲しい。そろそろ目覚める時間なはずだ。ではのちほど』
と、電話を切る。
その言葉にアントーニョとアーサーの二人は物も言わずに離れにかけだした。
もちろん警察もその後を追う。
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