愛し子
柄にもなく緊張しているのだろうか…。
アントーニョが目を覚ました時、まだ窓の外は真っ暗だった。
さすがに起きるのは早いので布団に入ったままシン…とした室内で耳を澄ませば、小さく咳き込んでいる音が聞こえる。
関わらないほうがいい…と一瞬脳が警告を鳴らすが、
(体調崩して…出発遅れたら大変やからや…)
心のなかでそう言い訳をしつつ、アントーニョは下に降りていった。
「おい、大丈夫か?」
と、暗闇の中、下の段で横たわる小さな影に声をかけると、布団の中の少年は怯えたようにビクっと身をすくめた。
「悪い…起こしたか…。」
という声は弱々しく枯れていて、恐る恐る向けられる目は潤んでいる。
「いや…たまたま目覚めただけなんやけど…」
と、夜目にもわかるほど荒い呼吸を繰り返している少年に手を伸ばすと、少年は跳ね起きて壁まで後ずさった。
「な、なん?!熱あるのか見ようとしただけやで?」
その行動に逆にアントーニョの方が驚きに目を丸くすると、明らかに怯えを含んだ目でアントーニョを凝視していた少年は、
「だ、大丈夫だからっ!熱なんてないからっ!」
とフルフルと首を横に振ったが、その直後、また盛大に咳き込んだ。
「ええから、寝ときっ!」
と、半ば強引にその腕を取って布団に引きずり倒し、その身体に触れてハッとする。
「熱…あるどころやないやんっ。めちゃひどい熱やで?!」
驚くアントーニョの声にまた少年が身をすくめる。
その様子にアントーニョはようやくわかった。
怯えられている…というか、信頼されていない。
弱みを見せると危害を加えられると思っているのだろう。
まあ今の立場を考えれば当たり前だ。
逆だったとしたらアントーニョでも警戒する。
離れていてやった方が休めるのかもしれない…そう思うが、ひどく苦しげにしている様子に心が痛む。放っておけない。
「…自分…薬とか持ってきてへんの?」
と聞いてみると、フルフルと首を横にふる。
反応は返してくれるらしい。
それはさておき、アントーニョも解熱剤など持っていない。
1番近い町までは馬で数時間だが、馬もここまで同行した家臣と共に返してしまった。
これが医療の得意な北の国の人間なら薬草でもなんでも見つけて来れるのだろうが、アントーニョは生憎、怪我に効く薬草くらいしか知らない。
「堪忍な。俺も薬持ってへんし、解熱の薬草の知識とかないねん。」
明らかに自分よりも幼い相手が衰弱している様子を見ているしかできないのは、アントーニョ的には非常に心苦しい。
せめてもと、水筒の水をカップに入れて手渡そうとするが、大きく目を見開いたままショック死をしそうな勢いで怯えられて、挫折した。
自分でカップの中身に少し口をつけて
「この通り、ちゃんと飲める水やからな?水分摂っておき」
と、害のあるモノではないことを示してみせると、それをベッド脇のテーブルに置いて、ベッドの上段へと戻る。
そのままソッと下の様子を伺っていると、細く白い手がテーブルに伸びてきてカップを取り、飲んでる気配がするのでホッとしたのもつかの間、またひどく咳き込む声がして、カップがコロンと床に転がった。
「大丈夫かっ?!」
思わず上段から下へと飛び降りて下段のベッドを覗きこむが、少年は布団に突っ伏して咳き込んだまま反応がない。
「ちょ、息詰まるで?!」
と、それを抱き起こして半ば強引に抱き寄せると、咳き込みながらもか弱い抵抗があるが、
「大丈夫やで?…なんもせえへんから」
と、背中をソッと撫でてやるうち抵抗がやんで、そのかわりにアントーニョの寝間着の胸元をまだ幼さの残る手がぎゅっと縋るようにつかんだ。
「可哀想になぁ…しんどいなぁ…」
咳き込む背中を撫でながら、身体を冷やさないように布団を引き寄せると、小さな肩にかけてやる。
おそらく来る途中に雨に濡れたのが悪かったのだろう。
まだ10歳になるかならないかくらいだろうか…。
まさか一人で来たわけではあるまい。
同行した者は雨を凌ぐ何かをかけてやったりしなかったのだろうか…。
自分も濡れ鼠で小屋に入ってきたこの子どもを放置してベッドに逃げ込んだのだから、他人のことを言えた義理ではないが、従者が同行していたのなら曲がりなりにも自国の王子にこれはない、と、アントーニョは内心憤った。
「…睡眠を妨害してすまない…。もう大丈夫だ…。静かにするから休んでくれ…。」
やっと咳が収まると、寝間着を掴んでいた小さな手が離れていく。
ふらりと離れていく感覚に、アントーニョは思わずその腕を掴んだ。
「…すまない…今はちゃんとした詫びもできないけど…後日ちゃんと…」
「そういう意味やないっ!」
と、こみ上げた怒気をぶつけると、また少し馴染んだような子どもは恐怖に硬直した。
ああ…やってもうた…。
アントーニョはパンっと自分の額を軽く叩く。
せっかく心を許しかけていたのに逆戻りだ。
「堪忍…大声出して堪忍な。」
まず謝罪する。
「単に心配なだけや。信じたってっていうのも難しいやろけど、別に酷いこととかせんから。しんどかったらしんどいって言うてや。」
そう言って少し近づくと、少年は少し後ずさる。
「怯えんといて?」
と、手を伸ばすと目をぎゅっとつぶって身をすくめる少年の頭をソッと撫でた。
ぎゅっと力の入った瞼がゆるゆると開かれて、零れ落ちそうに大きなペリドットが不思議そうにアントーニョを見上げた。
クルンとカーブした長い光色のまつ毛がぱちぱちと上下に揺れる様は子供らしく可愛らしい。
「とりあえず…山の中腹までは二人で助けあわなあかんからな?
しんどかったら助けたるからちゃんと言うんやで?」
なるべく穏やかな口調で話しかけると、大きな丸い目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「え?あ?どないしたん?どっか痛いん?!」
慌てるアントーニョの前でポロポロ泣き続けた子どもは、そのうちまたケホケホ咳き込み始める。
「あかんやん。暖かくして寝とかな。」
と、横たわらせて上から布団をかけてやると、アントーニョは立ち上がって手桶に水を入れてくる。
それに手ぬぐいを浸して絞ると、熱くなった額に乗せて冷やしてやった。
「これ…気持ち…い…」
小さな小さな口から、か細い声が漏れる。
「そうやろ?ヌルなったらまた替えたるからな。ゆっくり休み。」
汗で額に張り付いた髪を払ってやって、そのままふわふわした髪をなでてやると、子どもは気持ちよさそうに目を閉じた。
また少し心を許し始めてくれたのだろうか…。
さきほどまでの緊張した様子はない。
時折額のタオルを替え、そのまま冷たい手を子どもの熱くなった頬に押し当てると、無意識に甘えるように擦り寄るのが子猫のようで可愛らしい。
これは西の国の子ども…という気持ちは、すでにアントーニョの脳内から消えていた。
実際それがなければ、子ども、アーサーは随分と可愛らしい少年だった。
この小さくもか弱い、愛すべき子どもの身を何からも守ってやらねば…絆されるまい…と思った事も忘れ、決意してしまったことが、全ての悲劇の始まりだということを、今はまだアントーニョは知らない。
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